第十三話 思いを伝えて
「ユウ、おはよー!」
モモの張りきった声であさのまどろみが打ち破られる。
「モモは朝から元気だな」
「えへへ、いつでもげんきだよ!」
寝起きの少し重たい気持ちが、モモを見ているだけで霧散していくようだった。
半分体を起こすと、モモがしゃがんで体を寄せた。
「ねぇユウ、いっしょにいきたいばしょがあるんだけど」
少し不安を含んだ声で誘うモモ。
神社の裏手、山中を少し歩いた所に、いつもモモが行っているお気に入りの場所があるという。
「分かった、じゃあルリも一緒に……」
「きょ、きょうはユウと一緒がいいの。 ダメかな?」
もじもじと顔を俯かせ、少し震えた声で頼むモモ。
どうせなら三人のほうが楽しいと思ったのだが、まあいいか。
「いや、別にいいけど」
「わーい!」
承諾を受けたモモは、飛び上がって天井に頭をぶつけんばかりに喜んでいた。
それからモモは、準備があると言って自室へ凄まじい勢いで去って行った。
モモと別れてから、この時間は朝食の準備をしているルリの元へ。
台所では、お味噌の食欲をそそる匂が漂い、包丁や沸騰したお湯の心地いい音が響いている。三角巾と前掛けを付けたルリは、いつもの可愛らしさに加えてどこか色気があり、見ていると何故か照れ臭くなってしまう。
ルリの手が空くのを待って、いつもと違った様子のモモについて相談してみる。
「ってことなんだけど」
「へ、へぇ、モモがね。
今朝の話を聞いたルリは、ひきつった笑みを浮かべていた。
「モモがそんなことを考えていたなんて、まだまだ早いと思ってたのに。でもそうだったら応援してあげるべきかしら……」
ルリは考えこむように腕を組み、俯いて小声で何事かを呟き始める。
「それで、お弁当を作って欲しいんだけど」
「え? お、お弁当ね、別に大丈夫よ」
俺の話を一応聞きつつも、ルリはどこか上の空だった。
※
朝食を終えた俺達は、二人で神社の裏山へと出発した。空は爽やかに晴れていて、雨が降る前兆もない。
「はやくはやくー」
一緒に出掛けられたことが余程嬉しいのか、モモは飛び跳ねるような勢いでずんずん先へ進んでいく。多少は慣れたがまだ山道が苦手な俺は、付いていくのがやっとだ。
歩き始めて数十分程で、周囲は鬱蒼と木々が生い茂る森林になっていた。今まで知らなかったけど、神社の裏手ってこうなってたのかと少し驚く。
時折聞こえる野鳥の鳴き声、踏み締めた草から舞い上がる匂い、木々の間から薄らと零れる木漏れ日。全く人の手が入っていないと思われる森は、どこか神秘的な雰囲気を生み出している。
「うわっ、とと」
と、周囲の景色に見惚れていたせいか、足を踏み外してしまった。
「だいじょうぶ?」
素早く気付いたモモが、腕を伸ばして捕まえてくれた。
落ちないようにしっかりと引き寄せられ、モモの整った顔が至近距離まで近づく。
「あ、ああ」
普段の態度から意識していなかったが、やはりモモは綺麗だ。こんな綺麗な子と一緒にいるなんて、少し前の俺は想像すらしなかった。
改めてそれを意識してしまい、モモを見る目を思わず逸らしていた。
「もうすこしだよー」
それを疲れと思ったのか、モモは優しく励ましの言葉を掛けてくれた。
歩き始めて数時間は経った頃、疲労もそこそこ溜まってきた脚でどうにか歩いていると、不意に前方のモモが足を止めた。
何かあったのだろうか、少し不思議に思いながらモモに近づいた、そのとき。
「うわぁ……」
木々に囲まれた視界が一気に開け、目の前に澄んだ水を湛えた湖が現れた。湖は窪んだ場所にあり、坂の上になったここからは全景がよく見渡せる。
面積は数十kmくらいだろうか、丁度真上に上った太陽を反射して、水面はきらきらとかがやいていた。
「えへへ、すごいいでしょ」
雄大な自然に感動しているこちらを見て、モモはどこか誇らしげだった。
「モモは、いつもここに来てたのか?」
「うん、そうだよ」
湖を見るモモの目は、とても親しい友人に向けるもののようで。心からこの光景を愛していることが伝わってくる。
「ここはとってもきれいだから、ユウにもみせてあげたくて」
「そっか、ありがとな」
今まで自然の風景なんて写真でしか見たことがなかったし、それで十分だと思っていた。けれど、こうして直に見て、今までの考えが根底から覆された。
その機会を与えてくれたモモには、本当に頭が下がる。
湖へ向けゆっくりと降りていく道すがら、モモは背負った荷物を見つつ言った。
「おべんとうたべよう?」
「ああ、丁度いい時間だしな」
今はだいだい正午くらいだろうし、いい感じにお腹も空いてきた。ルリが用意してくれたお弁当は、どんな味がするだろうか。
湖畔の一角に茣蓙を敷き、持ってきたお弁当を開く。
質素な木造のお弁当箱には、色とりどりの料理が入っていた。
「おいしいねー」
筍ご飯を掻き込んでいるモモは、自然と笑みが浮かんでいるようで。思わず釣られて笑顔になる。
「ああ、ルリに感謝だな」
「う、うん……」
と、ルリの名前が出た途端モモの表情がにわかに曇った。
「どうかしたのか?」
「ルリおねえちゃん、おこってないかな」
どうやら、ルリを置いて二人で出掛けたことに対して罪悪感を抱いているようだ。
「大丈夫、何だかわかんないけど上機嫌だったし」
けど、その心配は杞憂だろう。弁当を持たせてくれた時のルリは上機嫌で、頑張ってきなさいよと励ましの言葉までくれたのだ。
「そうなんだ、どうして?」
「さぁ……」
ルリが上機嫌になった理由についてさっぱり分からない俺達は、鏡写しのように首をかしげていた。
それから暫く、俺達は何をするでもなしに湖の傍で座っていた。山から吹き下ろされた涼しげな風が、隣湖を見つめるモモの長い髪を揺らしている。
「ねぇユウ」
と、モモが前触れもなく口を開いた。
「ん?」
「モモね、ユウといっしょにいるとぽかぽかするんだ」
「俺も、モモといると暖かい気持ちになるよ」
モモの純真で明るい性格が、ときに暗くなりがちな俺の心を照らしてくれていた。
「えへへ、ありがと」
照れ臭そうに笑ったモモが、不意に真剣な顔になった。
「ユウは、いなくなったおともだちをさがしてるんだよね」
「あ、ああ」
突如話題があいつのことになり、多少驚く。
「それって、モモのおねえちゃんがいなくなるくらいかなしいことなんでしょ」
「……そうかもしれないな」
俺のとってのあいつは、家族と同等かそれよりも大切なものだった。モモは、俺の中にある不安をどこかで感じ取っていたのだろうか。
「ユウにあうまでのモモは、ずっとないてた」
モモの視線が、湖よりも遠くを見つめるものに変わる。
「おねえちゃんにめいわくかけてばっかりで、じぶんにはなにもできないっておもってた。でも、ユウにあってからはちがう」
俯いていたモモの顔が、次第に上を向く。
「ユウはモモのおともだちになってくれて、モモはいままでのモモとはかわったんだ」
あのとき俺はモモを誘い、モモはそれを受け入れた。
ほんの一、二週間ほど前のことだと言うのに、今思い返せば何か月も前のように感じられる。
「だから、だからね! モモはユウをたすけたい、ユウがモモにしてくれたみたいに、ユウがかなしまないようにしてあげたい!」
今になって分かった、これを言うためにモモはここに来たのだ。
かつての自分と同様に悩むものへ手を差し伸べるために。かつて自分が受けた優しさを、今度は俺に返すために。
「だめ、かな?」
首を傾け、おずおずと問いかけるモモ。
黙って話を聞いていたことで、怒ってると誤解されたのかな。
「ごめん、その。嬉しくて言葉が出なかった」
ここまでのことを考えていてくれたなんて、全く想像もしていなかった。
モモのあまりに真っ直ぐな思いを受けて、暫し衝撃で言葉を発せなかった。
「じゃあ、いいの?」
「もちろん、こっちからお願いしたいくらいだよ」
断る理由など、ある訳が無かった。
「よかったぁ!」
ぱあっと笑顔を咲かせたルリは突如立ち上がり、俺の体に抱き付いてきた。
「ちょ、ちょっとモモ!?」
弾力のある胸部が思いっ切り顔に押し付けられ、心地よさの台風が脳内に吹き荒れる。
「ユウ、だいすきだよ!」
モモの抱きしめる強さは次第に増し、だんだんと呼吸が困難になってきた。しかし、このままモモの体を味わっていたいという思いが、判断を鈍らせる。
「あれ、どうしたのユウ?ユーウ?」
心地よさと息苦しさを同時に味わいながら、ゆっくりと意識は閉じていった。
※
俺は気絶したままモモに背負われ、いつの間にか家に付いていた。
目覚めた俺は、ルリによる待ち構えていたかのような質問攻めを受けていた。
どこか緊張した面持ちで話を聴いていたルリは、俺が気絶してしまった下りまでを聞き終わり、ふうっと大きく息を吐きだした。
「な、なーんだ、そっちの話だったの。まあ、あんたとモモにはまだ早いわよね」
さっぱり意味の分からない言葉を残し、ルリは夕飯の支度があると去って行った。
「ユウはこれから苦労するな……」
そんな俺達を見て、亡霊さんが苦笑いを浮かべていた。