表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
UP TO YOU  作者: 来生尚
11/14

11

 川西さんに連れてこられたのは、ひっそりと路地裏に佇んでいる鉄板焼きの専門店だった。

 和食と言われたので意外だったけれど、目の前でシェフが焼いてくれるスタイルのお店だった。

 そんな鉄板焼き食べたの初めてで、目の前に人がいるという状況で緊張しちゃったけれど、料理はものすごく美味しかった。

 デザートと緑茶が目の前の置かれると、メニューを説明する以外は無言だったシェフが目の前を去る。


 個室の中には川西さんと二人きりになり、ふと目を向けると、柔らかな視線とぶつかる。



「すごく美味しいお店に連れて来てくださって、ありがとうございます」


「いいえ。気に入っていただけて良かったです」


「和食とおっしゃっていたんで、もっと日本料理っぽいものを想像したんですが、こういうところに来たの初めてで楽しかったです」


「のわりには、緊張してましたよね」


 見られてた。

 なるべくいつもどおりを心がけてたつもりだったのに。

 全然緊張を隠しきれていなかったことがバレていたことに、恥ずかしくなる。


「……緊張しますよ」


 だって、川西さんは隣にいるし。

 後半部分は口を噤むことで誤魔化した。

 ふっと優しく微笑んだ川西さんが、俯いたわたしの髪を撫でる。

 今日何度目かのそれを、真っ赤な顔は見られたくないので、そっと覗き見る。


 ---!!


 視線がばちっと合い、頭の中で静電気みたいな音がする。


「佳世」


「はいっ」


「今だけ、そう呼んでも構いませんか」


 今だけ。

 その言葉に胸がきりりと痛む。

 でも当たり前の事だ。

 明日は無いんだ。


「……はい」


「どうしてそんな顔を?」


「そんな顔?」


 すっと頬を撫でた指先が顎に掛かる。

 指先に力が加えられ、俯いていた私の顔は、真正面から川西さんを見つめる事になる。


「気付いていないのですか」


「何に?」


 問いには答えず、川西さんの秀麗な顔がゆっくりと近付いてくる。

 何をしようとしているのかわかったけれど、動く事が出来ず、茶褐色の川西さんの瞳を見つめ返す。


「佳世」


 唇が優しい声で、私の名前を呼ぶ。

 とくんと胸が高鳴り、きゅっと目を瞑る。

 その瞑った瞼に唇が落され、そして唇の上で重なる。

 ちゅっと触れるだけの優しいキスに、涙が出そうになる。

 どうしてこんなにも優しいんだろう。

 どうして今だけなんだろう。

 明日は求めてはいけないのが苦しい。

 やわらかい唇が離れるのと同時に目を開けると、至近距離で視線とぶつかる。


「川西さん」


「透。そう呼んで」


「とおる?」


「そう」


 ぎゅーっと胸の中に抱きしめられ、縋るように川西さんのスーツの胸の辺りを掴む。

 指先は震えている。

 けど、この手を離したら遠くに行ってしまいそうで、指先に力が入る。


「佳世」


 囁かれる声に顔を上げる。


「君が好きです」


「本当に?」


 ふっと川西さんが微笑む。


「本当ですよ。冗談ではなく婚約者になりませんか?」


「……私なんかじゃ」


 大きな会社の支店長を任されるような仕事の出来る人で、眉目秀麗という言葉が似合うような人の婚約者なんて。


「あなたらしい断り文句ですね」


 さらっと流し、川西さんは一瞬だけ唇を重ねたかと思うと、腕の拘束を緩める。


「少しだけ話を聞いてもらえますか」


「はい」


 何を話そうと言うのかわからないけど、体温が遠ざかった分だけ、すぐ傍にいるのにも関わらず淋しさが募る。



「年明けには海外に行く事になっています。そこにあなたも連れて行きたい」


「え? 今十月ですよ」


 早すぎませんか、展開が。


「隠す事ではないので、全てお話します」


「はい」


「ゆっくりお茶でも飲みながら聞いてください。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」


 今は取って食ったりしませんからと、冗談めかしに付け加えられる。

 そう言われても、ゆっくりまったり聞けるような話じゃない。

 とはいえ、緊張のせいか喉がカラカラなので、少し冷めたお茶を一口飲む。

 川西さんがデザートのお皿を私のほうに「はい」と差し出す。


「甘いもの、苦手なのでどうぞ」


 これから旬のリンゴを使ったデザートのお皿はとても美味しそうで、素直にいただくことにする。

 リンゴのコンポートをフォークで切り、一口口に運ぶのを見て、川西さんが頬を緩ませる。


「ずっと思ってたんですけれど、とても美味しそうに食べますよね」


「え? そうですか?」


 そんなにニコニコしていただろうか。


「すみません。どれも美味しくって」


「いえいえ。いいんですよ。見ていて嬉しくなりました」


「嬉しい。ですか?」


「ええ。あなたが目の前でニコニコしているのが見られて」


 真っ直ぐ向けられる好意を、今は嘘だとは思えない。

 ううん。思いたくない。

 これが演技だなんて疑いたくない。


「ニコニコしちゃいますよ。だって美味しいんですもん」


「そうですか。ここを選んだ甲斐がありましたね」


 何となくだけれど、川西さんの顔が『してやったり』といったように見える。


「もっと所謂和食って言うんですか? あのお刺身とか天ぷらとか。そういうのを想像していたので予想外だったんですけれど、とても美味しかったです。ありがとうございます」


「いいえ。アレルギー反応が出ている時に、生ものはあまりよくないですからね」


「そうなんですか。アレルギーにお詳しいんですね」


 私なんて当事者だというのに、アルコールを摂取しなければ良い程度の認識しかないのに。

 だから煙草の煙で咳が酷くなったりしたし。


「知人にアレルギーのある人間がいたので」


「そうだったんですね」


 その人も酷いアレルギーを持っているのかもしれない。

 納得して、デザートの一皿目の攻略に戻る。

 見られて恥ずかしいとか考える余裕もないくらい美味しい。手が止まらない。


「美味しいですか」


「はいっ。美味しいです。川西さんもどうですか、一口」


 言った瞬間に川西さんの表情が曇る。

 そんなに甘いもの苦手なんだろうか。


「透です」


「はい?」


「透。そう呼んでください」


「……はい」


 心の中でも透とは呼びにくい。

 か、彼としては不機嫌そうな声で指摘するので、とりあえずは同意しておく。

 そうやって距離が近付けば近付くほど、後が辛くなるから。


「えっと、お話というのは」


「ああ。そうでしたね」


 手にしていた湯飲み茶碗を置き、彼はふーっと溜息を吐き出す。

 いつもどおりの柔和な表情ではなく、どことなく固い顔をしている。


「この若さで支店長を任されたのは、祖父がグループ会社の会長の弟なんです」


 突然始まった告白に、彼の会社のことを思い出す。

 幾つかのグループ企業に分かれていて、その中心が有名な機械工業の会社で、彼が支店長を勤めている会社はそのグループの傘下になる。

 確か、創業者の苗字が企業名になっていたような。

 彼の名は、その名前ではない。


「母は一人娘で、川西の家に嫁ぎました。なので創業一家からすると遠縁になりますが、あまり血縁も多くないので、こんな若造でもそれなりの肩書きを持たされています」


 確かに若い。

 一般的には、企業の支店長を勤めるような年齢ではない。

 不本意。

 そんな表情が彼からは伝わってくる。


「年明けには海外のグループ会社を一つ任される事になりました。国内にいると、目障りなようで」


 くしゃりと歪んだ顔は、今まで見せた事の無いものだった。

 彼の心の一端に触れてしまったようだけれど、あまり良い方向ではなかったような気がする。


「か……とおる、さん?」


 思わず手を伸ばして、彼の腕に触れる。


「大丈夫ですよ。気紛れに振り回されるのには慣れてますから」


 行きたくないのだというのは、口調などからわかる。


「恐らく数年は確実に帰って来られません。巻き込む事はわがままだとわかっています」


 伸ばしていた手が彼に絡め取られる。

 手を握られた瞬間、鼓動が最大限に早くなる。

 ドキドキドキドキと。

 耳が痛いほどに。


「佳世。一緒にいて欲しい。とても仕事を楽しそうにしていることも知っています。それでも、それを辞めて、一緒に来て欲しい」


「と、おる、さん?」


「佳世の人生をください」


 頭の中が真っ白になる。

 言葉だけが頭を回る。

 心臓の鼓動の音と、彼の射抜くような視線と、人生をくださいという言葉しかわからない。


「絶対に幸せにしますから。だから」


 縋りつくかのような彼の決意に、涙が零れ落ちてくる。

 何故涙が出るのかわからない。

 ただ、彼をそのまま見つめ返す事しか出来ない。


「結婚してください。お願いします」


「……本当に?」


「幸せにしますよ」


「ううん。そうじゃなくて。あの、本当に私で良いんですか?」


 強張った表情を崩し、彼が「ええ」と頷く。


「日本語以外喋れません。家事も、掃除しか出来ません。何一つ、お役に立てません」


「構いませんよ」


「でも、でもっ!」


 私はあなたには相応しくない!

 見た目だって普通。仕事だって普通。家事能力は普通以下。

 そんな私が大きな会社の子会社一つ任されるような人に、相応しいとは思えない。


「じゃあ佳世は、もう会わない。これっきりになっても平気ですか?」


 微笑みながら落された爆弾に、びくりと体が震える。

 もう会えない?

 短時間では見慣れたとは言えない、キレイすぎる顔を見つめる。

 視線を落し、握られた手を見つめる。

 私はこの手を離せるだろうか。

 そんな事を思った瞬間、彼の手から力が抜け、ぎゅっと握り返す。

 離したくない!

 頭で考えるよりも先に、心が動いた。


「……無理です」


「無理?」


 強張った顔で彼が聞き返してくる。


「一人になるなんて無理。置いていかないで」


 涙が一気に溢れ出し、彼の腕の中に包まれる。


「無理です。佳世を置いていくなんて」


 うんうんと腕の中で首を縦に振る。

 たったの一日で、彼のいない時間なんて考えられなくなってしまったから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ