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第二章【伍】 守りたい

 薄暗い森の中に椎はいた。

 地面に寝転がった状態で、ぼうっと空を見上げている。

「……ここは」

 つぶやいて起き上がった。とたんに空気の冷たさに身震いした。

「……」

 手をゆっくりと持ち上げる。椎はその手をじっと眺めた。

 半分に透けている。

「……夢……」

 いつもの夢―――なのか。

 たしかさっきまで、霞と一緒にいて。それから。

 ―――私、寝ちゃったんだ。

 霞の上に乗っかったままの態勢で。

 頭の中でその光景を思い浮かべて、椎の顔は耳まで真っ赤になった。

 そういえばさきほどから、声が聞こえる気がする。

 数人の声。怒鳴るような。喚き散らすような。

「おい!どこにいった!」

「探せ、まだこの近くにいるはずだ」

 確実にこちらに近づいてきている。それがわかった瞬間、恐怖がこみ上げてきた。一気に血の気が引いていく。夢のはずなのに、怖い。恐い。

 足音が近づいてくる。

 木の隙間から鬼の顔をしたものが見えた。椎は悲鳴がもれないように口を押える。

「ん?」

 鬼が気づいた。目が合う。

「……人間の女じゃねえか」

 ゆっくりと手を伸ばしてくる。

 足がすくんで動けない。言うことをきいてくれない。

「いや……いや……」

 鬼がいやらしく笑った。

「ひっ、どうしてこんなとこに迷いこんじまったかは知らねえが……うまそうだ」

「……やめて…こないで」

 ゆっくりと後ずさりをする。その手が何かをつかんだ。


 ―――つかみ返された。


「え?」

 一気に引っ張られ、椎は転がる。

「逃げるぞ」

 低くて静かな、それでいて凛とした声。この夢の中では、何回かきいたことがある。

「あなたは……」

 カラスの布面の。

「話はあとだ」

「きゃあ」

 体を持ち上げられて、椎は小さく悲鳴を上げた。

「あまり下を見るなよ」

 ばさっと羽ばたく音がした。

 体が大きく持ち上がった。そのすぐ脇を矢がかすめる。

「!」

 椎はハッとなって彼を見た。

「……狙われているのは俺じゃない、お前だ」

 しっかりつかまっていろ、とつぶやいて彼は黒い翼を二、三度大きく動かした。

「行くぞ」

 そのまま見えないなにかに突き出されるように彼は空を蹴った。

 風の音が耳を切る。

 気が付いたら椎は森の上にいた。

「すごい……」

「感心している暇はない」

 飛んできた矢を彼が受け止めた。そのまま急降下すると、すごい速さで空を駆けた。

 次から次へと飛んでくる矢をよけながら、彼が椎にいう。

「お前が狙われている理由」

 椎は彼を見た。

「聞きたいか」

 椎はうなずく。

「それならまず最初に言っておくが、ここは人間界じゃない」

「それってどういう……」

「ここは人間界でいう、『あちら側の世界』。つまり、うつつではない場所―――あやかしの住む世界」

 椎はとりあえずうなずいた。透けてこそいるが体はしっかりと翼の彼と触れている感触があるし、刺すような風も痛いほどに冷たい。痛みは現実のもの。彼の言っていることが本当だとしたら、矢で刺されれば死ぬかもしれない。

「お前の母親は、妖怪に取りつかれていたんだ」

 彼は語りだした。

「もともとお前の母親の中にあった闇の部分をそいつは無理やりこじ開けた。闇が広がれば不安は大きくなる。その結果がどうなったかはお前が一番よくわかっているだろう。とはいっても、心を強く持てばすぐにもとに戻るんだ、ああいうものは。だがお前の母はそれができなかった」

 椎の頭の中に心を強く持てと言った母の顔が浮かんだ。

「それを取りつくというのには少し語弊があるかもしれないが、それでもお前の母親の暴走の原因を作ったのはその妖怪だ。そしてその妖怪は用済みになったお前の母親を、処分した。―――自分の手を汚さずして」

「それがどうして私が狙われることにつながるの?」

 彼の布面をつけた顔がちらっと椎を見た。

 それから前に向き直って、


「――――――今のお前の心が不安定だからだ」


 聞こえた声は、あっけないほどまっすぐに椎に突き刺さった。

 風を切る音。

 矢が飛んでくる。

「危ないっ」

 椎は叫んだ。矢が彼の頬をかすめる。布面が空に舞った。


     ***


「そうしているうちにいつの間にか、表情を意識的に作るようになった。でもそうすると、自分がどこにいるのかわからなくなるんだ」


 笑えないわけではない。笑わない。

 表情を作れないわけではない。作らない。

 自分がどこにいるのか、わからなくなるから。


 じゃあ、今は?


     ***


 椎は息をのんだ。

 霞がそこにいた。

 真っ黒い大きな翼をしたがえて。

 驚く椎を見下ろして。

 霞は笑っていた。


 悲しそうに。



「……なんで霞が、ここに?」


     ***


 目が覚めた。

 あたりは真っ暗になっていた。

「……霞」

「バイトは遅れるって叶重さんに連絡入れておいた」

 木の陰から声がした。

 振り向くと、そこに霞がいた。木にもたれかかる態勢でこちらを見ている霞の背中には黒い大きな翼があった。

 ―――やっぱり夢じゃなかった……。

「霞……背中」

「ああ」

 霞が視線を翼に向けた。

「確かに目立つな」

 つぶやくのと同時にいままでのことが嘘かのように背中の翼が消える。

 空気が冷たい。椎は身震いした。

 顔を上げる。霞はいつもの無表情でどこか遠くをみつめている。

 椎はぐっと唇をかんだ。

「ねえ、どういうこと?」

 霞につめよる。

「私はわけがわからない。なんで霞があそこにいたの?どうして私は夢の中で妖怪の世界にいたの?なんで」

 椎は小さく手を握った。

「なんでお母さんが、妖怪に」

「今説明する」

 霞の静かな声に、椎はおとなしく言葉を飲み込んだ。

 ―――さっきから、『なんで』ばっかだ……。

 椎はぎゅっと目をつぶった。そうでもしないと泣きそうだった。

 霞が眼下に広がる夜景に目をやった。

「今の時点で簡単に説明できることは―――」

 霞が言葉を止めて椎を見る。

「最初に一言いっておく。信じる信じないの自由はない。これから俺の言うことすべて、……信じろ」

 霞の声がいつもより低くきこえた。

「まず、俺はカラス天狗という妖怪だ。夢の中でお前に会っていたのはお前に死なれたら困るからだ。お前も一応被害者だから」

 霞の声が淡々と響く。

「俺は、とある組織から依頼を受けている。依頼内容は本当に簡単。お前の母親に取りついて殺させたやつを探せ、と。始末までは言われていない。そして、お前の母親の暴走の原因ともなった妖怪は、」

 霞の声が止まった。

 なかなか続きを話そうとしない。椎は霞を見た。

 霞は小さく唇をかんで、うつむいていた。その姿は迷っているようにも見えた。

「……その妖怪は」

 霞が口を開いた。

「その妖怪は、ツキフジという名の妖怪であるということ。あいつはいろいろな場所から恨みを買っていて……」

 ぎりっと霞のこぶしが握られた。火傷のある右手だった。

「……この火傷の跡も、あいつさえいなければ……ッ」

 一瞬目に映ったのは、明らかな憎悪。そして怒り。

 ―――霞もこんな顔するんだ……。

 触れられない。遠く感じる。でも愛おしい。

 椎は霞にそっと近づいた。

「霞」

 呼びかける。

 返事はない。

「私ね、慣れてるんだ。なんでかよくわからない理由で悪意を向けられたりするの。でもね、さすがに妖怪に狙われたことはないかな……」

 無言の背中にもたれかかる。暖かい。

 ―――でも、命が狙われてるんだよね。

 霞が憎悪するほどの相手に。

 そう思ったとたんに体が震えはじめた。そのまま立っていられなくなり椎はその場に座り込んだ。

 平気なふりをしていたいのに。大丈夫だと言いたかったのに。

 どうしようもなく、恐い。

「椎」

 霞の声。ふわっとした暖かい感触。何かに包まれる。

 それは翼だった。黒くて大きな、霞の翼。

「お前を死なせない」

 小さな声。

 聞き逃してしまいそうなほどに小さい。それでいて凛とした霞の声。

 椎は顔を上げた。

「俺が責任を持って守る。約束する」

 霞の瞳はいつもの底のない静かな湖ではなかった。湖には底がある。魚もいる。四季折々にたくさんの変化を見せる。


 小さな決意の色が見えた。



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