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決戦―2

 シィンは廊下を走る。前を行くローグとラスの背中を見つめながら。

 これまで、彼女は自身の『居場所』を与えられるだけだった。自分で作ろうとはしなかったのだ。

 今から為そうとしていることで、それが手に入るのかどうかは、判らない。けれども、カイネが言ったように、自分がしようと思っていたことを、しようと思った。

 ――わたしがしたかったのは、一人でも多くの人を幸せにすること。

 そんなのは、無理なことなのかもしれない。

 あるいは、思い上がったことなのかもしれない。

 だけど、嘆いたりしているよりも、こうやって動いている方が、ずっといい。

 無理だ、できない、と逃げるよりも、無理だった、できなかったと悔しがる方が、ずっといい。

 廊下を走って走って、シィンたちは広間に出る。

 高座から見下ろす人々は、皆、後ろを向いていた。誰も彼もが、入口の方に押し寄せている。目を凝らせば、そこにはアシク達の姿が見え隠れしていた。彼らは剣を使わず、素手で群集を防いでいるようだ。

「まずいな、数が多いし、町民相手ではアシク達は手が出せまい」

 眉をひそめたラスに、ローグが顔を曇らせる。

「何とかしないと……」

 けれども、何をしたらいいのだろう。誰も傷付けることなく、皆の意識をこちらに向けるには。

 シィンは意を決すると、高座の際まで進み出た。

「シィン様……?」

 あまりにギリギリに立つ彼女を案じたラスを、ローグが首を振って引き留める。

 二人の視線を背中に受けながら、シィンは一度大きく息を吸って、吐いた。

 もう一度人々を見渡してから、目を閉じる。

 そして。

 思うがままに、腹の底から声を溢れさせる。

 その喉が奏でる調べに、決まりなどない。ただ、高く、低く、謳った――自分の中にある、祈りを。

 透き通るような旋律は、人々の怒号の中を縫っていく。

「おい、あれ……」

 最初にシィンに気付いた一人が、振り仰いで指差した。それは次第に伝播していく。

 高座から放射状に、怒号はさざめきへと変わりゆき、人々の目は侵入者から一心に謳い続ける『神の娘』へと移りゆく。

 いつしか、広間にいる者は全て、シィンの歌声に聴き入っていた。かつての彼女の歌声は、人々を熱狂はさせたが魅了はしなかった。今の彼女の歌声は、盲目的な吸引力は失っていたが、人の心を包み込み、ささくれ立った心を穏やかにする力を持っている。

 ふとシィンが気づいた時、広間は囁き声一つ無く、静まり返っていた。

 シィンは口を閉じ、その夜明け間近な空の色の瞳で人々を見渡す――一人一人を見つめるつもりで。彼らは、皆、その目に尊崇と賛美と思慕の色を浮かべていた。

 身に余るそれらの想いを受け止めることに、シィンは身震いする。怖気づきそうになる心を、奮い立たせた。

 彼らは、皆、わたしの言葉を求めている。

 自分の言葉がどれほどの力を持つのかは判らない。けれども、やるだけやってみようと、シィンは覚悟を決めた。

 すう、と息を吸い、一度溜める。

 そして。

「皆さん、わたしの言葉を聞いてください」

 人々の視線が、突き刺さる。シィンは一度、唾を呑み込んだ。

「わたしたちは、今まで、アーシャル様に、他の全ての神々に――守られてきました。けれども、彼らは、もうわたしたちに手を伸ばすことはなさいません」

 その瞬間、シンとしていた広間にどよめきが走る。それが大きな渦になる前に、シィンは更に声を振り絞る。

「神は、常にわたしたちの傍に在ります。それは、決して変わりません。けれど、もう、命じはしないし、守りもしません。わたしたちは、もう、ただ守られるだけの幼い子どもではありません。わたしたちはわたしたちが生きる道を神に委ねるのではなく、自ら選び取っていかなければならないのです。わたしたちの生はわたしたちのもの。だから、自分たち自身で生きていかなければならないのです。神々は、わたしたちを――人を信じています。人が自分たちの力で生きていけるということを、信じてくださっているのです」

 聞こえてくるのは、すすり泣き。彼らの眼差しは、すがるようにシィンにまとわりついた。

 庇護ひご者に突き放されてしまった者の嘆きの声に突き動かされるように、シィンは続ける。

「皆さん、わたしは皆さんの傍にいます。あなた方がわたしを必要とする限り、ここに留まるでしょう」

 その言葉と共に、そこかしこから漏れ聞こえてくる、安堵の溜息。

 自分は、張りぼての『神の娘』だ。けれども、こんな自分でも人々が望むというのであれば、それに応えよう。

 シィンは、胸中でそう呟いた。それは、諦めとは、違う。違うけれども、よく似通っていた。

「皆さん、怖がらないで。神々は、決して見放しはしません。いつでも、あなたの傍にいます」

 最後にもう一度だけ、眼下を見渡して、後ずさる。きびすを返して振り向いた先には、ローグとラス、そして――。

 シィンは、笑う。

 精一杯の気持ちを込めて。

 彼女には、別れなければならない人たちに贈れるものが、それしかなかったから。


   *


 キンクスとただ二人で残されて、カイネは慎重に剣を構えた。

 目の前の優男は、聖職者らしからぬ隙のなさだ。無造作に剣を提げているだけのように見えるのに、切り込むと決めることがなかなかできなかった。

 だが、このまま睨み合っていても、らちが明かない。無傷で捕らえようなどという甘い考えは、捨て去ったほうが良さそうだった。

「どうした? 来ないのか? シィンが気がかりなのだろう?」

 やんわりと、キンクスが言う。

「うるせぇな、ちょっと待っとけよ」

 言いながら、カイネは視野の全てを使って部屋の中を探る。キンクスとの距離は、大股で6歩――勢いをつければ、5歩。天井は充分に高く、剣を振り上げても問題はなさそうだ。キンクスの左の方は拓けているが右は置いてあるものが多い。卓の上に燭台や筆記用具、寝台には枕や毛布。

 ――よし。

 剣をゆっくりと握り直し、決める。

 ススッと小刻みに2歩進んだ後、一気に跳んだ。

 一歩、二歩、三歩――右から横薙ぎに剣を走らせ、キンクスの胴を狙う。それが相手の剣で防がれるのは、予想の範囲内だ。弾かれた刃を切り返し、また、打ち付ける。

 一合、二合、三合。

 刃と刃がぶつかり合うたびに、ギィン、ギィンと、耳障りな金属音が部屋中に響き渡る。

 渾身の力を込めたカイネの剣を、キンクスは最小限の動きで受け流していく。よほど力の逃がし方がうまいのか、刃こぼれ一つしていない。立て続けの攻撃は、全て阻止されていた。それも、余裕で。

 カイネは一度後方に跳び、距離を取る。少しずつ方向を変えていたので、今は、彼の背後に卓があった。

「そんなものか?」

 秀麗な眉間に微かな皺が刻まれているのは、単調なカイネの攻撃をいぶかしんでいる為か。

「あんたもさ、諦めたら? オレ達は多いぞ? ここの外にも、わんさか待ってんだ。どうせ神殿はぶっ潰されるんだから、怪我せず明け渡した方が、利口だぜ」

「今は、うまくいくかも知れんな。だが。人は愚かだ。自分たちで考え、行動するなど、すぐにうんざりするだろう。また次の『神』を求めるさ。貴様達のしようとしていることは、無意味だ」

 気だるげな口調で、キンクスはそう言った。揶揄やゆや嘲笑の響きは無い。ただ淡々と、思っていることを口に出しただけ、という風情で。

「そうなったら、その時はその時で考えるだろうさ。取り敢えずは、『今』を変えてぇんだよ」

「お前も、私と大差はない。つまるところは、己の望みを叶えたいだけなのだろう? 私もそうだ」

「一緒にするなよ。オレは自分の望みを叶える為に、子どもを薬でボロボロにしたりはしないさ」

「言っただろう? あれは、あれなりにシィンにとっては幸福だったのだよ」

「その理屈、オレにはさっぱり解からねぇよ」

「それは残念だ」

 キンクスは、そう答えて締めくくった。

 そうして、カイネの剣を見切ったと結論付けたのか、今度はキンクスの方からユルリと近付いてくる。それは、蛇が狙いを定めた獲物に近付く様によく似ていた。

 ジワリ、ジワリと近寄るキンクスとの距離を、カイネは目で測る。

 ――あと、一歩。

 その瞬間、カイネはパッと振り向いて卓上の燭台を引っ掴むと、それをキンクスに投げ付けた。

 それは、剣での攻撃しか想定していなかったキンクスの意表を突く。

 咄嗟に手にした剣でそれを払い除け、次いで、間髪を入れずに襲い掛かったカイネの剣をもろに受け止める。

 直後に響いたのは、それまでの金属同士がぶつかる音とは異なっていた。

 ガラスが砕ける音よりは鈍く、木が折れる音よりは鋭い。

 カイネは、自分の目論見がうまくいったことを知る。

 見れば、キンクスの手の中にある剣の刃は、三分の一ほどを残す程度でパキリと折れていた。

 キンクスの目は、わずかに見開かれている。

「さあ、降参しろよ」

「この、私が……?」

「ああ。流石にそれじゃ、戦えないだろ?」

「ここまで手に入れたものを手放せと?」

「別に、どこかに閉じ込めようとかじゃない。ただ、神様が何でもしてくれるってぇのを、止めて欲しいだけだ」

 そう言ったカイネに、キンクスは薄く嗤った。

「は。先ほども言っただろう? 人は『神』を求める。自分達を支配し、導いてくれるものを。どうせ、続きはしない」

「その理屈は、もうどうでもいいからさ。ほら、オレと一緒に来いよ。みんなの前で、一説かましてくれ」

「ご免だな」

「は? ……って、あんた、何やってんだよ!?」

 驚愕に目を見開いたカイネの前で、キンクスは折れた剣の刃を、自らの首筋にあてがっていた。

「私は、もう奪われるのにはうんざりなのだよ。奪われるくらいなら、こちらから捨ててやる」

「ちょ、待て――!」

 カイネが手を伸ばす暇は無かった。

 キンクスの手は、自らの首をわずかなためらいもなく切り裂いた。

 吹き出す、鮮血。

 どうにもできないことは、変えようの無い事実だった。どさりと音を立てて床に崩れた身体の下には、止まらぬ赤い川が作られる。

「クソッ」

 呟き、カイネは物言わなくなったキンクスを見下ろした。しばらく見つめた後、見開いたままの目を閉じてやる。

 キンクスの言葉を信じるならば、彼もまた『奪われた』側だったのだろう。

 だが、カイネもローグもアシクも、皆、『奪われた』者だ。その中の誰一人として、キンクスのようには考えなかった。自分が奪われた分を、他人にあがなわせようとは。

 そんなやり方は、やっぱり、間違っているのだと、彼には思われた。

 カイネはもう一度だけ熱を失いつつある男に目を落とすと、クルリと踵を返す。

 廊下を駆けて、シィンの元へ向かった。

 疾走するうちに聴こえてきたのは、妙なる調べ。それは、キンクスと対峙したことでギスギスしたものを残してしまったカイネの心を、優しく包んでくれる。

 カイネが広間に辿り着いた頃、シィンの歌声は止んだ。代わりに、民衆に向けて懸命に訴えかける彼女の姿があった。民衆も、神官も、衛兵も、皆、彼女の声に聞き入っていた。

 背筋を伸ばした、小さな背中。

 彼女は決して強くない。

 けれども、精一杯の虚勢を張って、立っていた。

 やがて、語る言葉を使い果たしたシィンが振り返る。ラス、ローグ、そしてカイネの姿を認めて、彼女は笑った。それは、笑っているようでいて、泣いているような、そんな笑顔だった。

 高座から引き上げてきたシィンは、カイネの前で立ち止まると、目を逸らすことなく見上げてきた。

「頑張ったな」

 カイネの一言に、彼女は一瞬、クシャリと顔を歪める。

「うん……うん。――ごめんね」

 その謝罪は、自らの選択に対してのものなのだろう。思い当たる理由は、ただ一つだった。

「ここに、残るんだな?」

「……うん」

 頷いて、シィンはうつむく。そのつむじを見つめながら、カイネは言った。

「じゃあ、オレも残るよ」

 サラッとこぼれたカイネの言葉に、彼女はバッと顔を上げて目を見開く。

「え?」

「お前が皆の傍にいる、と言うなら、お前の傍にはオレがいてやるよ」

「でも……でも、カイネには帰る所があるでしょう?」

「『場所』よりも『人』の方が大事だ」

「でも……」

 口ごもるシィンの頭を、クシャクシャと、いつものように撫でてやる。

「だいたいな、オレだけじゃねぇだろ。な?」

 肩越しに振り返ってラスとローグに声をかけると、二人は同時に頷いた。

「もちろんだ。自分は、常にシィン様のお傍におります」

「俺も……」

「でも……でも……」

 何度も同じ言葉を繰り返すシィンに、カイネは呆れた声で反論を封じる。

「いいから、そういう時は『うれしい』って、言っとけよ」

 笑いながらそう言ったカイネに、シィンの顔がクシャリと歪む。

「……うれしい。ありがとう」

 そう囁いて、シィンはカイネにしがみついた。その身体を受け止めて、カイネは未来に想いを馳せる。

 まだ、始まったばかりだ。

 素晴らしい未来になるのかもしれないし、あるいは、キンクスが予言したとおりになるのかもしれない。

 遥かな未来がどうなったとしても、少なくとも、今の自分はやれることをやっていけばいい。何かを作り上げるのは、一人一人の小さな一歩に違いないのだから。


   *


 群集の遥か後方で、大人たちは小さなボヤキを呟いていた。

「結局、何から何まで、あいつらにやらせちゃいましたねぇ。僕たちの出番なし、ですよ」

 頭を掻きながらのケネスの台詞に、どこか満足そうにアシクが答える。

「まあ、いいさ。先を作っていくのは、あいつらなんだ。ワシらは、土台を作るだけさ」

「そうそう、どうせ、老い先短いことだしな、我らは」

 茶化し半分にそう繋いだリュウも、晴れ晴れとした顔をしていた。

「よし、取り敢えずは、外で待機しているヤツらに結果を教えてやらんとな。それに、人々の意識は、そう簡単には変わらん。まだまだ、するべきことはたくさんある」

 表情を改めてそう締めくくったアシクは、もう一度、高座の向こうに目をやった。少しでも多くのものを彼らに残してやるのだと、決意を新たに心に刻み込みながら。

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