第一話 転移、そして憑依
あいつが姿を消したのは、丁度一ヶ月前の事だった。
片方だけの狛犬に挨拶してから、苔むした階段を上っていく。
十分ほどで、荒れ放題の境内に辿り着いた。
もう数十年単位で手が入っていないのだろう、参道は雑草が生え放題だし、社務所の屋根は半分に折れたままだ。
果たして、こんな所にあいつがいるのか。
幼馴染の朧夜暦は、元々高校にも気が向いたときだけ来るような奴だったから、姿が見えなくなっても最初は別段気にも止めていなかった。数年前には、誰にも告げずに自転車で日本一周に繰り出したこともあったし。
それが連絡も為しに一週間二週間と過ぎた頃から、これはどうも只事ではない匂いがしていた。
学校で妙な噂が流れ出したのは、あいつが消えて三週間程が経った頃だろうか。裏山の廃神社に、女子高生の幽霊が現れるというのだ。
最初はよくある怪談話で、ただの偶然だと聞き流していた。しかし、伝え聞いた幽霊の特徴が、余りにも彼女と似すぎていたのだ。
「……やっぱりいないよな」
大穴が開いた賽銭箱の端に腰掛けて、誰に聞かせるでもなく呟く。
神社に着いてから十数分、特に見所の無い境内を調べつくすのに、それ程時間は掛からなかった。
空を見上げれば、鬱蒼と茂る雑木林の間から、のんびりと流れる入道雲が見える。
せっかくの日曜日を使って、一体何をしているんだろうか。まあ、元々期待をしていなかった分落胆も少ないけど。
「しょうがない、帰るか」
ここで落ち込んでいても仕方が無い。あいつの事だ、明日にでもひょっこり帰ってくるかもしれない。
と、神社の片隅にある古びた井戸の中で、何かが光ったような気がした。さっき調べたときには、何も無かった筈だけど……
まさか、この中に? 足を滑らせて落っこちたのかもしれないし、一応確認してみるか。
念の為にと井戸の中を覗き込んだ、その時。
「へっ!?」
照明も何もない筈の井戸の中から、眩い光が溢れ出した。目に映る全てが真っ白に染まった瞬間に、意識はぷつりと途切れていた。
※
寂しげに鳴く虫の音が、鼓膜の奥に響いている。青々と茂った草の匂いが、あやふやな意識を次第にはっきりさせていった。
頬に感じる冷たい土の感触で、自分がうつぶせに倒れていると認識出来た。
「今のは……?」
気が付いたとき、体は古びた井戸の脇に倒れていた。井戸を覗き込んだときから記憶が無いけど、気を失っていたのだろうか。
周囲を見渡せば、自分の足も見えないほど真っ暗。寝ていた間に夜になっているとは、すっかり遅くなってしまった。急いで帰らないと、夕飯に間に合わない。
小走りで階段を下って、そのまま県道……に?
綺麗に舗装されていた筈の道が、土が剥き出しのあぜ道になっている。等間隔に並んでいた電柱もないし、先が見渡せないほど木が生え揃っていたっけ。
何か変だけど、今は構ってられない。多分記憶違いか何かだろうと納得して、そのままあぜ道を家の方向へと走る。
しかし、いくら走っても見慣れた光景は全く出てこなかった。まさか、道に迷ったのか? 別に複雑な道筋じゃなかったはずなんだけど。
と、道の左右を占領していた森が途切れ、不意に視界の先が開ける。
「ここ、何処だ」
その光景を見た瞬間、自然と間抜けな声が口から漏れていた。
俺が住んでいたのは、特別発展している訳ではないけれど、夜には家々の明かりが漏れている普通の街。けれどここから見えるのは、街頭の明かりすら無い田舎の村。というか、ここまで寂れているのはただの田舎以上だ。
いくら道に迷ったとしても、こんな場所に出るのはおかしい。たった十分足らずしか走っていない筈なのに、いったい何Km移動したんだ。
気持ちを落ち着けようと深呼吸して上を見上げれば、そこにありえないものが存在していた。
何時も通り空に浮かんでいるのは、青白く輝く満月。と、その脇にもう一つ。
「嘘だろ?」
一回り小さい真っ赤な満月が、まるで双子のように並んでいたのだ。
※
「痛い……」
全身の間接に痛みを感じながら目を覚ます。
余りに訳の分からない状況だったが、明かりもない深夜に見知らぬ場所を歩く事も出来ずに、神社で一夜を明かした。
無理にでも寝ようとしたが、さっぱり寝付けなかった。外の荒廃ぶりから何となく想像は付いていたけど、四畳半ほどの本殿には布団も何もなかった。仕方なく直接寝転がったのだが、ごつごつとした木材の感触が直接背中に伝わって、寝にくいったらありゃしない。
当然まともな睡眠が取れるわけもなく、すっかり日も昇っているというのにかなり眠たい。どことなく、体に重たいものが乗っかっている気までしてきた。
日が差したことで、昨日は把握できなかった周囲の様子がよく見える。ここは何時も寝ている家の布団ではなく、放置されてから久しいぼろぼろの神社だということがよく分かった。
どうやら、悪夢を見ていた訳ではないようだ。考えられるのは二つ、頭がおかしくなって幻覚が見えている、知らない間に見知らぬ土地へ移動してしまった。どっちでも絶望的だが、どちらかと言えば後者のほうがありがたい。何らかの原因で飛ばされたのなら、元の場所に戻る手段があるかもしれない。それに、どうにかなった頭を治す方法なんて知らない。
部屋の外に出て、神社の様子を確認してみる。石垣の間から草が生え放題の参道など、長い間放置されている荒廃した光景は、昨日と変わらない。
階段を下りて、もう一度家に帰る道を歩いてみようか。
と、周囲の森が俄かに騒がしくなり、そこから黒い影がいくつか飛び出してきた。
それは、今まで全く目にした事の無いいきもの。
敢えて例えるなら、毛の生えていない猿だろうか。耳が鋭角に尖っていて、目は釣り上がり、口には鋭い牙が生えている。なにより、毒々しい紫色の肌が、普通のいきもので無い事をはっきりと示している。
「えーと、日本語通じますか?」
もしかしたら、この世界では普通の人間なのかもしれない。僅かな望みを託した質問に、返答は無く。
怪物は鋭い奇声を発し、長く尖った爪で襲い掛かってきた。
突然の事態に、考えるよりも先に体が反応する。足元に置いてあった、建物の破片と思しき木材の板。 それをおもむろに掴み、怪物に向け思い切り振り降ろした。
「折れっ、た!?」
が、怪物の丸い頭に直撃した板は、中央から半分に折れていた。反動で両手にじいんと痛みが伝わるが、怪物の方は少し動きを止めただけで、痛がる様子はまるでない。
次の行動を取るよりも速く、もう一体の怪物によって押し倒されてしまう。 凶悪な牙が、首を目掛けて振り下ろされる。自分に訪れる衝撃と痛みを予測し思わず目を閉じた、そのとき。
僅かな浮遊感を感じた後、全身の感覚が消え、視界が真っ白になった。再び視界が開けた時、目の前にあったのは自分の体で。意識だけが体を離れて漂い、体を外から見つめていると直感的に理解出来た。
勝手に動く自分の体が手に持っているのは、長さが半分になった頼りない木材。しかし、その木材を軽く振るっただけで、目の前の黒い怪物が真っ二つに切り分けられていた。まるで、羊羹を包丁で切り分けたようにあっさりと。
切り裂かれた怪物の体は、黒い靄のように空中に消えていった。
次の瞬間、自分の口から出たとは信じられない程鋭い気合が聞こえた。円を描くように棒が降りぬかれれ、取り囲んでいた怪物達全てが一瞬で消滅する。
静寂を取り戻した境内に残っているのは、無傷の自分の体だけ。
危機が去り、安堵した次の瞬間、また視界が真っ白に染まる。今日二回目の浮遊感に翻弄されつつ、ゆっくりと意識は遠のいていった。