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同盟者―1

 ラスがシィンを捜す為に神殿を出奔してから一月ひとつき近くが過ぎた。

 手がかりは、皆無だ。

 彼女の容姿が人目につかないわけがない。そして、一度ひとたび誰かが目にすれば、それはたちまち噂になるだろう。それにも拘わらず、全く、手がかりが現れてはくれないのだ。

 ラスは立ち寄った酒場で食事を摂りながら、忸怩たる思いを噛み締める。

 『神の娘』のことは敢えて口にしなくても、自然と耳に入ってくるだろう。そう考えて、ラスはひたすら蛮族どもの情報だけを追い続けていた。

 彼が蛮族の存在を知ったのは、神殿でのあの二人の会話を耳にした時だった。それまでは、最高神アーシャルに護られたこの国を侵そうとするものがいるなど、夢にも思っていなかった。アーシャルに護られた国は、常に平和で、豊かで、幸福に満ちているのだと、そう信じていたのだ。

 だが、こうやって辺境の地をさ迷い歩くうちに、それがただの幻想に過ぎなかったことを思い知らされた。

 同じようにアーシャルに信仰を捧げ、同じように大神殿に供物を届けているというのに、中枢から遠く離れたこの地では、災害に、そして蛮族に、常に脅かされていた。

 神殿は、忠誠を誓うのに値するものなのだろうか。

 一度忍び込んだ疑念は、日を追うごとに彼の心の中に染み込んでいく。

 そんなラスの中で、唯一変わらないものはシィンへの想いだった。

 彼女が神の現身などではないことは、もう解かっている。シィンは、ただの少女だ。何の力も持ってはいないというのに、自分のできる精一杯のことで、皆の幸せを願っていた、ただの少女だ。

 だからこそ、ラスはより一層、シィンを捜さずにはいられない。

 あの弱くて強い少女が、今、どんな目に遭っているのかと考えると、居ても立ってもいられなくなる。

 ぶどう酒が入った器を握る手に、無意識のうちに力が入った。

 と、不意に。

 トントン、と。卓の隅が叩かれた。

 ハッと顔を上げると、彼を見下ろしている、人好きのする笑顔を浮かべた一人の男の視線と行き合った。

「失礼、ここ、いいかい?」

 酒場に人は多いが、満席というほどではない。他にも空いている椅子はあるのに、何故、わざわざここを選ぶのか、と、ラスは眉間に皺を寄せる。

「ああ、ゴメンゴメン。ちょっと、話があってさ……『蛮族』のことで」

 最後の一言は、グッと潜めた声だった。

「何か、知っているのか?」

 身を乗り出したラスに、男はニッと笑う。

「僕はケネス。君は?」

「自分は――」

 そうしてラスは、自らのことを語りだした。


   *


 カイネはシィンとローグの姿を求めて、里の中をうろついていた。

 とは言え、その居場所はすぐに知れる。

 シィンがいるところからは、たいてい、歌が聞こえてくるからだ。

 耳を澄ませて、カイネは声を捜す。

 ――いた。

 風に乗って聞こえてくるのは、新しく覚えたらしい、恋歌だ。神殿では詞のある歌は歌ったことがなかった彼女だったが、この里に来てから、色々な人から色々な歌を次々と仕入れていた。

 方向を定めて足を進めると、歌声はどんどん近付いてくる。

 それは、明るく、朗らかで、柔らかい。

 かつて大神殿で聴いたものと同じ声なのに、全く違う歌だった。あの時の彼女の歌は、どこか落ち着かない気分を湧き上がらせた。だが、今の彼女の歌は聴く者を安らがせ、温かい気持ちにさせてくるのだ。

 青々と茂った木の枝を除けた拍子に、それがガサリと音を立てる。

 と、歌がピタリと止んだ。

 振り返ったシィンが、カイネの姿を認めて、満面の笑みを浮かべる。

「カイネ!」

 柔らかな下生の上にじかに座った彼女は、両手を突いて身を乗り出すと、嬉しそうに彼の名を呼んだ。

 その場にいたのは、シィンとローグだけではなかった。他に、5、6人の子ども達が、グルリとシィンを取り巻いている。その子ども達からは、「邪魔をしないで!」と言わんばかりの眼差しが、カイネに向けられていた。

「……ごめん」

 カイネは、つい、謝ってしまう。そんな彼に、シィンは更に笑顔になった。

「何で『ごめん』なの? 変なカイネ!」

 薬が完全に抜けた彼女は、まったくの別人だった。癇癪を起こすこともなく、さりとて、『おとなしい』ともかけ離れていた。

 初めて外に連れ出してやった時には少し怯んでいたが、あっという間に慣れ、今ではむしろ家の中にいるほうが珍しいくらいだ。長い神殿暮らしで衰えた脚も随分強くなったようで、子ども達と駆けっこをしている姿を良く見かける。

 髪の色も瞳の色も以前と全く変わりはないのに、神殿で見た時よりも、遥かに輝いて見えた。豪奢な衣装を身に着けていた時よりも、今の方がずっと綺麗だと、カイネは思う。

 そんなことを考えていたカイネの袖が、下から引かれた。見下ろすと、ローグがジッと彼を見上げている。

「ん、ああ、そうだ。アシクがシィンに話があるってさ」

 そもそも彼女を探していた理由を、思い出した。

「アシクが? 何で?」

 キョトンと、シィンが問い返してくる。それは、カイネ自身も知りたいことだった。

 『神の娘』シィンに特殊な力など無いことは、もう、アシクも知っている。ただ、変わった色を持つ、歌う人形だっただけだということは。

 カイネは、シィンに、この里で穏やかに、普通に生きていって欲しいと思っていた。彼女に、波乱はもう必要ないのだ。

 シィンには、この里が神殿打倒を企てている者の集団だとは、教えていない。元気になった彼女から神殿に戻りたいという言葉が発せられたことは無いが、赤子の時から生まれ育った場所のことを倒そうとしている者たちがいることなど、教えたくなかった。どうせ、この村で暮らす限り、大神殿がどうなろうと、彼女が知ることはないのだ。

 知る必要の無いことは、教える必要もない。

 アシクも敢えて何か言うつもりはなさそうだった――これまでは。彼が何を考えて今更シィンと話をしようとしているのかは判らないが、何となく、イヤな感じがした。

 カイネは、シィンの手を取って、引き上げる。すらりと立ち上がったその肢体は、出会った頃よりも、随分と丸みを増している。

「オレもよくわからないけど、とにかく連れて来いってさ」

「ふうん?」

 首をかしげながら、シィンはカイネに付いてくる。そして、当然のように、ローグも。

「よう、相変らずお前達は仲がいいな!」

「ちょっと、ローグ、たまには二人きりにしてやれば?」

 アシクの家は、里のほぼ中心に位置していた。道すがら、カイネたちの姿を見かけた住人から、次々と声がかけられる。シィンも、すっかり里の一員として受け入れられていた。

 アシクの家に着くと、カイネは軽く扉を叩いてから押し開けた。

「アシク、連れて来たぜ」

 気の抜けた声でそう言い、部屋の中へ足を踏み入れて、固まった。

「おう、入れや」

 気安くそう言ったのは、アシク。その隣にはムールがいて、もう一人、見知らぬ男がいた。大柄で、荒々しい顔付きのその男は、どこかアシクと似た空気を漂わせている。

「どうした? さっさとしろ」

 重ねて促すアシクに、カイネは気を取り直してシィンと共に足を進めた。物怖じをしないシィンは、初対面の男がいても、それほど気にはならないようだ。続いて入ってきたローグが、扉を閉める。

 それを待っていたかのように、アシクがヒラヒラと手招きをした。

「ほら、こっちに来い」

 何となく第三の男を警戒しながら、アシクは卓に着く。シィンを男から一番離れた位置に座らせたのは、無意識のことだった。彼女を挟む形で、ローグが座る。

「さて。おまけはいるが、まあ、いいか。シィンも一人じゃイヤだろう。リュウ、これがシィン、元『神の娘』だ。そして、こっちはリュウ、東からのお客さんだ」

「へえ、確かに、ここらじゃ珍しい色だな」

 リュウと呼ばれた男は、何の臆面も無い様子で、マジマジとシィンを見つめている。その視線を不快に思いながらも、カイネはアシクに顔を向けた。

「東からって、東の方の村?」

「いいや、もっと東。この国の外から来たんだ」

「は……?」

「まあ、言ってみれば、『蛮族』あるいは『侵略者』だな、ワシ達からすれば」

 あっけらかんと言うアシクに、一気にカイネの頭に血が昇る。椅子が倒れる勢いで立ち上がった。

「ちょ、アシク! 何暢気な事言ってんだよ!?」

 声高に叫びながら、カイネは剣を鞘から抜き放つ。

「そいつらなんだぜ!? オレの村を壊したのは!」

「落ち着け、カイネ」

「うるせぇ!」

 言うなり、卓に跳び乗り、男めがけて剣を振り下ろす。が、それは甲高い金属音と共に阻まれた。間一髪で、ムールの剣が受け止めている。目の前に死が迫っていた筈の男は、泰然として微動だにしない。

「邪魔すんな!」

 ムールの剣を力任せに払いのけ、返す刃を再び男に叩き付けようとした。その瞬間、腰の辺りがグイ、と引かれ、一気に床に落とされる。飛ばされる瞬間、アシクの顔がチラリと視界をかすめていった。

「ぐぅ……!」

 背中を強打し、息が止まる。悶絶するカイネに、引き止めていたローグの腕を解いたシィンが駆け寄った。

「カイネ!」

 覗き込んでくるその目に浮かぶのは、カイネを案じる気持ちと……怯えだ。その怯えは自分がもたらしたものだと気付き、彼はヒュッと息を呑む。

 起き上がろうとしたカイネの胸に、ドカッと何かが落ちた。アシクの足だ。踏み付けられて、起き上がろうにも起き上がれずにいるカイネに、彼が腰を曲げて顔を寄せる。

「落ち着けよ……ちょっとは落ち着いたか」

 足を載せたまま、アシクは説明を始める。

「いいか? 彼はお前の村を襲ったモンとは、全く関係が無い。外から来た者にも、色々いるんだ。リュウは、ワシらの協力者なんだよ。仲間だ、仲間」

「だけど、侵略者なんだろ!?」

「同じ言葉でも、一括りにはできんのだ」

 カイネには、何が違うのかが解らなかった。だが、それでも、一時の激情が通り過ぎ、少しは冷静さが戻ってくる。それを察したのか、ゆっくりと、アシクが彼の胸から足をどける。

 カイネは咳き込みながら立ち上がり、この騒動の中、終始落ち着いていたリュウを睨みつけながら、椅子を引いて腰を下ろした。


   *


 再び一同が席に着いたことを確認し、アシクが口を開く。

「先程も言ったが、このリュウは、ワシらの仲間だ……おっと、何も言うなよ、カイネ。いいか、目的を達成するには、手段を選ばねばならん。より効果があり、より被害が少ない手段をな。それが、彼と手を組むことだ」

「そんなの、裏切られるに決まってるだろ!?」

 噛み付くように言ったカイネに、アシクが苦笑する。

「そうならないように、利害を一致させるんだ」

 その後を引き取ったのは、それまで黙っていたリュウだ。

「この土地は肥沃だ。食料に困ることはないんだろう。俺達のところは、岩ばかりでな。良い鉱物は採れるが、食うもんがない。今回のことで手を組む見返りに、食料をもらいたい。これまで神殿に送っていたものの届け先が、俺たちに変わるだけだ。何の見返りもくれん神とやらよりも、俺らと取引する方がいいだろう?」

「そんなことを言っていて、いざとなったら裏切るんだろう?」

 ギラギラと燃えるような眼差しのカイネに対するリュウのそれは、涼やかだ。彼の憎悪など、どこ吹く風、と言わんばかりに。

「俺達は無駄な殺生はしない。それこそ、無意味なことだ。滅ぼすよりも付き合うほうが、遥かに実入りがいい」

 至極簡単な道理だという顔で、リュウは言う。カイネには、それを鵜呑みにすることなど、できそうもなかった。

 不服そうなカイネを封じるように、アシクが口を開く。

「いいか、東の部族と手を組むことは、決定事項だ。そこでお前たちの意見を聞く気はない。呼んだのは、別のことだ。――シィン」

 唐突に名前を呼ばれ、シィンがビクリと身体を震わせる。荒事など目にしたことがなかった彼女には、怒鳴りあう男たちの様子ですら、身をすくませるに充分なものだったのだろう。ましてや、抜き身の刃など、これまで見たことが無かったに違いない。改めて、カイネの胸がズキリとする。

「いいか、シィン。ワシらは、ただの村人ではない。神殿に反旗を翻そうとしているんだ」

「アシク!?」

 ぎょっとして、カイネが声を上げる。これまで黙っていたのに、何故、唐突にそんなことを暴露してしまうのか。案の定、事態が呑み込めていないシィンは、目を大きく見開いてアシクを凝視していた。

 アシクはカイネを無視して、真っ直ぐにシィンを見つめている。そして、シィンもまた、彼を見つめ返していた。

「これまで、神はワシらを支配していた。神ってのは、親と同じだ。未熟な間は、すがってもいい。だがな、もう、ワシらは一人で立たねばならんのだ。神は心の中だけにいる。それは、何の力も持たない。外敵から守ってくれるわけでもなく、災害を防いでくれるわけでもない。敵と戦うのも、災害の被害を軽くするのも、知恵を使って、ワシら自身の力で何とかしていかなきゃならんのだ。それには、神殿に今のように力を振るわせておいてはうまくいかん。だから、ワシらは、神殿を倒す」

 シィンは凍りついたように、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、彼の言葉に聞き入っている。アシクの言葉を引き継いだのは、リュウだった。

「随分前から、この土地は虎視眈々と狙われていたんだよ。だが、神を恐れて、手が出せなかった。神殿の権威故ではない。民が信じるからこそ、我々もその存在を信じた。だがな、それでも、中には無謀なものもいる。神の怒りなど恐れずに手を出すものが現れ始めた。それが最初の一手だ。一度村を襲い、何事も起きなければ、神は抑止力としての役割を果たさなくなる。もう、この国の神は恐れるものではないということが判ってしまったのだ。そうなれば、後は時間の問題だな。一度ひび割れた堤防は、大きな流れをせき止めることはできない」

 リュウは椅子の背もたれに寄りかかり、続ける。

「いずれヤツらはこぞって攻め入ってくるだろう。それこそ、全てを奪いつくして我が物にしようとするヤツらが。国がただの大地に戻ったところを奪い合うか、あるいは、国はそのままで首を挿げ替えて手を組むか。俺は後者を選んだ」

 アシクが外からの者と手を組むつもりなのだということは、カイネにももう解かった。それが覆しようのない、決定事項であるということも。判らないのは、何故シィンがここに呼ばれたのか、だった。ずっと黙っていたことを今更暴露し、ここが平和なだけの里ではないことを教えたのは、何故なのか。

 カイネは、憤りと共に、思ったことを口にする。

「何で、シィンを呼んだんだよ? コイツに用はないだろ? 放っておけよ」

 アシクはそれには答えず、相変らずシィンに視線を据えたまま、口を開く。

「ワシらは、できれば戦いたくはない。同じ国に住む者同士で争うなんぞ、ゴメンだ。だから、シィン、お前に訊きたい」

 そこで、初めてシィンが大きく瞬きをした。目を見開いて、アシクを見つめている。

「シィン、お前に神殿を説得することは、可能か? 『神の娘』のお前の話なら、聞くと思うか?」

「ちょっと待てよ、アシク! 急に何を言い出すんだ!?」

「黙れ、カイネ。ワシはシィンに訊いている」

 そこに、人のいい親父の顔は無い。あるのは、反乱軍の長の顔だった。

 カイネは、グッと唇を引き結ぶ。

「わたし……」

 そう呟いて、シィンが視線を落とす。

「お前が神殿の者を説得し、国を動かす力を我々に委ねさせることができるなら、その方がいい。それが、最善だ。武力をもって蜂起するならば、それなりの被害も覚悟しなければならんのだ」

「わたし……」

 シィンは口ごもる。膝の上に置いた両手がキュッと握り締められるのが、隣にいたカイネには見て取れた。その手を取ってやりたい衝動に駆られる。今、彼女の頭の中は破裂しそうなほどに様々な事柄で一杯なのに違いなかった。

 身じろぎ一つできないシィンに、アシクが少し頬を緩める。

「今すぐ決めなくてもいい。数日くらいなら、考える時間はある。今日はもう下がって、ゆっくり考えてみてくれ」

 その言葉に、ようやくシィンは小さく頷いた。


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