第一章【参】 アルバイト
「とりあえず、これ一応店のユニホームだから」
そういって叶重が渡してきたのは、黒と白のワンピースだった。
椎は丁寧に折りたたまれた服を広げる。
「か、可愛い……」
椎は思わずつぶやいた。
派手すぎず、地味すぎず。店の雰囲気によく合うように作られている。袖や襟の部分にレースが入っているが、対して気になることはない。
「気に入ってもらえてよかったよ」
叶重がにこにこと笑って言う。
「あ、これは宮間くんのだね」
叶重は袋からもう一着服を取り出した。
「ありがとうございます」
宮間が叶重から服を受け取った。
「着替えたいんで、トイレ借りていいですか?」
「どうぞどうぞ」
宮間がトイレに入ってしまって、椎はどうしようかと周りを見回す。
「女の子にトイレで着替えろっていうのは悪いからね。事務室、使っていいよ」
叶重が椎に笑いかけた。
「あ、ありがとうございますっ」
「五分後に事務室で分担決めるから、それまでに着替えてね!」
うしろから叶重の声が追ってくる。
椎は事務室の扉を閉めた。
「……あの、俺は」
残された霞が困ったように叶重を見る。
叶重はひらひらと右手を振った。
「服は持ってるだろ?トイレで着替えてきなよ。僕はもう着替えたから」
霞はなにか言いたげな目で叶重を一瞥してから、諦めたようにため息をつくと、鞄を持ってトイレに入っていった。
霞がトイレに入ると、入れ違いで宮間が個室から出てきた。
「……宮間」
霞が呼び止める。
宮間から返事はなかった。
「無視するな」
霞が宮間の肩をつかんだ。
「触らないでください!」
予想外に大きな声が返ってきて、霞は思わずその手を離した。
「あ、あの、すいません。そういう意味じゃなくて」
「……いや、悪かった」
霞に頭を下げられて、宮間はうつむいた。
「あの……わかってますよね」
宮間は小さくうなだれる。
うなだれたまま、頭がおかしいといわれるのを覚悟で確かめてみる。
「僕がその……人に触れることで人の心が読めるようになるって、気付いてますよね」
霞がうなずく。どこまでが本気かわからない無表情。
「心だけじゃなくて、記憶までのぞけるんだろ。散々な能力だな」
本当に散々だ。
だがそれよりもまず、精神科を進められなかったことに宮間はほっとした。
「そうですね。……あの」
宮間は顔を上げた。
意外にもゆっくりとした呼吸で、落ち着いた声で。
宮間は訊いた。
「霞さん。あなたは何者なんですか?」
「霞くんと宮間くん、遅いなー」
叶重が店の時計を見上げた。
「喧嘩でもしてるのかな」
カウンターにある小物の中から、一枚の写真を引っ張り出す。
そこには霞と叶重、それともう一人、女性が写っている。
「……これは誰だろうな」
叶重はつぶやいて、写真をパタンと伏せた。
「霞さんは……」
霞が目線を床に落とした。
「すごいな」
「え?」
霞がすっと手を伸ばした。
「いったいどこまで見たんだ。俺の過去のことも……?」
その手が宮間の首筋をなでる。
その瞬間に膨大な量の声が聞こえはじめる。奥深くまで進んでいくそれは、やがて過去を見せ始める。
―――狂いそうだ。
宮間は霞から離れた。
「すいません……」
霞がため息をつく。
「それにしてもな……。何者ってずいぶんアバウトな質問だな」
「す、すいません」
うつむいたままの霞の顔の隙間から、一瞬だけ悲しそうな表情が見えた。
「いいよ。俺は叶重みたいに人をからかうことはしない。真面目に答える」
霞が顔を上げた。無表情だった。
森の奥にたたずむ湖のような、静かなその瞳で。
霞は言った。
「妖怪って、知ってるか?」
「それじゃあ、担当の分担を決めようか」
店員四人が事務室の席に座り(ここが面接会場だった)落ち着いたところで叶重がそう切り出した。
椎がさっそく手を上げる。
「いままではどうやっていたんですか?」
叶重と霞が顔を見合わせた。
「どうって……普通に、厨房と接客とバーカウンターを臨機応変に……」
「……そんなのでよくやれていましたね」
椎は感心すら通り越してあきれていた。
だからこそバイトが必要になったのだろう。いくらパブのような小さな店とはいえ、たった二人の従業員では対応しきれるわけがない。
叶重があごに手を当てる。
「そうだなあ……僕は今までどおりバーカウンター担当でいいと思うんだけど……。霞君はなんでもできるよね。何やりたい?」
「いや、俺はなんでも……」
「あ、あの」
申し訳なさそうに宮間が手を上げた。おそるおそる叶重を見上げ、小さな声で尋ねる。
「あの、僕、厨房担当してもいいですか?」
「うん、どうぞどうぞ」
あっさり決まった。
「じゃあ俺接客やりますよ」
霞がいう。
決まっていないのは椎だけになった。
「あ、あの、私は」
「じゃあ君は唯一の女の子として、接客にまわってもらおうかな」
叶重が笑った。
椎は顔を上げる。心を読まれたかと思った。
どうせ決まってなかっただろう?と目線で合図を送られる。
椎はうなずいた。
「おねがいします!」
「元気がいいねえ」
叶重が目を細める。庭先でひなたぼっこする老人みたいだ。
椎はふと気になった。
「あの……。この中で一番の最年長って、叶重さんですか?」
「うん、そうだよ。歳は言わないけど」
叶重がうなずく。
「ちなみにそのつぎに年上なのは宮間くんだね」
椎は宮間を見た。宮間が小さくお辞儀をする。
叶重は楽しそうに続ける。
「そのつぎが椎ちゃん」
「え?」
椎は驚いて霞を見た。
―――私より、年下?
とてもそういうふうには見えない。
霞がため息をついた。
「俺は、自分の正確な歳を知らないんだ。だからこの中で一番年上かもしれないし、年下かもしれない」
「永遠の二十代ってやつだね」
「……」
叶重のさわやかな笑顔。
よくわからなかったので突っ込まなかった。
霞が小さくため息をつく。
「叶重さん、椎が困ってますよ」
「そうかい?僕には普通に見えるけど」
叶重はしれっと答える。霞がさらに深いため息をつく。
「じゃあ僕はちょっと取ってくるものがあるから」
鼻歌交じりに店へと行ってしまった。
叶重がいなくなって、とたんに店内は静まり返る。
「……」
霞が近くの壁にもたれかかった。
椎は霞に訊いた。
「……叶重さんっていつもあんな感じなの?」
霞はちらっと椎を見た。
すぐにふいっと目を逸らす。
「……まあな」
椎はふっと笑った。
そのとき。
五時を告げる音楽が外から響いていた。
少し遅れて店の時計から鳩の鳴く声が聞こえてくる。
「開店の時間だよ」
叶重が店から顔をのぞかせた。
その手には、『祝、リニューアルオープン』と書かれたたすきがぶら下がっていた。
アイリッシュ・パブ「FIRE」は、意外に儲かっていた。
パブというよりどちらかというと飲食店に近いもののあるこの店には、会社帰りに飲みに来るサラリーマンや、外食をしにきた家族連れなど、さまざまな層の客が集まってくるのだ。
とはいえ、小さな店にしては儲かっているというだけで、それほど忙しいわけでもない。
時間帯によっては一人も来ない時間もあるし、くるときは三団体ほどまとめてくるときもある。
「どうせ来るならうまく分かれて来てほしいよね」
叶重はそういうが、そうなると休憩時間がまったくなくなることに彼は気付いているだろうか。
深夜十二時。
「終わったあ!」
閉店時間が来た。
「この服、首元苦しいし窮屈なんだよね」
叶重がぶつぶつ言いながら、ネクタイを緩め首のボタンを外す。
「……あれ、宮間くんは?」
「厨房で洗い物片付けてますけど」
「じゃあ、霞くん。宮間くん呼んできて」
椎は事務室で着替えていた。
初日だったためなかなか慣れることはできなかったが、そこは一緒に接客をやっていた霞がカバーしてくれた。
―――いい体験になったかな。
パーカーを羽織る。
そのとき事務室の扉がノックされた。
「みんな集まってるから、店に来てくれる?」
叶重の声。
「はい、すぐ行きます」
椎は鞄を持つと事務室から出た。
霞と叶重はすでに私服に着替えていた。宮間はまだ店の制服のままだ。
「おつかれ、椎ちゃん」
「あ、お疲れ様です。叶重さん」
椎はぺこりと頭を下げる。
叶重はひらひらと右手を振ると、近くの椅子に腰掛けた。
「うん。みんなお疲れ様。お客さんもけっこう来てたけど、よく頑張ったね。宮間くんは店のメニューはじめてのはずなのにすぐに覚えて作っちゃったし。椎ちゃんもしっかり接客できてて……まあちょっとドジしたところもあったけど、それはそれで可愛いんじゃない?」
「え……え?」
椎の顔がかあっと音を立ててと真っ赤になる。
くすっと宮間が笑ったのが見えた。
「ちょ……っ、笑わないでください!」
まあまあというように叶重が椎をなだめる。
霞が何か言いたげな目線で叶重の顔を見た。
叶重は肩をすくめる。
「じゃあ、もう時間も遅いし、解散ってことで」