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第四章【弐】 紗江という女性

 スグルが笑った。

「これで話しやすくなったかい?」

「……まあ。でも」

 霞は椎の出て行った扉を見つめて、それからスグルに目をやった。

「俺に聞かなくても、だいたいの予想はついてるだろ」

「まあね」

 スグルが茶目っ気のある笑みを返した。しかし目が笑っていない。

「ツキフジだろう?君をやったやつ」

「わかっているなら訊くな」

「いや、そうじゃなくてね」

 スグルの声がふいに低くなった。

「もうひとり、いるんじゃないかと思って」

「……」

 霞は目を細めた。

「どういう意味だ?」



 ウメノに進められるまま、椎はソファに座った。

 落ち着かない。腰のあたりがむずむずする。

 一方で前に座るウメノはやけに落ち着いていた。

 椎をまっすぐ見て、薄く笑う。

「落ち着かないか?嬢ちゃん」

「なんか……」

 椎はつぶやいた。

「なんか、だれかに見られてるような気がして」

「さすが。嬢ちゃんはカンがいいな……。霞の影響か?」

 ウメノが感心したように目を開いた。それから部屋を示した。

「嬢ちゃんの言うとおり、ここには小さな物の怪がいっぱいいる。嬢ちゃんは感じることしかできねえようだが、紗江はこれが全部見えたのよ」

 ひょいっと手を伸ばしたウメノがおもむろに何かをつかんだ。「ほれ」言われても、何も見えない。「……」椎は困ったように顔を上げた。私にどうしろと。

 それを見て、ウメノが唇の端を釣り上げた。笑ったのだとわかった。

「紗江は、よくこうやって物の怪と遊んでたんだよ。あいつが子供の時から俺らはここにいて、あいつも―――よく遊びに来てた。人間にしては強すぎる力だったからな。だから妖怪とのほうがウマが合ったんだろ」

 椎は部屋を見渡した。そうやって遊んでいる紗江が、いるような気がしたのだ。

 ウメノがふいにいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「そうそう、紗江なあ。あいつ、半年か一年かそのくらい、霞と同居してたんだよ。子供と一緒に」

「へ?」

 思ったよりも椎の反応が新鮮だったのか、ウメノが目を細めた。にやりと笑う。

「同居だったら嬢ちゃんもしてるだろ?」

「……まあ。いや、その、でも……子供って」

「安心しな。霞との子供じゃねえよ」

 椎はほっと胸をなでおろした。ウメノの笑みが濃くなる。

「叶重の子供だ」

「はっ?」

 思わず立ち上がった。体を前に乗り出して尋ねる。

「どういうことですか?」

「そのまんまだよ。叶重と紗江は恋人で、子供もいた。式は挙げてねえらしいが、婚姻届も出してたみてえだしな」

「でも……、霞と同居って」

 ウメノが息を吐いた。

「あのな、嬢ちゃん。考えてもみろ。あの二人がそんなこと気にすると思うか?あいつらにとってはお互いがお互いのことを好きっていう事実があればそれでいいわけで、だから霞と紗江が同居してたってなんの問題もないんだ。紗江が霞のこと好きになるはずないって信じて疑ってなかったからな、叶重も」

 考えてみろと言われても困る。椎は眉をひそめた。

「でもそんなの……」

「そんなのわからないって?」

 ウメノが挑発的にわらった。

「紗江だって馬鹿じゃないんだ。知ってるさ、霞は妖怪だ。時を同じくはできない。叶重も薄々気づいてるだろうよ。霞にしたってそうだ。人の子に思いを抱いたって、そこに流れる時間を変えることはできない。それでも人を捨てることができないから、あいつはこっち側になれないんだ。それは霞が一番知ってる」

 椎は薄く唇をかんだ。うつむく。返す言葉がなかった。

 ウメノがおもむろに言葉を投げた。

「嬢ちゃん、あんた、霞に惚れただろ」

「!」

 椎は顔を上げた。

「……っ、そんなんじゃ」

「どこに惚れた?顔か?それともあの無愛想なのがお好みなのか?」

「だからそんなんじゃないって……っ」

 椎は言葉を飲み込んだ。ウメノがこちらを見ていた。その目はまっすぐ、椎へと向けられている。

「俺は真面目に忠告してるんだ。止めときな。あいつはなにを考えてるかまるでわからねえ。唯一はっきりしてる感情は、ツキフジへの憎しみだ。巻き込まれても知らねえぞ」

「……あの」

 椎は、口を開いた。いままでずっと聞こうと思っていたこと。今なら訊けると思った。

「霞とツキフジの間に、なにがあったんですか」

「俺も詳しいことは知らねえよ」

 あっさりと返された。

椎は食い下がろうと身を乗り出した。ウメノがそれを片手で制した。

「紗江はお前の母親に殺された。霞だって、色恋沙汰の感情は抱いてないかもしれないが、少なからず紗江を大切に思ってたはずだ。目の前で殺されて、平気なはずがない。嬢ちゃんの母親は、ツキフジに憑りつかれてたんだってな。それで用が済んだら殺された。言っちまえば被害者だ。巻き込まれただけ。だったら怒りの矛先は誰に向かうと思う?」

 ウメノがくいっと顎を上げた。

「ツキフジだ」

「ツキフジ……」

 椎はその名前を小さくつぶやく。

 刻みつけるように。

 胸に、胸の奥に、刻み付けるように。




「どういう意味って……」

 霞が寝ている布団のはしに腰掛けて、スグルはつぶやいた。

「ツキフジとは五年前の事件よりもずっと昔から恨みとか妬みとかそういう関係があったけどね。どういう関係にしても、そんな長い付き合いの中でずっと気になっていたことがあったんだ」

 スグルは軽く目を伏せた。

「すごく素朴な疑問さ。どうしてツキフジはあんなに歪んでいるのに、綺麗に見えるんだろうって。まるで彼の黒くて汚い闇の部分を別の誰かに全部背負わせてるみたいだ」

「……」

 霞がスッと目線をそらした。

「俺はツキフジが綺麗だとは到底思えない」

「霞は素直だからね」

「なにがわかる」

 霞がスグルをにらむ。

 スグルはそれを見て困ったように眉をひそめた。

「一応君にとっての居場所だろう。ここは」

「だから俺はこの居場所は好きじゃないと……」

 言いかけて、霞は嘆息した。まぶたの上に腕を乗せて、目を閉じる。

「……もういい」

「あきらめたのかい?」

「そういうわけじゃない。つかれただけだ」

「ふーん」

 スグルが目を細めた。

「なんか、懐かしいね」

「……」

 霞は返事をしなかった。ただ、少しだけ薄目を開けてスグルを見やる。

 スグルは天井より少しだけ下のほうを向いて、座っていた。寝ている霞からその表情は見えなかった。

「なんかこうして二人で話すこと、なかなかなかったなって思ってね。ほら最近霞、人間界で生活してるからさ。話し相手、ウメノしかいなかったんだよ」

「他にもここには妖怪がいるだろう」

 つぶやいた霞に、スグルは微笑みかけた。

「そうなんだけどね、目線がどうしても合わないっていうか……。霞とかウメノとかは僕にあまり気を使わないだろう、だから話しやすいんだよ」

「俺は話しにくいな、スグルとは」

「そうかい?」

 霞は小さくうなずいた。

「スグルは裏で計算立ててから話すだろ、なにかに利用しようとしてるのが丸見えだ」

「ぷっ」スグルがふきだした。「やっぱり面白いなあ、霞は」

「うるさい」

 霞は不機嫌に言葉を返す。

「だから紗江も叶重を選んだんだろ。スグルは組織のリーダーとしての才能ならあるけど、友達を作る才能はない……とかなんとか」

「そういえば言われたなあ、そんなこと」

 スグルが笑ったのがわかった。中身のまるでない、空っぽの笑みだと霞は思った。

「今思うと、彼女、霞に似てないかい?」

 霞はスグルからそっと目をそらした。

「まあ、半年間とはいえ一緒に住んでいたから」

 息を吐く。片手で片方の耳を塞いでいた。耳鳴りがする。

 スグルが続ける。

「彼女の最期を見たのは君だからね。君もあの場にいたんだろう。自分の子供をかばったんだってね」

 霞は耳を塞いだ手は離さずに首だけでうなずいた。

 スグルがつぶやく。

「霞、過去から逃げるな。紗江を殺したのは椎の母親。君も憎かったかい?あの殺人鬼が」

「……椎の母親を悪く言うな」

 霞はつぶやいた。耳鳴りが大きくなる。

 意識が朦朧とし始めたとき、ふと、思った。

「スグル……例えば誰かを殺して、その殺した人物になりきって生きていけば、ある意味過去は消すことができる」

「何が言いたいんだい?」

 霞は、うめく。

「ツキフジも、殺した誰かになりきっているんだったら……過去を見たら、綺麗に見えるのかもしれない」

 ―――…でも、それは。

 頭の中で、小さな警告が聞こえる気がする。

 しかし朦朧とする意識の中ではその警告がなんなのかを考える力など残っていない。

「……く…そ……」

 かろうじて絞り出した声は、自分のものとは思えないほどにしゃがれて聞き取りずらかった。

 頭が割れそうだ。片手だけではふさぎきれなくなって、霞は両手で耳を塞いだ。それでも耳鳴りはやまない。むしろひどくなる。

「霞……?」

 異変に気づいたスグルが立ち上がって霞に触れた。

「どうした……」

 訊くまでもないと思った。

 ひどい熱だ。見るからにうなされている。


 スグルは小さく息を吐いた。

「困ったなあ。君には早く元気になってもらわないといけないのに」

 それからすっと目を細める。

「ツキフジについてるもう一人の“影”は気になるけど。霞を最初にやるなんて、ツキフジも考えたね。けど、やられっぱなしは嫌だなあ」

 汗ばんだ霞の頬に触れて、スグルは笑った。

「……まあ、こっちにも考えはある」


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