第十七話 髑髏は笑う
「来るわよ!」
突進してきた豚蛇を見て、ルリが叫ぶ。
「ぐぬぬ、やはりあの亡霊といかいうやつが中に入っていると、わしが入れん」
豚蛇と相対する亡霊さんを見ながら、影切丸は悔しげにほぞを噛む。
「こいつはチョトンダ、氷の息を吐くアヤカシよ。って見れば分かるか」
ルリが説明している間に、チョトンダは大きく口を開き、空中に白い息を吐き出した。
白い靄のようなそれが進んでいく度に、空気中の水分が固い音をたてて氷結していく。
それは俺達が立っている地面にもおよび。瞬く間に床面全てがつるつるの氷に覆われていた。
「無駄よ、私の炎で溶かしてあげるわ!」
ルリが両手を大きく開いて前方へ翳し、両手の掌から火球が乱射される。
それは空中や地面で手榴弾のように炸裂し、大小さまざまな爆炎があちこちで挙がる。
しかしチョトンダはそれをものともせず、火球を放ち続けるルリへ真っ直ぐに突進してきた。
炎に照らされてギラギラと光る二対の牙が、ルリの体に迫らんとした、そのとき。
周囲の空間全てに響き渡るような苦悶の声を発して、チョトンダが地面に倒れ込んだ。巨体が大地に横倒しになり、轟音と共に土煙が舞う。
土煙が晴れたそこには、切り落とされたチョトンダの尾と、刀を構えた亡霊さんが。尾は本体から切り離されてもまだ、意思を持ったように脈打っていた。洪水のように流れ出すチョトンダの血は、油分が多く含まれているのかてらてらと不気味に光っている。
亡霊さんは燃え盛る炎を目くらましにして、チョトンダの後方へ回り込んでいたのだ。
「喰らいなさい!」
動きの止まったチョトンダに対して、ルリが最大の火球を放つ。轟々と燃え盛る火球は真っ直ぐチョトンダの体に直撃し、血に引火して凄まじい勢いで燃え上がった。
数分経ってようやく炎が収まった時、そこには黒焦げになったチョトンダの死骸が転がっていた。
「倒せたようね」
脅威が去り、ほっと一息つくルリ。納刀した亡霊さんが落ち着いた歩みで合流しようとした、その時。
「ここまで来るような物好きとはどんな奴かと思えば、これほどの腕とは」
部屋の奥の岩陰から、この世のものとは思えない程おぞましい声が響いた。
「こいつは……!」
声のした方を見て、ルリの顔が一瞬で引きつる。
そこにいたのは、豪壮な鎧に身を包んだ男。身長は180cm程度、兜は付けておらず、漆黒の鎧にはどこかで見たことのある奇妙な円形の刻印がいくつも刻まれていた。腰に差した二本の刀を含め、一見それは普通の武人とまるで変わらないように見える。
ただ一つ常人と違っていたのは、鎧に包まれた体が、丸ごとすべて肉のそぎ落とされた骸骨だったことだ。
無機質な真っ白い顔からは、表情と呼べるものは全く感じられず、大きく窪んだ眼は、眼球の代わりに漆黒の闇を詰めたような黒色をしていた。
立ち振る舞いには全く隙が感じられず、立っているだけで今まで出会ったアヤカシの中でも最大級の威圧感を無造作に放っている。それは殆ど暴力とも呼べるようなもので、直接浴びせられている訳ではない俺でも、一瞬で心臓が凍り付きそうな感覚に襲われた。
それをまともに受けるルリや亡霊さんは、一歩も動けない。
「どこかのサムライでもなさそうだが、一体何者だ?」
骨と骨とがぶつかる不規則な音を奏でつつ、ボイスチェンジャーでも使っているような、不気味で無機質な声を男は発する。声帯は当然残っていないだろうに、一体どうやって発音しているのだろうか。
「亡霊さん?」
と、ただ俯いているように見えた亡霊さんの体が、突如小刻みに震えだした。
「ユウ!?」
不意に顔を上げた亡霊さんは目にもとまらぬ速さで突進し、骸骨へ抜刀していた。
「ほう、この太刀筋は」
俺の目では全く追いきれない斬撃を、骸骨は余裕を持って腰の太刀で受けている。続けざまに放たれる連撃を捌きながら、骸骨は亡霊さんを見て興味深そうに呟く。
「亡霊さん、一体どうしたっていうんですか!?」
俺の呼びかけにも答えず、亡霊さんは闇雲に剣を振り続ける。
放たれる剣の鋭さと速さは今までの比ではなく、普通のアヤカシであれば、既に数十回は細切れになっているところだろう。
「なんじゃ、なにが」
うろたえた様子の影切丸にも、今構っている余裕はなく。
「何故そんな姿になっているのかは分からんが、また貴様と相まみえられるとはな!」
亡霊さんと剣戟を交わしながら、骸骨の声には次第に喜色が浮かんでいた。その言葉には、どこか懐かしさのようなものがあった。
「お前は、お前は誰だ!」
「何?」
苦悶の表情で叫ぶ亡霊さんに、骸骨は訝しげな声を返す。
「今の私には、お前の名前すら思い出せん。だが、私の中の何かが、お前を敵だと言っている」
体の奥から絞り出した途切れ途切れの言葉を、紡ぐように発する亡霊さん。
「あれは、ユウ……なの?」
「そういうことか。面白い、実に面白いぞ!」
ルリの戸惑いも今は剣戟の音に消えて。高笑いする骸骨と、苦しげな顔のままの亡霊さんは、流れるような凄まじい剣舞を繰り広げていた。
だが、全く互角に見えた戦いも、次第に骸骨の側に形勢が傾きかけていた。いつもとは違いがむしゃらに剣を振るだけの亡霊さんは、次第に疲労の色を濃くしていたのだ。
「このままじゃ、亡霊さんもルリも」
亡霊さんが負ければ、ルリの命も危ない。どうすれば、この窮地を乗り越える為の何かは……
「ユウ」
唐突に影切丸が口を開いた。だが、今は話している場合では。
「ユウ、ユウ!」
「何ですかこんな時に!」
何度も呼び掛けられ、思わず強い口調で返してしまう。
「わらわの力があれば、この場をどうにかできるかもしれん」
そう告げる影切丸の顔は、今までにないほど真剣なものだった。
「本当ですか!? でも、どうして」
「話は後じゃ、わらわの力が必要なのかそうでないのか、一体どち」
「必要です」
彼女の言葉が言い終わる前に返事をしていた。
「よ、よいのか。この期に及んで、わらわが貴様に害を」
「話は後、でしょ?」
さっきの言葉をそのまま返す。今は考えている場合ではない、少しでもルリ達を助けられる可能性があるのなら、それに賭けるしか。
「まったく、貴様は面白いやつじゃな」
不敵に笑った影切丸の姿が、次第に刀と重なっていく。
次の瞬間、目の前に骸骨の姿があった。驚く間もなく、体は骸骨の鋭い横凪を飛びのいて避ける。
俺は初めて、自分の意識のまま刀で戦っていたのだ。不思議なことに、刀を握っているという感覚はなかった。刀があることが普通であり、刀が自分の体の一部であるような感覚だった。
そして、刀の意思、いや俺の意思が、口を開かせた。
「闇あるところ光あり、我が刃は、影すら切り裂く絶対の光明なり!」
俺の声と影切丸の声が重なり、天高く掲げた刀身が激しく輝き始める。
「これは、この力は!?」
刀の輝きを見て、骸骨の動きが驚愕したように止まる。
「醜き悪鬼よ、泥梨にて己が罪を悔いるがよい!」
閃光を伴った斬撃によって、骸骨の体は一瞬で粉々に砕かれ消滅していた。
「相克の徒に、永久の栄光を……」
最後に聞こえたのは、いつか聞いた不気味な文言だった。
「た、倒したの」
周囲に静寂が訪れ、ルリがあっけに取られたように言葉を発する。
と、不意に体の感覚が薄くなり、目の前が霧に覆われたようにかすみ始めた。
「ユウ!? どうしたのユウ、ユウ!」
ルリの叫びを聞きながら、意識は次第に薄れていった。