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喪失―1

 四つの季節は瞬く間に過ぎ、カイネは15歳になって、村の立派な稼ぎ頭になった。大柄な彼は狩りが得意で、一人で鹿を背負って帰ってくることもやってのける。

 今日も、見習いのローグを連れての一仕事だ。本来ならば、ローグが狩りに参加するのはまだ早いのだが、母を養いたいという気持ちが強かったのだ。カイネが面倒を見るからということで、村長も渋りながらも許可を出してくれた。

 いつもなら、少し森に入れば割とすぐに獲物は見つかるのだが、その日は何だか様子――あるいは気配が、違っていた。どこかざわついていて、鹿も猪も山鳥もいっこうに視界に入ってこない。ついつい、だいぶ奥深くまで足を運んでしまったが、どうも無駄だったようだ。

「今日はダメだな」

 カイネは、後ろを付いてきているローグに、肩越しにそう声を掛ける。彼も手にした弓を手持ち無沙汰に振り回しながらぼやき返した。

「変だよなぁ。何で、こんなに何も出てこないんだろう」

「ああ。皆、鳴りをひそめている。ただ行き遇わないってだけじゃない、どこかに潜り込んじまってるみたいだ。オレ達の所為ってわけじゃないだろうに。まあ、でも、こんなじゃしょうがねぇな。暗くなってきちまったし、今日はここで一泊するか」

「んん、わかった。じゃ、用意するよ」

 そう言うと、ローグは身軽く木々の間をすり抜けていく。彼が薪を拾ってくる間に、カイネは狩猟刀で下生えを刈り取ってしまう。

 奥深い森では日が沈み始めてから暗くなるのはあっという間で、火を起こすのと辺りが闇に包まれるのとは、ほぼ同時だった。

 干し肉と固いパンを、沸かした湯に浸しながらの夕飯だ。自然、噛む方に意識が向いてしまうので、静寂の中、虫の声だけが耳につく。

 野宿は珍しくはないことだが、この夜は、カイネは、何故か落ち着かなさを覚えて仕方がなかった。食事を終えて、彼はローグに切り出した。

「明日は早めに帰ろうぜ?」

「でも、獲物は? 最近、母さんの調子が今一つだから、精の付くもんを食べさせてやりたいよ」

「取り敢えず、一度戻ろう……何か……村が気になるんだ」

「ふうん」

「悪いな」

「ま、いいけどさ。どうせ、俺は見習いだし、決めるのはカイネだろ。でも、それならさっさと寝ようぜ」

「ああ。じゃあ、オレが先に見張りするから、お前は寝ろよ」

「判った」

 頷くなり、ローグは横になる。かと思えば、程なくして穏やかな寝息を立て始めた。

 春と夏の間の今は、夜になると少し肌寒い。カイネは薪をくべながら、その燃え盛る炎を見つめる。いったい、何がこの胸騒ぎの原因になっているのだろうかと考えながら。

 これまでにも、獲物を手に入れることなく一日が終わってしまった日はいくらでもあった。だが、今日は、それとは何かが違う。確たる何かがあるわけではないのだが、気配というか、カイネの直感が警報を鳴らしている気がしてならないのだ。

 多分、不安になるのは、この妙に静かな森の所為なのだろう。

 薪がはぜる音とローグの寝息、かすかな虫の声と時折さざめく葉が揺れる音。

 それらに耳を澄ませながら、カイネはまんじりともせずに夜を過ごす。

 結局、眠る気にはなれなくて、鬱蒼とした梢の隙間から覗く空が白み始めるのを待ってローグを起こすと、さっさと身支度を始めた。

「あれ、カイネは寝なくていいのかよ」

 ローグが目をこすりながら、そう訊いてくる。

「ああ、それよりも早く帰ろう」

「ったく……ナンなんだよ」

「いいから、早くしろ。朝飯食っちまえ」

 ブチブチと文句を言いつつ支度をするローグを急き立て、カチカチのパンを齧りながら手早く焚き火の始末をする。慣れたもので、その場を離れたのはまだ薄闇のうちだった。

 徹夜にも関わらず眠気は全くない。

 森は深いがそこは彼らの庭のようなものである。殆ど駆ける速度で木々の間を抜け、真っ直ぐに村を目指す。いつしか梢をすり抜けて雨滴が滴り始めていたが、それに構っている暇はなかった。

 胸騒ぎは、村に近付くにつれ漂い始めた臭いで更に高まっていく。

 それは、何かが焦げる臭い。

 走っているから、という物理的な理由だけではなく、カイネの鼓動は速まっていく。

「なあ、この臭いって……」

 そろそろ森が切れるところまで来て、ローグもようやく異変に気付いた。

 篝火や焚き火ではこれほどの臭いは発しない。もっと、激しく燃えなければ。

 ザッと、枝を折る勢いで低木を掻き分け、見えてきたもの。

 そこまで一心に駆け続けた二人の脚が、止まった。森を抜けたカイネとローグを、激しい雨が打ち据える。

「ナンだよ、これ……」

 ローグが、呆然とした声で呟く。その場にへたり込みそうになった彼の腕を掴むと、カイネはグイと引き上げた。

「バカ、行くぞ!」

 まだ、遠目で詳しいことは判らない。村のそこかしこからもうもうと煙が上がっているのが見えるだけだ。まだ、何も判ってはいない。

 弓やら何やらをその場に放り出し、ローグを引きずるようにして、カイネは村に向かって走り出す。

 だが、近付けば近付くほど、そこには絶望しか見えてこなかった。

 焼け落ち、形を失った家屋たち。激しい雨が炎は消してくれていたが、だからといって燃えてしまったものが元に戻るわけではない。

 地面に倒れ伏す、村人の姿――彼らはどれも赤い『何か』を流し、ピクリとも動かない。そして、立って歩いている者は、誰一人、いなかった。

 ついにその場に膝を突いてしまったローグを放り出し、カイネは自分の家めがけて全力で疾走する。道すがら、地面に横たわる慣れ親しんだ人々を視界の隅に収めながら。

 無限にも思える距離を駆け抜け、辿り着いた家の扉を体当たりする勢いで開け放つ。

「父さん! 母さん!?」

 目を見開いて、さして広くもない部屋の中を見回した。

「!」

 そこにいたのは――あったのは。

 床にうつ伏せになった母と、その上に被さるようにしている、父。その背には、見るからに深々と口を開いた、傷。大きくは、ない。大きくはないのに、二人とも微動だにしないのは、何故だろう。そして、床に流れ出している赤いものは、どこからこんなにも溢れ出しているというのか。

「……父さん……?」

 そっと呼びかけながら、カイネは大きなその身体に手を掛けて母の上から引き起こす。

 それはダラリと力なく、胸には背中と同じ傷口が開いてた――まるで、背から胸へと通じているかのように。

「父さん……母さん……?」

 緊張で乾いた喉から出る声は囁きにしかならず、カイネは、二人が応えないのはきっと自分の声が小さいからだと結論付ける。ただ、自分の声が届いていないだけなのだと。

 だが、しかし、そうやって己をごまかしていられるのも時間の問題だった。

 父の下に隠れていた母の身体にも、同じ傷口。それらは全て、一線上にある。

 二人の身体に突き立てられた刃は残されてはいなかったが、カイネの脳裏には、その時の様が否応なしに浮かび上がってきてしまう。

「そんな……ウソだ……ウソだ……ウソだぁ!」

 カイネの両の目から、涙は出ない。目の奥は焼けるように熱かったが、痛いほどに乾ききっている。代わりに溢れ出すものは、喉が裂けんばかりの慟哭だった。

 叫んで、叫んで、声が嗄れても、胸の奥から込み上げるものは止まらない。

 昨日の朝まで、普通に他愛もないことで笑い合っていたのだ。そして、普通に、いつもどおりに帰るつもりで家を出て。

 それが――

 何故、何故、何故……。

 カイネの頭の中は、それだけがグルグルと廻り続ける。その思考で留まり、前にも後ろにも進めなかった。

 いったい、どれほどの時が過ぎた頃だろう。

 いつしか、激しかった雨音は止んでおり、開け放した扉からは明るい陽光が筋を作って射し込み始めていた。

 ――ローグ……。

 ふと、その名が頭に浮かぶ。

 アイツは、今、どうしているのか。

 彼の方がカイネよりも年下で、面倒を見てやらねばならない『子分』なのだ。

「ローグ……」

 掠れた声でその名を口にしてみると、ぼやけていた頭の中が焦点を結び始める。

「クソ! 呆けてんじゃねぇよ」

 ノロノロと立ち上がり、もう一度、両親の骸を見下ろした。それが動き出すことは、もう、二度とない。

 二人に視点を留めたまま、カイネは後ずさる。戸口まで辿り着くと、どうしても絡み付いてしまう視線をもぎ放すように身を翻した。そうして、後は、振り返ることなく家を出る。

 あちらこちらに転がる身体に、動くものはない。

 少し働き始めた頭で、カイネは懸命に何があったのかを考えようとするが、思い浮かばない。だが、その頭の片隅に、何か微かに引っかかるものがあった。それがいったい何なのか、喉元に引っかかった魚の骨のように、出てきそうで、出てこない。

 その正体を探し当てられないうちに、ローグの家へと辿り着いてしまった。

「ローグ?」

 開けっ放しの扉の中を覗き込みながら、カイネは静まり返った部屋へと呼びかける。

 返事はないが、きっと彼はいる筈だった。

「ローグ、入るぞ」

 一声かけて、足を踏み入れる。

 部屋の隅の暗がりに、小さくうずくまった、塊。動かない母親を抱き締める、ローグ。

「ローグ」

 いらえはない。

 まだ細いその肩にそっと手を置くと、ビクリと波打った。

「誰か、まだ息があるかもしれない。探しに行こう」

 カイネは、努めて静かに、そう声をかける。しかし、幼い子どもの様に縮こまったローグは、動こうとはしなかった。

 泣き声は聞こえてこないけれども、手のひらの下の肩は、小刻みに震えている。カイネは、どれほど考えても、ローグにかける言葉が見つけられなかった。

 多分、今はそっとしておくしかないのだろう。

 ローグの意識を呼び戻すことは諦めて、カイネは小さく息をつく。

「村の中を見たら、また戻ってくるからな」

 そう言い置いて、ローグの家を後にした。


   *


 村にあるのは、『静寂』のみだった。

 確かに、葉擦れの音は聞こえるし、鳥や虫の声も絶え間なく続いている。

 だが、それでも、村の中を満たしているのは、『静寂』だった。

 カイネは、横たわる人を見つけるたびに、触れてみる。そのうちの誰一人として、うめき声一つあげてはくれなかった。

 ――老いも若きも、男も女も、全てが息絶えていた。

 カイネとローグが生きていられるのは、ただ、狩りの当番だったから、というだけなのだ。もしも他の誰かが森に行き、自分たちがこの村に残っていれば、その誰かがこうやって一人一人の息を確かめていたのだろう。そして、冷たくなって地面に倒れ伏しているのは、カイネとローグの方になっていたのだ。

 ――助かって、良かった……?

 カイネは、そう、自問する。答えは、いなだった。

 いっそ、自分もこの中の一人だったら、どんなにか気が楽だったろう。

 父と、母と、笑い合った仲間たちと。彼らと一緒に逝けたなら。

 と、不意に。

 胃の中身が逆流してくる。

 カイネは身を折って、地面に向けて全てを吐き出す。熱くて苦い胃液も、悲しみも、後悔も、自己憐憫も。

 そうやって自分の中の弱さを全部ぶちまけた後、残っていたのは怒りと憎悪と怨嗟だった。

 それを向ける対象は、いったい何なのだろうか。

 村を襲い、誰も彼もを殺しつくした奴らか。

 いいや、違う。

 カイネはギラギラと光る眼差しで空を睨みつける。

 何よりも許しがたかったのは、助けてくれなかった『神』だった。正体の判らない襲撃者共よりも、ずっと身近にいた『神』の方が、遥かに簡単に憎悪の対象になった。

 自分たちは、日々、神の庇護を信じ、神を崇め、奉ってきた筈だ。常に感謝を捧げ、せっせと供物を貢ぎ。

 それなのに、大事な時に、助けてはくれなかった。その素晴らしい神力とやらは、こんなちっぽけな村一つ、救うことができなかったのだ。

「クソ……クソッ、クソッ!!」

 見えない相手を罵りながら、カイネは拳を壁に叩きつける――何度も、何度も。皮が裂け、血が伝い始めても止めようとはしなかった。


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