生贄
神殿までは徒歩でも一晩の距離に構えた野営地で、アシク達『反乱軍』は最後の段取りをつけていた。
「神殿の中は、はっきり言って、たいした警備はいない。まあ、ラスみたいに、確かに一人一人の腕は立つみたいだけど、人数はたかが知れている。神殿内部に突入するのは、少数精鋭でいいんじゃないかな」
ケネスの意見に、一度忍び込んだことのあるカイネも同意する。
「確かに、ちょろかった。オレが入った時は、護衛らしい護衛はシィンの部屋の前の張り番しかいなかった」
「まあ、今回の件で多少、警戒しているかもしれないけどねぇ。多分、そんなに変わらないと思うよ。シィンが行方不明だったことはあまり公にしたくないだろうし、下手に警備を増やしたら、何かあったということがバレるだろ? 神殿としては、それは望ましくない筈だ」
二人の意見に、アシクは顎髭を撫でながら考え込む。
「少数、か。ワシとカイネにローグとケネス、それにリュウ。他に4、5人くらいか?」
「それだけいれば充分なんじゃないですかね」
ケネスはアシクが挙げた名前に頷いた。誰も彼も剣の腕は並外れており、一番年下のローグでさえ、数人がかりで挑んだ大人をさして苦も無くあしらうことができる。
「あとは神殿の外に詰めかけて、どれほど多くの者が神殿に反旗を翻したのかを、見せてやればいい。ムール、そっちの指揮はお前に任せたぞ?」
斜め後ろに控えるムールに、アシクは後の事を委ねる。彼は無言で頷いた。
「まあ、基本は話し合いだ。シィンがうまくやってくれていれば、一番簡単に片が付くのだがな」
アシャルノウンに入ってから、その辺りのことは白黒が着く。ケネスに偵察に行かせて、シィンの様子を確認させるつもりだった。
――ようやく、か……。
アシクは胸中で呟いて、目を閉じる。
彼が国を変えようと決心した時、その傍に居たのはムールとケネスだけだった。
氾濫したアシャルヌ川から押し寄せた村を呑み込む濁流を前に、アシクは神にすがるのはやめようと心に決めた。神は伸ばした手に応えてくれることはない。それはそういう存在ではないのだ。
アシクの中に、神殿や神に対する怒りや恨みはない。かつてはあったかもしれないが、そんなものはとうに消えた。毎日前を向いて生きていれば、後ろ向きな感情など、いつまでも持ち続けてはいられない。
アシクは再び目蓋を上げ、眼下にひしめく男たちを見渡す。その数は、高台になっているこの場所からでも、全てを視界に収めるのは難しい。
彼らが神殿を目指す理由は、ただ倒すことが目的ではない。求めるのは、復讐ではないのだ。その先にある、人が自分自身の手で拓いていける未来、ただそれだけだった。
一度深く息を吸い、吐く。そして外套を羽織ると、アシクは馬上の人となった。カイネたちも彼に続く。
「よし、行くぞ」
短い一言ともに、走り出した。一たび流れ出したら決して止まることはできない、うねりの中へ。
*
ひとまず先に偵察に向かったケネスが、戻ってきた。
先行したアシク達は、ケネスがアシャルノウンに来た時に使っている、町外れの一軒家に身を潜めていた。
情報を待つ一同に、ケネスは渋い顔を向ける。
「どうした?」
彼があまり見せたことのない表情に、アシクが先を促した。
「ええ、まあ、それが……ちょっと、うまくない事態で」
「だから、何だ!」
あまりに煮え切らないケネスの態度に、アシクが尻を叩く。と、彼はなぜかちらりとカイネの方を見た。そして、歯切れ悪く、『うまくない事態』を口にする。
「どうも、『儀式』をするようです」
「え!? じゃあ、またあの薬を使われちまってんのか!?」
「それだけならいいんだけど……その儀式、今度は『神の娘を神の元に戻す』とか、何とか」
「はあ?」
「つまりさ、普通の儀式はあの子の『歌』を捧げるんだろ? 今度のは、『あの子自身』を捧げるらしい」
要領を得ないケネスの言い方に、カイネはイライラと立ち上がる。リュウがそんな彼の服を掴んで、椅子に引き戻す。そして、ケネスに顔を向けたまま言った。
「それは、生贄にする、ということか?」
「まあ、そうかも」
ケネスが頷き、その言葉に、アシクも渋い顔をする。
シィンの事だというのに蚊帳の外に置かれっ放しのカイネとローグは、気が気ではなかった。それに、『いけにえ』という言葉は、どこかイヤな気持ちにさせる。
「それって、何なんだよ?」
問うたカイネに、大人たちはちらりと顔を見合わせると、その中で一番それに詳しいらしいリュウが口を開いた。
「つまり、な、部族によっては、うさぎやら鳥やらを殺して、神に捧げて自分達の平和を祈るってのがあるんだ。北の方では、そう珍しいことではないらしい」
「まさか……」
「そう。何をとち狂ったのかはわからんが、シィンをうさぎか何かの代わりにするらしいよ」
「ちょ……っと、待てよ! それって、シィンを殺すってことか!? あんた達、何でそんなに落ち着いてられるんだよ!?」
椅子を蹴立てて立ち上がったカイネに、いたって冷静に答えたのは、アシクだ。
「生贄にするから、だ。生贄ってからには、それまでは殺さんということだからな。ケネス、儀式は今日じゃないんだろ?」
「はい、明後日ですね。ただ、彼女がどこにいるかまでは掴めなくて。ああ、でも、ラスは元の彼女の部屋に閉じ込められてましたよ」
「何やってんだよ、あいつは……」
彼女を守ると言っていた筈の男の不甲斐なさに、カイネはその腹立たしさをぶつけるように卓を殴りつけた。
「こんなところで愚痴を言っていても仕方あるまい。あの子を助ける手立てを考えねばな」
いきり立つカイネをサラリと流し、アシクは先へ進む。
「下手に神殿内を探し回ってこちらの動きを悟られるよりも、儀式の当日に乗り込むほうが手っ取り早いか。儀式に妨害が入る方が、神が絶対ではないことを示せていいかもしれない」
「そうだな、たかが数人の男にいいようにされる神など、頼りないもいいとこだ」
リュウが後を引き継いで嗤った。
大人たちは能天気だ。だが、カイネもローグも、そう鷹揚に構えてはいられない。今頃彼女がどんな扱いを受けているのかと思うと、気が気ではなかった。
「そんな、待っててもいいのかよ!?」
「焦っても得るものは無い。ラスが言うには、神殿内の警備など無いも同然だということだろう? だったら、全てを一気に進めた方がいい」
落ち着ききったアシクの態度に、カイネたちは、それ以上は何も言えなくなる。唇を噛んだ彼に、アシクは表情を引き締めて続けた。
「その代わり、始まったら速やかに行動しなければならない。恐らく、儀式の最中は人が詰め掛けていることだろう。武装した警備よりも、何も持たない彼らの方が厄介かもしれないな」
最後の方は、独り言のような呟きだった。矛盾したその台詞に、カイネは眉根を寄せる。ただの町民が障壁になるとは、思えなかった。ローグもそれは同じだったようで、二人は互いに顔を見合わせる。
そんな彼らの様子に、アシクは苦笑した。
「ワシらの相手は町民ではなく、神殿――神だろう? それに、盲目になった群集は、一騎当千の一人の戦士よりも手強いものさ」
*
シィンは窓一つ無いその部屋で、ただ時間を浪費しているだけの自分に苛立っていた。ここはキンクスの私室の奥にある部屋なのだが、果たして、その存在を知っているものはどれほどいるのだろう。自室から殆ど出ることが無かったシィンは当然として、神官たちの中でも殆どの者が知らないのではないかという気がする。
そんな秘せられた小部屋に、シィンは閉じ込められていた。
――わたしは、失敗した。
シィンは、顔を伏せる。
当然だ。彼女は、キンクスの真意など、全然気付いていなかったのだから。理解していない相手を説得しようなど、土台無理な話だ。
それに、と、シィンは自嘲する。
所詮、自分はニセモノの神の子。そんなものに、誰かの心を動かせるわけが無かったのだ。
こうやって独りで何もすることなく過ごしていると、最後にキンクスが放った台詞が否応なしによみがえってくる。
『蛮族との間でできた、ただの人の子』
キンクスは、確かにそう言った。
蛮族――それは、神殿から遠く離れた村々を襲っている者たちの筈だ。
その、子ども――?
シィンは両腕で自分の身体を抱き締めて、身震いする。
自分は、『神の娘』などではない。それは、もう判っていた。
――でも、それならば、いったい何者だというのだろう。
グルグルと、頭の中が迷路を廻り始める。ここに入れられてから、もう何度も繰り返しているけれど、出口は見つからなかった。
「そんなこと、今は考えてる暇は無いんだから。もっと、大事なことがあるんだから」
呪文のように、シィンはそう呟く。自分自身に言い聞かせるように。
「ラス……ラスは大丈夫かな」
彼は、自分の為に捕まってしまったのだ。キンクスは、シィンが抗えばラスを傷付けると言っていたけれど、それはつまり、彼はまだ無事だということだ。
シィンには、キンクスが何をしようとしているのか、さっぱり判らなかった。神殿で謳っていた頃、彼女はその身を神に捧げていたつもりだったのだ。それと、何が違うというのか。
部屋の中を行ったり来たりしていたシィンは、カチリ、と響いた小さな音に振り返った。
彼女が見守る中、部屋の扉が開かれ、そこからキンクスが現れる。その目がシィンを捉えると、彼は口元に笑みを刻んだ。
「おとなしくしていたようだな。さあ、出番だ。見事に演じれば、ラスは解放してやろう」
「本当に?」
「もちろんだとも」
疑われるのが心外だ、と言わんばかりの顔で、キンクスが頷く。かつてのシィンであれば、それをすぐに信じただろう。けれども、今の彼女には、無理だった。
「さあ」
一言共に、キンクスが手を差し出す。
その手をジッと見つめながら、シィンは少しでも時間を稼ごうと、頭の中を精一杯に働かせる。わずかな時を作ってみても、それで何かが変わるわけではないと充分に承知していたが、即座にその手を取ることはできなかった。
「供物……供物は? 儀式なのでしょう?」
苦し紛れのシィンのセリフに、キンクスは肩をすくめる。
「あれは、もうお前には使わんよ。体調は万全に整えておいてもらわないと――新たな『神の子』の為に」
穏やかな笑みを浮かべながら彼は一歩近づき、更に手を伸ばす。
彼のことは信じられない。
さりとて、その手を取る以外に、今の彼女には道が無いのだ。
シィンはキンクスの手に自分の小さなそれを重ねる。彼女の指先が触れるや否や、キンクスの手がきつく握り締めてきた。
――もうじき、もうじきカイネたちが来てくれる。カイネは、約束してくれたもの。
歩き出しながら、シィンはそう胸の中で呟く。自分の事は、もうどうでもよかった。何者とも知れない、この身の事は。けれども、「自分には何かができる」と思い上がったシィンに付き合ってくれた挙句に囚われたラスの事は、何としてでも解放しなければならない。
無言で歩く二人が高座に到着するには、さほどの時間は必要なかった。
拓ける視界。
「シィン様!」
「我らが『神の娘』、万歳!」
シィンたちが姿を現すと同時に、沸き立つ歓声。
そこにはいつものように人がひしめき合い、いつものように期待に満ち満ちた視線をシィンに向けてくる。その目は、アシクの里の者たちのものと、何と違っていることだろう。
『神殿』という羊飼いに飼い慣らされ、自らの手で道を切り拓く術を忘れてしまった、その目。熱に浮かされているように熱いけれども、生き生きとはしていない。
自分がそれを作り上げる一端を担っていたのだと思うと、シィンの心は締め付けられるように痛んだ。
「――……」
何か声をかけようと口を開きかけた彼女の機先を制して、キンクスの冷ややかな声が届く。
「ラスを無事に解放したければ、余計なことは言わないように」
シィンはバッと振り向き、彼を睨み付ける。
「さあ、そちらに横になれ」
精一杯の意志を込めた彼女の眼差しをものともせず、キンクスは高座の中央を手で示した。ここに着いた時からシィンも気付いていたのだが、そこには、以前にはなかった、ちょうど人一人が横たわることができる程度の大きさの台が置かれていた。
「?」
もう一度振り返って目で尋ねるシィンに、キンクスは笑顔で促す。群衆には、きっと、至上の慈愛に溢れた笑みに見えていることだろう。
「お前の為の舞台だよ。さあ」
拒んでも無駄なことは判っている。シィンは一度唇を噛み締めると、その台へ身を横たえた。
と、すかさず伸びたキンクスの手が、手早くシィンの四肢を台に拘束していく。
「神官長様!?」
「何、心配するな。言っただろう? 本当に傷付けはしないさ」
身を屈めてシィンに顔を近付けると、彼はそう囁いて、終いには彼女に猿轡を噛ませてしまう。そうして、高座の際まで足を進めると、群衆を見渡した。
「皆さん、随分と儀式を開くことができていませんでしたが、それも、今日、この日の為です。『神の娘』シィン様は、その身を神々に捧げてくださることを決意なさいました――我々の為に! 長らく禊に入っておられましたが、それも終わりです。夜空を照らす慈悲深き月の女神の現身であるシィン様は、その肉体を捨てて、神々の元へ還られます。そうして、神々の国から、我々を見守っていてくださるのです!」
響き渡る、大神殿の広間を揺るがす、どよめき。
身動きが取れないシィンにも、感極まる民衆の様を、目に浮かべることができた。
グルリと舐めるように眼下を一望し、満足そうな笑みを浮かべたキンクスがシィンの元へと戻ってくる。
「どうだ? あの愚か者どもの歓喜の声が、聞こえるか?」
キンクスは突き刺さらんばかりの視線を向けるシィンの耳元にそう囁くと、しずしずと高座の袖から現れた神官が差し出す短剣を受け取った。きらびやかな装飾がなされたそれに芝居がかった仕草で香料の入った水をかけ、何かを呟く。
そうして、シィンが囚われている台の傍に立った。
「さようなら、『神の娘』よ」
民衆の目にもはっきりと映るように、高く振り上げられる、短剣。
シィンは、真っ直ぐにキンクスを見つめていた。
何があっても、決して、目を逸らしはしまい。シィンは、そう、心に決めていた。
その目を受け止めて、キンクスが笑む。
シィンの中に、こうなったことへの後悔は無かった。
けれども
――カイネ……ローグ……。
その名を胸の中で呼ばわる。
みんなに、もう一度だけ会いたいと、心底から願った。




