第十四話 再会と予兆と
甘い花の匂いがまどろんだ意識を次第にはっきりさせていく。目を開けてまず見えたのは、見たこともない黄色い花。仰向けから起き上がって辺りを見渡せば、黄色い花は一面に咲いさいかていて、地平線の先までその終わりは見えない。
不思議なことに、今は夢の中にいるんだと直感で理解出来ていた。
花畑を暫く歩いていると、一人の少女が目の前に現れた。年の頃は十前後だろうか、巫女服のような神秘的な服装で、ボリュームの多い金髪を後ろで纏めている。しなやかで艶のある髪はまるで上質の絹のようで、日光を浴びてきらきらと光っていた。
何より印象的なのは、吸い込まれるような金の瞳。触れれば消えてしまいそうな顔立ちの中にあって、その目からは確かな強い意思が感じられる。
「君は……?」
問いに答えることなく、少女はまっすぐに俺を見据えている。それはまるで、俺を試すかの如く。
「待ってくれ、君は誰なんだ!」
二度目の問いを発したとき、目の前が不意に霞始めた。これは。夢が覚め始めている……?
「うなされていたようだが、どうかしたのか?」
次の瞬間、目が覚めた俺を亡霊さんが心配そうに覗き込んでいた。
「……いや、なんでもない」
あれがただの夢だったとは思えない、いったいあの子は誰で、どうして会いに来たのだろう。
その疑問に答えられるものは、誰もいない。
「あら、今日は遅かったわね」
いつものように厨房に来てみれば、既にルリは後片付けをしていた。
「おきゃくさんがきてるよー」
ルリを手伝っていたモモが言うには、居間に客人が来ているそうだ。
客? そんな知り合いいたかな、と思いながら居間へ赴く。
「ユウの旦那、お久しぶりでござんす」
そこにいたのは、全く見慣れぬ中年の男性。服装からして普通の農民に見えるが、こんな人村にいただろうか。
「えーっと、貴方は……?」
親しげに話し掛けてくる男性に、心当たりのない俺は戸惑いを返すしかない。
「おっとこれは失礼、この姿では誰だかわかりあせんな」
そう言った男性の体が、不意に白煙に包まれる。
「これでお分かりになりやしたか」
煙が晴れたそこにいたのは、この前出会ったタヌキのゴンキチだった。
村の中もタヌキの姿では無用の誤解を招くため、適当な人間に化けていたそうだ。
「どうしたんだゴンキチ、また何かあったのか?」
モモが去り、ゴンキチの群れは元々住んでいた森に戻ったはず。
「あいえ、あっしらはまた元の暮らしに戻って、今のところは平穏に暮らせておりあす」
ゴンキチはタヌキ姿のまま、座布団に礼儀正しく正座した。
「今日ここに来たのは、旦那から頼まれていた件のことでござんす」
「もしかして、何か分かったのか!?」
その言葉を聞いて、俺は思わず大声を出していた。
群れの長であるゴンキチは周囲のタヌキに顔が効くらしく、その縁であいつや亡霊さんに関しての情報を調べててくれるよう頼んでいた。
「これは、ドロク村に住むザロクが言っていた話でござんすが……」
ドロク村とは、ここから歩いて数日の距離にある村。
ザロクの話によれば、ドロク村でもオオオニが行っていたような女狩りが行われていたという。
「女が集められてるのは、ここだけじゃなかったのね」
食事の片付けを終えたルリが、前掛け姿のまま話に入ってきた。
ゴンキチの話はここからが本題で、その集められた女性達の中に、見慣れない服装の少女が混じっていたという。
「それって、どんな服装だったんだ」
「あっしも又聞きで、実際に見たわけではございあせんが」
上下一揃えの服で、色は紺、上の服の中央には赤い飾り紐が付いており、下の服はひらひらした腰布を纏っただけのように見える。
その服とは、もしかして。
「高校の制服……?」
「せい、何?」
聞き返すルリの声も届かなくなるほど、気持ちは一気に高まっていた。
やっぱりあいつもここに来てたんだ。ここに来て、今はあいつらに囚われている。
「連れて行かれた女達は何処にいるんだ!? 教えてくれ、頼む!」
捕まったあいつがどんな目にあっているかなんて、想像したくもない。もしあいつが苦しんでいるのなら、一刻も早く助けに行かなければ。
「……そ、そこまでは」
「ユウ、ちょっと落ち着いて」
ルリに窘められ、ゴンキチの体を揺すっていた自分に気付く。
「わ、悪い。ゴンキチもごめん」
いくらあいつのこととはいえ、ゴンキチを責めても仕方がない。熱くなっていては、助けられるものも助けられなくなってしまう。
「いえ、それだけ探し人が大事ということでござんしょ?」
ゴンキチはあまり気にしていないようだけど、これらかは気を付けなければ。
「取りあえず、その場所に行ってみましょ」
「そうだな、ここでゴンキチを問い詰めても進まない」
冷静さを取り戻した頭で、ルリの提案に頷く。
「もちろんモモもいくよ!」
「ああ、頼む」
元気なモモの言葉が、深刻に考えがちな今は頼もしかった。
「ありがとうな、ゴンキチ。お礼に何かしてあげたいけど、今は……」
神社の改修工事に使ってしまったので、あいにく手持ちに余裕はない。
「お礼なんて、これは旦那へのご恩返しでございあすから」
からっとした笑顔でそう言ってくれるゴンキチ。小さなはずのその体が、少しだけ大きく見えた。
最後に一礼し、また人間の姿に変化してからゴンキチは去って行った。
「ドロク村までは歩いて数日掛かるわ。しっかり用意をしておきましょう」
それぞれお自室に帰って、旅の準備をすることに。
自室で風呂敷に荷物を詰めていたとき、部屋の隅に置いてあったあの刀が目に止まった。
「それを持っていくのか?」
近づいて刀に手を伸ばした俺に、亡霊さんが問い掛ける。
「まだ使うつもりはないけど、何かあった時のために必要だと思うんだ」
いくら剣の達人とはいえ、流石に丸腰では亡霊さんも戦いようがないだろう。道中で刀を購入するという手もあるが、今持っているものを使わなければ勿体ない。
「一剣士として見れば、その刀は完璧だ。しかしその完璧さが、逆に危うさを感じさせる」
危うさという言葉は、心のどこかで感じていたことだった。家具の暴走を引き起こしたことはもとより、この刀のあまりに整いすぎた美しさは、どこか恐ろしいものを想像させる。
しかし、俺は刀を置いてはいかなかった。刀を腰に差したまま、風呂敷を背負って玄関へ進む。
「準備できた?そろそろ行くわよ」
「ちょ、ちょっとまってー」
既に準備を終えて玄関で待っているルリの問いかけに、モモの慌てた様子の声が自室から返ってくる。
と、刀を腰に差して現れた俺に、ルリが怪訝そうな声を出した。
「待ってユウ、それは」
「もう力は失われてるんだろ?大丈夫だって」
ルリを不安がらせないように、敢えて明るく答える。
「分かったわ、何かあったらすぐに言ってよね」
溜息一つ付いて、諦めたようにルリは言った。
「おまたせー!」
「ようやく来たわね、ってどんだけ荷物持ってるのよ!?」
どたどたと走ってきたモモを見て、ルリが大きな声を挙げる。
モモは、人間三人くらいは余裕で入りそうな大きさの風呂敷を担いでいた。背中から見れば、大きなモモの体を覆い隠してしまいそうな程。、
「だって、おとまりなんでしょ?」
何が悪いと分かっていないのか、モモは首をかしげた。恐らく、モモは今までこういった経験がないのだろう。だとしても、流石に多すぎるが。
「いくらなんでも多過ぎよ、途中で疲れちゃうわ」
「えー」
「あたしも手伝ってあげるから、整理しなさい」
「……わかった」
窘めるルリの言葉に、モモは渋々頷く。
不満そうなモモを連れて、ルリはモモの部屋に入って行った。
――わたしを、みつけて。
「今の声は」
聞き覚えのない声が耳に届き、思わず周囲を見渡す。
「どうかしたのか、ユウ?」
「いや……」
だが、辺りに人の気配は無く。
「じゃあ行きましょ?」
「いこういこう!」
「ああ」
戻ってきたルリたちへ内心の動揺を悟られぬよう応答し、ドロク村へと歩き出す。
言いようのない不安が、心の片隅で燻っていた。