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始まりの、前

 村の中央にある広場に人だかりができているのを見つけた時、カイネの顔はパッと輝いた。

 ああやって人が集まっているということは、彼が来ているということだ。

 今日はどんな話が聞けるのだろうかと、カイネの胸は興奮に高鳴ってくる。

 彼――ケネスは、一年に一回この村を訪れる、薬の行商人だ。グルリとあちらこちらを回って、一年をかけてこの村に戻ってくる。彼の作る薬は種類も豊富で、どれもこれもよく効くのだ。彼の巡回は行商と薬草の採取を兼ねていて、様々な地域の植物を手に入れられるからなのだろう。

 村とその周辺の森ぐらいにしか行ったことのない14歳のカイネにとって、一年をかけて歩いてくる距離なんて、想像もつかない。ケネスはそれだけ遠くに行き、色々なところを見てきているのだと考えると、彼についていきたくて堪らなくなる。

「おい、ローグ! ケネスが来てるぜ!」

 カイネは肩越しに振り返って、少し後ろを歩いていた少年に声をかける。カイネよりも3歳年下の親友――あるいは子分であるローグも、広場の黒山を見て同じように期待に満ち満ちた笑みを浮かべた。

「ホントだ。やったぁ。何かいい薬あるかな。最近、母さんの咳がひどいんだ」

 最後の方は心配そうに声が低くなる。カイネはローグの首に腕を回して引き寄せると、グシャグシャとその栗色のクセ毛をかき回した。

「ちょっと、やめてよ!」

 ローグはカイネの腕から逃れると、唇を尖らせて髪を整える。彼のところは母一人子一人なのだが、その母親は少々身体が弱い。ローグにしてみれば、ケネスから聞ける話も楽しみなのだが、それ以上に、彼が持ってくる薬の方がより重要なのだ。

 ローグはまだ11歳だが、常に母親のことを第一に考えている。

 この村は全部で100人もいない小さいものなので、子どもの数は多くない。カイネと同じ年頃の者は、このローグと他に女の子が3人いるだけだった。他は、一緒に森を走り回るには小さ過ぎるか、あるいは、もう一人前の男として扱われて遊ぶ暇もない者か、だ。カイネは、今は、ちょうど子どもと大人の間にあって、年長者について狩りに行ったりはするけれど、まだ、一人前として扱ってはもらえていなかった。一丁前に、彼女のことを守ろうとしているこの弟分のことを、カイネも何とか助けてやりたいと思っているのだが、如何せん、彼自身もまだ子どもだ。歯がゆい思いを抱えつつ、早く一人前になりたいと願う日々だった。

 カイネとローグが駆け寄ってみると、その人だかりは、いつもの雰囲気とは、少し違っていた。

 大人たちは、何やら深刻そうな顔をしている。明るい、人好きのする笑顔を絶やさないケネスも、いつもは柔和なその顔を生真面目に引き締めていた。

「ケネス!」

 カイネが呼びかけると、ケネスの顔にいつもの笑顔が浮かぶ。

「よう、カイネ、ローグ、久しぶり。元気そうだな……っと、随分でっかくなったな」

「そりゃ、一年経ってるし。おっさんとは違うよ」

「はは、言うようになったなぁ」

 そう言うケネスは、年齢不詳だ。カイネが幼い頃からこの村に出入りしているが、覚えている限り、今と変わっていないように見えるのだ。20代なのかあるいは40代なのか、そのどちらでもあるようだし、どちらでもないようで、全然見当がつかない。

「で、今日は何の話をしてたの?」

 やけに深刻そうだったけど。

 そう付け加えたカイネに、ケネスが再び真顔に戻る。

「ああ、それなんだけどな、ほら、僕は色んなところを見て回ってるだろ? で、最近になって、ちょっと不穏な話を耳にするようになったんだ」

「どんな?」

「今も他の人に話してたんだけど、どうもね、あちこちの村を襲ってる奴らがいるみたいなんだ」

「襲うって、何で?」

 自分たちも狩りで獣を獲るけれど、それは食べる為だ。まさか、人が人を食べるわけでもあるまいに。カイネがキョトンとケネスに問い返すと、彼は肩をすくめた。

「そりゃ、物を奪うためさ。生きる為のものを、自分たちで作ったりする手間を省いて、奪って回るんだ」

「そんなの、きりがないじゃないか」

 呆れたようなカイネに、ケネスは苦笑を返す。

「そうなんだけどね、そういう奴らみたいなんだよ」

「ふうん」

 よく解ったような、解らないような。曖昧に相槌を打ったカイネは、すぐにパッと顔を輝かせる。

「でもさ、そんなのが来たって、ここはアーシャル様が守ってくれるんだろ? 毎年、お供えだって神殿にたくさん送ってるし。神様が追い払ってくれるさ」

 カイネは何の疑いもない、信頼に満ちた目でそう断言した。

 中原に大神殿を抱き、その周辺に小さな村々が散在する。この村も、そのうちの一つだ。

 大神殿には最も力強く、最も慈悲深く、最も厳格な最高神アーシャルをはじめとする神々が祀られていて、その加護を得る為に、近隣の村人たちは貢物をするのだ。一年に一回、大神殿ではそれらの貢物をアーシャルや他の神々に捧げる儀式があって、『神の娘』が祈りの歌を謳うのだとか。その儀式のお陰で、この国の者は平穏に暮らせるのだと、教えられている。

 中原から遠く離れたこの村に住むカイネは当然のことながらその儀式を見たことはなく、アーシャルの姿を見たこともないが、とにかく、神様はすごい力を持っていて、日々の糧を奉納する者たちを守ってくれる筈だった。

 それは、カイネが生まれる遥か昔から続いている、自明なことだ。

 カイネだけでなく、この村の誰もその大神殿を見たことはなかったが、「アーシャル様が守ってくれている」ということに疑いを挟む者は一人としていなかった。

 絶対の存在への全幅の信頼を露わにするカイネに、ケネスがフッと口元を緩める。

「『神様』、ね……」

 呟いたケネスの声には普段は聞くことのない響きが含まれていて、カイネは怪訝そうに眉をひそめた。

「ケネス?」

「ん? ああ、何でもないさ。まあ、気を付けておくに越したことはないだろ? さっきも、親父さんたちに備えておいた方がいいと言っておいたんだ」

「あはは、何に備えるってんだよ」

 笑い飛ばすカイネに、ケネスはそれ以上の説明はしようとせず、曖昧に微笑んだだけだった。その笑みが、時折父親が見せるものに似ていて、カイネは少しムッとする。『大人の話』をしている父親達が、そこに何とか入り込もうとする彼に見せるものだ。

「何か、イヤな感じだ!」

「悪い悪い、多分、僕の気の回しすぎだよ」

 臍を曲げたカイネの頭を、ケネスがクシャクシャとかき混ぜる。完全な子ども扱いのその仕草が一層腹立たしくて、カイネは彼のその手を払いのけた。


   *


 それから3日後に、ケネスは再び旅立っていった。

 また来年に、と手を振りながら。


   *


 シィンはふと窓の外に目をやり、きれいに晴れ渡っている青空を眺めた。緻密な飾りが施された、美しい窓枠の外に見える、青空を。

 彼女の記憶に残る限り、それは、常に、ただ見つめるだけのものだった。どんなにその下に立ってみたいと願っても、『神の娘』であるシィンは、この大神殿からは出られない。

 ――出られないことに疑問を抱いたことは、ない。

 月の色の髪に、夜明け間近の空の色の瞳。

 茶色や黒色の髪や目が殆どを占めるこの国では、シィンの持つ色は珍しい。まさに夜空を体現しているその組み合わせに、産まれ出でた彼女を見た者たちは「月の女神の現身だ」と騒ぎ立て、まだ母の乳も離せない頃からこの大神殿に引き取られた――名前もシィンと、アーシャルの愛娘であり月の女神でもある存在のものをいただいて。

 それからずっと、ここに居る――閉ざされた、神殿の中に。

 大神殿での生活は、何不自由ないものだ。

 食事は柔らかい白パンに肉、スープも付くし、儀式の前には甘い焼き菓子の『供物』も出る――もっとも、その菓子を食べると頭がボウッするので、シィンはあまり好きではなかったが。衣服だってしなやかで軽い、極上の布が用いられているし、身を飾る宝玉もあてがわれている。神を宿す身は、常に美しくあらねばならないのだ。

 だが、時折、シィンはこの豪奢な堂から飛び出してしまいたくなる。高台にある神殿の窓から遥か彼方で遊ぶ子ども達を眺め、彼らのように、大空の下を素足で草の上を走るのはどんな気分なのだろうかと、夢想する。

 窓から入るそよ風ではなく、もっと、髪を乱すような強い風を受けて。

 禊ではなく、降りしきる雨に顔を打たれて。

 紗を通した陽射しではなく、燦々と降り注ぐ陽光を全身に受けて。

 シィンは、いつものように埒もないことを考えて、いつものように小さなため息をつく。

 と、シィンのその小さな吐息を聞きつけ、戸口に立っていたラスがその鋭い眼差しを彼女に向けた。シィン付きの護衛騎士である彼は、些細なことも見逃さない。

「いかがされました?」

「何でもないわ。ただ、いい天気だな、と思っただけ」

 相変わらず四角四面なラスの硬い言い方に対して、シィンはやんわりと答える。つい先日、『儀式』をこなしたばかりで、疲れの為か何だかぼんやりする。『儀式』の後は、いつもこんなふうになるのだ。茫洋とした彼女の物言いは、人によっては、少し魯鈍に感じるかもしれない。だが、3年前、彼女が10歳の時に儀式に立つようになって以来、ずっとその傍に付き従っているラスは、眉一つ動かさずに小さく頷いた。

「ここしばらくは、良い天気が続いております。雨も適度に降り、作物の育ちも順調なようで。これも、シィン様の祈りの賜物に違いありません」

「そうかしら」

 首をかしげたシィンに、彼は、今度は深々と頷きを返した。その全身からは、彼女への尊敬と崇拝の念が溢れ出している。言葉にせずとも、何が起きてもラスが身を賭してシィンを護るであろうことは、充分に知れた。

 ラス――いや、民たちから注がれるその気持ちに、シィンは時に押し潰されそうになる。この身は、果たして、彼らがくれるものに値するほどの存在なのだろうかと、疑問に思うのだ。

 自分は、ただ着飾り謳うだけ。

 頭の回転の鈍いシィンには何かを考えることはできない。だから、命じるままに謳うのだ。

 『儀式』といっても、シィン自身は、何をしているのかあまり覚えていない。おそらく歌を謳っている筈なのだが、『儀式』のための供物を口にしてから翌日目が醒めるまで、いつも、自分が何をしているのかが判らなくなるのだ。菓子を口にして、妙にフワフワとした幸せな感じになったかと思うと、次には寝台の上でぽかりと目を醒ます。きっと、その間に神が降りてきているに違いない。

 幼い頃、誰に教わるでもなく旋律を口ずさみ始めたシィンに、彼女を『神の娘』として見出した者であり、この大神殿の神官長でもあるキンクスは、目を細めて喜んだ。きっと、それは神から授かったものなのだと。

 最初はキンクスの前で謳うだけだったが、やがてその前に供物の菓子が与えられるようになり、そして、それは民の平穏を祈る為の『儀式』となった。

 民の為に祈ることは、決して嫌ではない。むしろ、この愚かな自分にも役割があることを幸せに思う。この声で世に幸福が満ちるというならば、それに勝るものはない。

 けれども。

 時折、シィンは願う。

 この閉ざされた神殿ではなく、どこまでも続く空の下で、腹の底から声を出し、ただ歌う為だけに歌えたら、と。

 生まれた時から籠の中で育てられた鳥には、広い世界でさえずるのがどんな気持ちなのかはわからない。

 ただ、青空を垣間見るたび、その憧憬が込み上げてくるのだ。

 殆ど息をするかのように、無意識のうちに、シィンの喉から歌が響き始める。

 静寂に代わって室の中に満ちていくその歌声に、ラスがそっと頭を垂れた。


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