第七話 心通わせて
小一時間ほどの捜索で、あっさりモモは見つかった。山林の奥にぽっかりと空いた古びた洞窟の前で、モモは縮こまって座っている。リンカさんの話しによれば、モモはこういった静かな場所が好きらしい。
洞窟の周りには、動物の骨や木の実の残骸が落ちていた。恐らく、ヤシャクの集落を出てからはここにいたのだろう。
「モモ!」
「もうこないで!」
モモはいやいやとばかりに座ったまま首を振る。
「モモ、話を聞いて。ここで暴れても、何にも解決しないのよ」
モモはかなり錯乱しているようで、リンカさんの説得も、全く聞き入れる様子がない。
「リンカさん、俺に話させてもらえませんか」
このままではらちが明かない。下手をすれば、リンカさんとモモが争う事態へ発展するかもしれない。
意を決して話しかけた俺を、リンカさんは不安そうに見つめ。逡巡の後ゆっくりと道を譲った。
「何か作戦があるの?」
「まあね」
問いかけたルリに、安心させよようと軽く笑みを見せてから、一人モモへと歩み寄る。
近づいてくる俺に対して、モモは無反応だった。さっき戦ったことを覚えていて、生半可な攻撃では無意味だと悟っているのだろうか。
話しかけられる距離まで近づいてみると、モモの大きさがよくわかる。目の前のモモは腰を下ろしているというのに、俺の背丈を超えそうな高さがあった。重厚な鎧も相まって、見ているだけで押しつぶされそうな威圧感を受ける。
さっきはああ言ったが、作戦なんてまるで考えて無い。ただ、この子と話がしてみたかっただけだった。
「モモちゃん、初めまして。 俺はユウ、っていうんだ」
俺の問い掛けに、ただ無言を返すだけのモモ。そんなモモへ対し、返答がなくとも穏やかに話し続けた。
「モモちゃんは、どうしてここに来たの?」
反応があったのは、話し初めてから四、五分経った頃。
「……わかんない」
「そっか、わかんないのか」
答えが返ってきた嬉しで、少し声が上ずった。
モモの言葉には感情が全く乗っておらず、心ここにあらずといった様子だった。
「ユウは、どうしてここにきたの?」
「そうだな……俺もよく分からないんだ」
考えてみれば、ここに飛ばされた理由はさっぱり分からない。あの神社に何か秘密があるのか、あるいは俺に何かがあるのか。
「じゃあ、いっしょだね」
「そうだな」
なんだか可笑しくなって、思わず笑っていた。そんな俺を見て、鎧の奥からも微かな笑い声が聞こえた。
「さっきはごめん、怖かったよね」
「ううん、モモが悪かったの。モモが大きいから、みんなモモのことを怖がって」
今にも泣き出しそうなモモのか細い言葉が、鎧に反響する。
「それは違うんじゃないかな」
自分を攻めるような言葉に、思わず反論していた。
「モモちゃんが大きかろうが小さかろうが、それはモモちゃんのせいじゃないよ」
本人にどうしようも出来ないことまで背負い込む必要はない。
「でも、みんなは」
「みんなが怖がろうと、俺は怖がらない。俺だけじゃないさ、ルリだってきっと怖がらない」
話しているうちに、この子は理由なく人を傷つける子ではないと分かった。そうであれば、必要以上に警戒することはない。
最初は面食らっていたが、ルリは可憐な見た目とは裏腹に割と図太い。モモのことだって、話せば分かってくれるはず。
「ルリ……?」
「ええと、ルリっていうのは、俺の友達……かな。 いろいろあって、今は一緒に住んでるんだ」
この数日一緒にいただけなのに、ルリに対して親しみを感じる自分がいる。それこそ、何年も付き合った友人のような。
面と向かっては恥ずかしくてとても言えないが、モモに対しては素直に言えていた。
「そうなんだ、ユウはいいね、おともだちがいて」
「モモにもリンカさんがいるじゃないか。わざわざ探しに来てくれるなんて、とっても優しいお姉ちゃんだと思う」
「でも、おねえちゃんとモモが一緒にいると、おねえちゃんがこまるの」
自分が村人から疎んじられていることも、それによって家族が間接的に苦しんでいることも、モモは察しているようだった。
「そっか、モモちゃんは優しいんだね」
「モモが、やさしい? でもモモは、みんなにめいわくばっかりかけて」
「自分以外のことを大切に思える、それを優しさっていうんじゃないかな」
言葉の定義とか難しいことは分からない。分からないけど、モモの純粋で暖かい心を否定したくはなかった。
会話が途切れ、俺達の間に暫しの沈黙が流れる。モモは、自分が優しいと言われ混乱しているようだった。
そんなモモを見て、脳裏にかつての記憶が浮かんだ。
「モモちゃんもさ、俺達と一緒に暮らさないか?」
沈黙を破ったのは、あえて明るく発した俺の言葉だった。
例えこの場はどうにかなったとしても、ヤシャクの集落にいる限り、モモが安らかに暮らせることはないだろう。だったらいっその事、俺達が住んでいる神社に来るのはどうだろうか。
幸いなことに、あの神社についてはこちらの住人もほぼ放置していたようで、今更同居人が増えたくらいでとやかく言う者はいない。
「ユウといっしょに!? でも……」
「いきなり迷惑だったかな」
「そうじゃない、そうじゃなくて。モモなんかといっしょにいたら、ユウがこまるんじゃないかなって」
他人の好意に慣れていないのか、モモの口調からは嬉しさと共に困惑が感じられた。
「別にいいんだよ、多少は困っても。互いに助け合うのが友達なんだから」
恰好つけて言ってみたが、これは自分の言葉ではない。いつかあいつが話した言葉の受け売りだった。
あいつと出会うまでは、俺もモモと似たような境遇だった。それを思い出して、こんなにモモに親身になっているのかもしれない。
「ともだち? モモとユウは、ともだちなの!?」
信じられないことをきいたように、モモの口調がぱあっと明るくなる。
「そっちが良ければ、だけどね」
「うれしい…… おともだちなんて、はじめて」
友達という言葉を、しみじみ噛みしめるように発音するモモ。
モモが纏っていた怯えが消え、周囲の空気が穏やかなものに変わる。
「って話になったんだけど、大丈夫かな?」
おもむろに振り返り、洞窟にほど近い木陰へと話しかけた。
「あたしは構わないわよ、あの神社は別にあたしの持ち物でもないし。っていうか、気付いてたのね」
返答しつつ、木陰から進み出るルリ。こっそりこちらの様子を伺っていたのは分かっていたが、特に困ることもないので放置していた。
「でも、保護者のほうはどうかしら」
ルリの視線の先には、同様に様子を伺っていたとみえるリンカさんの姿が。
「おねえちゃん」
「モモは、それでいいの?」
真剣な表情になったリンカさんが、ゆっくりとモモに問いかける。
二人の視線が空中で交錯し、暫し周囲に沈黙が流れた。
「……うん」
「そう、そうなのね」
モモの答えを受け、沈痛な顔で俯くリンカさん。やがてリンカさんは、何かを決意した顔でこちらに向き直った。
「ユウさん、正直なところ私はあなたをまだ信じられていません」
それは当然だ、会って数時間しか経っていない人間を信じる方がおかしい。
「始めてだったんです。モモが、私以外の人とあんなに楽しそうに話すのは」
「俺はただ、普通に会話してただけです」
「自分とは異なるものに対して、全く気負わずに、それでいて敬意を持って接することが出来る。そんな貴方を、今は信じてみようと思います」
リンカさんが俺を信じてくれたのは嬉しい。けれど、何だか別人の話を聞いているようで、少し居心地が悪かった。
そこまで立派なことを考えていたわけではなく、いつも通りに話していたのだが。
「お、おねえちゃんもいっしょにきてほしいの。ユウといっしょなら、きっとたのしいよ?」
と、モモが戸惑いがちに口を開く。
神社の広さなら、あと一人くらい増えても大丈夫だけど。
「ごめんなさいモモ、それは出来ないわ。いい思い出はなくても、あそこは私の故郷だもの」
リンカさんの表情は、晴れやかなものに変わっていた。
「おねえちゃん……」
「大丈夫、これで一生の別れって訳じゃあないんだし」
「うん、うん」
大きく体を震わせて、泣き出すモモ。
と、体を覆っていたモモの鎧が自然に外れ始めた。
「な、何が起こってるの」
「あの鎧は、着るものの心に影響されると言われています。今のモモに、あれはもう必要ないんでしょうね」
驚くルリに、リンカさんが説明する。
顔まですっぽり覆った厳めしい鎧は、モモの心を表していたのかもしれない。
「ほら、いつまでも泣いてないで」
「でも、でも」
全ての鎧が外れ、モモの姿があらわになる。
前髪を切り揃えられた長い黒髪、すらっとした痩身の体躯と形の整った張りのある双丘。肩から裾まで一繋がりの黒服が凛とした顔立ちを引き立てており、あちらの世界の女優にも似た美しさを覚える。
そこにいたのは、言動の幼さとは裏腹の妖艶な美女の姿だった。
リンカさんの姿からすれば、むしろ当然なのかもしれないけど。予想外の展開に少しだけ頭が混乱する。
「こりゃ疎まれるわね……」
二人には聞こえないように、呆気にとられたルリがぽつりと呟いていた。
モモが泣き止んだのは、それから十数分は経った頃だった。
洞窟から帰ってきた俺達は、まず村人に状況を説明した。ゴンキチがリュウに化けていたこと、その理由はモモにあったこと。モモにも、やむにまれぬ事情があったこと。
長い話を黙って聞いていた村長は、ただ一言「わしらは、普通の暮らしが戻ればそれでええんです」と笑った。
ゴンキチは村長の言葉に感銘を受けたようで、群れの暮らしが落ち着いたら何かお礼をしにいくそうだ。
モモやゴンキチが集まった村人に謝ったり、その流れで何故か宴会になったりで、俺達はまた村長の家に泊めてもらった。
※
次の日の朝、村人達に挨拶を済ませた俺達は、村の入り口にいた。
「じゃあ、いくね」
「ユウさん、モモを頼みますね」
最後の抱擁を終えたリンカさんとモモは、晴れやかな顔をしていた。
ヤシャクの集落はこの村よりも更に山奥にある。リンカさんとはここでお別れだ。
「はい。あ、鎧は持って行ってもいいんですか?」
モモは、紐で纏められた鎧の部品を担いでいた。村に古くから伝わる鎧だというのに、勝手に持って行っても良いのだろうか。
「ええ、どうせ村で使える者はいないでしょうし」
伝説の英雄の持ち物とは言っても既に数百年以上が経過しており、村でその内容を覚えているものは少なくなっているらしい。
何かあった時のためにと言われれば、断る理由もない。鎧もただ死蔵されるより使われた方が幸せだろう。
「あっしも、ここいらでおさらばさせて頂きます。 姉さんと旦那には、お世話になりました」
森へ帰るというゴンキチは、これからまた仲間達と暮らしていくそうだ。
「もう悪さするんじゃないわよ」
「へい、それはもう」
元々あくどいアヤカシではなかったのだ、恐らくこれからも大丈夫だろう。
最後に畏まって一礼してから、ゴンキチは森の奥へと消えていった。
「おねえちゃん」
「そんな顔しないの、いつまで経っても甘えん坊なんだから」
同様に森へと消えていくリンカさんは、モモの呼びかけに一度だけ答えてから、確かな足取りで去って行った。
リンカさんの姿か完全に見えなくなってから、ルリはぽつりと呟いた。
「じゃあ、行きましょうか」
「そうだね」
「うん!」
鎧を背負ったモモを真ん中に、俺達は歩き出す。青々と晴れ渡る空は、雲一つなく冴え渡っていた。