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第一章【四】 半月

「あ、椎ちゃん。ちょっと待って」

 帰りの支度をすませて店を出ようとしたところで、叶重に呼び止められた。

 椎は開きかけた扉を閉めて、叶重に向き直る。

「なんですか?」

 そのすぐそばで帰りの支度をしていた霞と目が合った。

 叶重が霞の肩を叩く。

「霞くん、椎ちゃんを近くまで送ってあげて」

「……なんで」

 霞は店の制服を鞄にしまうと、立ち上がった。

 その目にわずかながらの批判が含まれている。

 叶重はにこにこと笑いながら霞に言った。

「だってこんな夜中に女の子ひとり、しかも高校に入ったばかりの歳の子が歩いてたら、危ないだろ?」

 椎はあわてて付け足す。

「私、高校生じゃない……」

「椎ちゃん、面接の時、年齢ごまかしてたでしょ」

「……」

 叶重の鋭いひとこと。

「……ッ、でも私、高校行ってないし……」

「でも年齢は高校生と同じでしょ?」

 椎は何も言い返せない。

 叶重は満足そうにうなずくと、霞に言った。

「っていうことでよろしく」

「なにがどうなって俺によろしくされるんですか」

「椎ちゃんひとりじゃ危ないだろ?」

「だからってなんで俺」

 椎は思わず叫んだ。

「あ、あの!」

 ふたりの目線が椎に向く。

「わ、私、ひとりでも帰れますから!」

 では、と頭を下げて、椎は早足で店を出た。

 叶重がため息をついたのが、気配でわかった。



「あーあ、行っちゃったよ。どうするの?霞くん」

 叶重がたずねる。その声には咎める響きがなく、状況を楽しんでいるのがすぐにわかった。

 霞は平淡な声でつぶやく。

「……別にどうも」

「彼女、次の日事件に巻き込まれてニュースとかになってたらどうする?」

「大丈夫だろ」

「敬語抜けたね」

「……」

 霞がそっぽを向いた。

 叶重は肩をすくめる。

「霞くん、最近笑わなくなったね」

「前からですよ」

「椎ちゃん、大丈夫かな」

「たぶん大丈夫です」

「霞くん、本当にいいの?」

「…………」

 たまりかねて、霞は店の扉を開けた。

「わかりましたよ。行けばいいんでしょうッ」

 彼にしてはめずらしく、語尾が少し荒立っていた。


     ***


 夜道とはいえ、やはり都会だ。ところどころに点いた明かりで視界はいい。

 表の大通りにはまだ明かりの点いている店もあり、騒がしかった。この時間帯は不良のたまり場になっているのか、やけに目つきの悪い若者が多い。椎はからまれないようにサッとパーカーのフードをかぶった。

 昼間に比べて人は減ったが、昼間にはいなかった種類の人間が夜にはいる。

 気をつけないと―――。

「きゃっ」

 軽い衝撃。

 誰かとぶつかったのだ。

「す、すいませ」

「おいおいおい!ちゃんと前見て歩けよ!」

 怒鳴り声が振ってくる。

 びくっと椎の肩がはねた。

 顔を上げる。椎は相手の顔を見た。

 相手と目が合う。

 それは、あきらかに不良と呼ばれる類の人間だった。

 ―――どうしよ。

 椎の背中に冷たい汗が流れる。

「きいてんのか、オイッ……って」

 男がこちらを見る椎の顔をまじまじと覗き込んだ。

「ひひっ、こいつは意外に可愛い顔してるじゃねえか」

 ―――やばい。

 呼吸が速くなる。早く、早く逃げなければ。

 体が動かない。

 そのときだった。

 黒い影が視界を横切る。

 突然男がうめき声をあげて倒れこんだ。

「……え?」

 椎はわけがわからずに呆然と男に目を向ける。

 何が起きたかわからないのは、男も同じだった。口をぱくぱくさせて、定まらない目で虚空を見ている。

「椎」

 耳元でささやく声。

「行くぞ」

 静かな瞳。

「……かすみ」

 ぐいっと腕を引っ張られて、されるがままに椎は走った。



「ちょ……っ、走るの速いって!」

 椎は後ろから必死に抗議した。

 腕を引かれているとはいえ、ついていくのがやっとだった。

 霞は誰にもぶつかることなくまるで流れるように人ごみの中をすり抜けていく。驚くのは、一緒に走っている椎も誰一人としてぶつかっていないことだった。

 ぶつからないように、霞に誘導されている。

 狭い路地に入ったところで、霞は止まった。

「待って……速いってッうわ!」

 車は急には止まれない。

 人も急には止まれない。

 椎は勢いあまって前のめりに倒れそうになった。

「わあっ」

 ぐいっと後ろに引っ張られて体勢を立て直す。

「おい」

 霞の声。

 椎は顔を上げる。

「……大丈夫か」

 椎は息をのんだ。

 すぐ目の前に霞の顔があった。いつも通りの表情のない顔がそこにあった。

 別に顔が近かったからといって、霞の雪のように白い肌に見とれてしまったり、静かな瞳にかかるまつげが長いことに今更ながらドキドキしたりなど、そういうことはしていない。けっしてしていない。

 それでも椎は、自分の顔が赤くなっていくのを隠すことができなかった。

「……本当に大丈夫か?真っ赤だぞ、顔」

「う、うるさいって」

 その原因は霞にあるというのに。

 椎は首を振って霞から離れた。

 そのときふいに椎は気づいた。

 霞の無表情からは、冷たい印象がまったく感じられなかった。本当の意味の『いつも通りの顔』。もしかして、霞は笑うことができないのではなくて、あえて『笑わない』のではないかと。

「ねえ」

 椎は霞の服の裾をつかんだ。

「わらってよ」

「は?」

 とまどったような声が返ってきた。それでも霞の無表情は変わらない。

 椎はふふっと笑った。

「だって、笑わないと、顔の筋肉固くなっちゃうよ。今のうちに笑っておかないと、大人になってから顔がよぼよぼになっちゃうんだから」

 それに対しても霞は無反応だった。

 椎は大きくため息をつくと、唐突に話題を変えた。

「さっき私が不良にからまれたとき」

 椎は霞の顔を見あげる。

「どうして来てくれたの?」

 霞が椎を見下ろした。霞の肩までしかない椎の身長では、霞がどうしても見下ろす形になってしまう。 霞が不思議そうな声で聞き返した。

「来てほしくなかったのか」

「そうじゃなくて」

 椎は霞の前に回りこんだ。

「面倒臭そうだったよね、私送ってくの」

「ああ、そのことか」

 霞が納得のいったようにうなずいた。

「叶重さんに言われたんだ。というよりあれは脅しだったな。次の日斬殺死体になって発見されたらどうするんだって。しつこかったから」

「ざ、斬殺死体……」

「そう、斬殺死体」

 言いかけた、霞の言葉がふと止まった。

 しばらく何かを考えるように腕を組む。

「どうしたの?」

「……いや……なにか違ったような気が……」

 そうつぶやいて再び顎に手をやるが、考えてもわからなかったのか、それともどうでもよくなったのか、霞は別の話題を振ってきた。

「どのあたりだ?」

「ん?」

「家」

 椎は霞の顔を見あげる。霞からそういった質問をされるのが少し意外だった。

 霞が椎のその表情に首をかしげる。

 椎はすぐに笑顔になると、口に手を当てて答えた。

「うーん、もうちょっと」

 月が出ていた。

 ちょうど半分かけた、半月。

 霞が目を細めた。

「……綺麗だな」

 椎も上を見上げた。

「ほんとだ」

 でも。

 椎はそっと隣を盗み見る。

 でも、そうやって月を見あげている霞の瞳も、空に浮かぶ月と同じくらい静かで綺麗で。

 吸い込まれそうになる。

 ―――だけど、ね……。

 椎はぷっとふきだした。

「綺麗だなって思ってる顔じゃないよ、それ」

「顔はどうでもいいだろう」

 霞の声が少しムキになって返ってきた。

 椎は月を見あげて笑った。

「だってずっと無表情なんだもん。さっきもそうだったけど、接客してるときもまったく笑ってなかったでしょ」

 そのあとに小さく付け足す。

「でも目は本当に綺麗」

 霞が椎の顔を見た。その目が驚いたように見開かれていた。

 椎は楽しかった。とても幸せだった。

 ずっとこの時間が続けばいいのにと、心の中で願った。


     ***


「それでよお……って、聞いてるか?」

 ウメノの声に、霞は顔を上げた。

「ん、ああ。なんだった?」

「なんだよ、聞いてなかったのかよ」

 ウメノは小さく舌打ちすると、狸のような腹をさすり、再び上機嫌に話し始めた。

 にぎやかな店である。かなり繁盛しているらしく、店の中は妖怪たちでごった返している。猫の妖怪が忙しそうに注文にまわっていた。

 霞はそれらをつまらなさそうに眺めていた。湯飲みにはなぜかお茶ではなく白い酒が入っているが、一向に減る気配がない。

「お、ぜんぜん飲んでないじゃねえか」

 ウメノが湯のみの中の酒に気付き、声を上げた。

「飲まねえならもらっちまうぜ」

「……勝手にしろ」

 霞はため息をついた。

「じゃあ、遠慮なく」

 ウメノが湯のみをぐいっと飲み干す。

「ぶっ」

 吐き出した。

「……汚いな」

「って、甘酒じゃねえか!これっ」

「酒は酒だろ」

 霞は着流しの首元を開けて手拭いを取り出した。

 ウメノはそれを無言で受け取る。

「……霞、あんた最近、おかしくねえか?」

 霞はウメノを見た。

「どういう意味だ」

「いや、まあなんとなく思っただけだから、気にしてもらわなくて結構なんだけどよ」

 霞から借りた手拭いで自分の服を拭きながら、ウメノはつぶやく。

「なんか焦ってるっていうか……よくため息つくようになったよな」

「……前からだよ」

 霞は頬杖をついた。頬杖をついたほうの手で軽く耳を塞ぐ。

 ウメノが嘆息するのが聞こえた。

「そういえば、スグルさんから伝言があったよ」

「伝言?」

 ウメノがうなずく。

 霞を手招きして、その耳元でなにやら告げる。

 霞の目がゆっくりと、大きく見開かれていく。

「……なんだと」

 ウメノが霞から離れる。霞のその顔に、表情はなかった。

 いつも通りの無表情のまま、霞はウメノを見据えた。

「……おい」

 霞がくいっと顎を引く。


「スグルに会わせろ」


 その声は、いつも以上に静かで、むしろ冷たささえ感じられた。


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