半月後.4
一番早く硬直状態から立ち直ったのは、カイだった。
彼は驚きで見開かれているメーイの目を、背後から両手でそっと覆った。
確かに目の前の光景は子供の教育上いいものとは言えない。なかなか常識的な部分もあるじゃないかとセイショウは感心する。
ただしメーイの外見は幼子そっくりでも、実際はそれなりの年齢なのだが……ショックを受けたカイとセイショウの頭では、そこまで思い至らないらしい。
当惑する2人の前で、ソルがもふりーなの背から飛び降りる。苛立ちを隠そうともせず、不機嫌そのものといった顔でずかずかと迫ってきた。
セイショウはその身体から目を逸らすことが出来ない。鍛え上げられた逞しい肉体は、あちこちに白い傷跡が残っていた。
「……で? いきなり俺たちをもふもふに攫わせたのはどういう理由だ?」
裸の大男が目の前で腕組みをして見下ろしてくるのが、これほど迫力のあるものだとは思わなかった。
ソルの口の片端は上がっているのに、目は笑っていない。
どう説明しようかとセイショウが迷っていると、隣でカイが呟いた。
「とりあえずソル、服を着てくれないかな。さっきから君の股間を見せられて僕の劣等感は増していくばかりなんだけど」
後ろで聞いていたベルが顔を真っ赤に染めた。
ソルはジロリと横目でカイを睨み、ふんと鼻を鳴らす。そしてクルリと背を向けると、彼の私物を置いてある棚へ近づいて行き、服を引っ張り出した。
確かにソルは下着の上からでも分かるほど自己主張の激しい身体だが……メーイの目を塞いでいても、耳からこんな言葉を聞かせては意味がないではないか、とセイショウは非難するようにカイを眺める。
しかしとうに目隠しを外されていたメーイは、無表情で人数分の茶を用意していた。
自分一人が勝手に気を揉んでいたことを知り少々バツが悪い。セイショウはそれを隠すように声を上げた。
「僕が連れてくるように頼んだのはベルだけですよ」
「それがたまたま二人一緒に居る時だったってわけだ。邪魔されて気の毒だと思うけど、運が悪かったね」
カイが同情したように言うと、しかめ面のソルが振り向いた。
「一緒に居たわけじゃない。俺は稽古していたところをいきなり連れてこられたんだ」
「え?」
「なんだ。姫と一緒に居たんじゃないのか。二人ともそんな恰好だから、僕はてっきり」
セイショウが慌ててカイの口を塞ぐ。
更に顔を赤くしたベルが、もふりーなの毛に埋もれるように身を縮めて「……私は入浴中だったのだ」と呟いた。神獣によって空へと連れ去られる時に、咄嗟にタオルを掴んできたらしい。
「以前は私が着替えるまで待ってくれたのだが……もふりーなは私の命令よりもセイショウ君の頼みを優先するらしい」
ベルは複雑な顔をして苦笑を浮かべた。
ということは神獣たちは、ベルを連れてくる途中でわざわざソルも拾ってきたことになる。盗難事件の話をするにはソルも居た方が都合が良いのは確かだが、そこまで気が回せるものだろうか。
顎に手を当てて考えを巡らせていたセイショウが、神獣たちに視線を向けた。
彼と目が合うともふりーなは嬉しそうに喉を鳴らす。言いつけ通りベルを連れてきたことを褒めて欲しいようだ。だがもふもふは、険のある眼差しでセイショウを睨みつけたかと思うと、ふいと顔を逸らせた。
(……コイツか)
どうやらベルともふりーなを守るために、助っ人としてソルを連れてきたらしい。
なぜそこまで警戒されなければならないのか。ため息を禁じ得ない。
「すみませんでした。今度からは裸のまま連れてこないように、もふりーなに頼みます」
「ああ。そうしてくれ」
セイショウが謝ると、ベルが頷いた。もはや彼女も、もふりーなにとって巫女である自分よりもセイショウの存在の方が重きを置かれているという事実を受け入れ始めていた。
「飛んでる所を誰かに見られなかった?」
「ああ、それは大丈夫だ。今回はもふもふたちも、ちゃんと身体を隠していたからな」
カイの問いに、ベルが答えた。
通常もふもふたちが空を飛ぶ時は、神獣の身に宿る力を駆使して姿を隠しながら移動する。それはベルが命じるわけではなく、神獣たちがほとんど無意識下で行うのだ。
滅多にないことではあるが、その力を使わずに飛ぶと一般人に目撃されたりする――セイショウに見られた時のように――その場合は相手の記憶を消すわけだ。
面白いことにもふもふたちが心を許した人間に対しては、この力は効果を発揮しない。魔法生物研究会のメンバーは全員、飛んでいる神獣の姿を見ることが出来た。
いつだったかセイショウが校門で立ち話をしていた時に、友人の背後をもふもふが通り過ぎていくのを見て危うく吹き出しそうになったことがある。友人たちは何も感じなかったようだが、堂々と低空飛行をするもふもふに、セイショウは唖然としてその姿を見送った。
「じゃあ、俺は居なくてもいいのか」
「いえ。ソルにも聞いてもらった方がいい話です。呼びに行く手間が省けました」
「……何があった?」
着替え終わったソルが、自分のシャツをベルに手渡しながら振り返った。ベルも怪訝な表情を浮かべている。
室内に緊張が張りつめようとした、その場の空気をぶち壊す人間が一人。
「ええー、せっかく目の保養だったのに服を着ちゃうのかい?」
「……ちょっと黙っててくれませんか、カイ」
「まあ、シャツ1枚ってのもポイント高い恰好だけどねぐえぇ」
ソルの太い腕に首を絞められて、ようやくカイが静かになる。
シャツを着たベルが気まずそうな顔で近づいて来て椅子に座った。
ソルのシャツは長身なベルが着ても膝に届くほど長く、まるでゆったりとしたワンピースを着ているようだ。ベル本人の雰囲気も関係しているのだろうが、それは色っぽいというよりも清潔感を感じさせる恰好だった。
先ほどからずっと、メーイは一言も口をきかずに俯いていた。全員が席に着いたところでセイショウがそっと彼女の背中に触れて促すと、ピクリと震えた後、覚悟を決めたように大きく息を吸い込み、震える声で言葉を紡ぐ。
「……アイヒテンが、誰かに盗まれたみたいなの~……」
ごめんなさいと呟き、涙の滲む瞳で膝の上に揃えた両手の甲をじっと見つめている。セイショウが頭を撫でてやると、メーイは握りこぶしで涙を拭った。
「いつ盗まれていることに気がついた?」
「今日、餌をやりに行ったら~……」
「その前にアイヒテンの姿を確認したのは?」
「え、ええと~……4日前かな~」
指を折ってメーイが数える。
まるで尋問のようだがソルの口調は淡々としており、メーイを責めているような感じではなかったため、次第に彼女も落ち着きを取り戻してきた。
アイヒテンは満腹状態だと生命維持機能が鈍くなってしまうため、餌やりには4日から5日の間隔を空けてやった方が良いからだ、と説明する。
魔物の生態と飼育に関しては、この部でメーイにかなう者は居ない。元々キャットガーター族は人間と魔物の中間に位置する種族であり、どちらに属しても生きて行けるよう、幼少のころから集落の中で教育を受ける。そこに大学で学んだ知識も加わり、メーイは何度も生物学の助教授に推薦されるほど博識だった。
「小屋に荒らされたような様子は?」
「ありませんでした」
ベルの質問にセイショウが答える。
「普段通りの様子でした。僕だけではアイヒテンが居ないことに気づきませんでしたよ」
「ということは我々が見ても気づかなかったということだな」
ふむ、とベルが考え込む。するとソルが「待て」と声を挟んだ。
「つまり、盗まれたアイヒテンの数は少ないのか?」
「う、うん。1匹だよ~」
メーイが言うと、カイは「なぁーんだ」と気の抜けたような声を上げた。
「もっとたくさん盗まれたのかと思ったよ」
「だが、それもおかしい話ではないか? 毛皮が目的なら1匹で済むはずがない」
「つまり犯人の目的は毛皮ではないということですか」
「ペットとして飼うには気性が荒すぎる。剥製にするのも無理だったはずだな。薬品と肉体の相性が悪いとかで」
「毛皮以外の使い道……」
そこで全員の視線がカイに向く。口には出さなくても、皆の頭に「食用」の二文字が浮かんでいた。
疑惑の視線を浴び、カイが抗議の声を上げる。
「ちょっと。希少種には二度と手を出さないって前に約束したでしょ」
「……やったことがあるんですか」
「冗談だよ。でも僕じゃないよ? アイヒテンって食べられる部位が少ないんだよ。毒も持ってるしね。あいつらの価値って言うと、毛皮とその毒ぐらいじゃないの?」
「確かに毒はあるけど、効果が弱いから実用向きじゃないよ~? 誰かが毒薬として使うなら、もっと他に相応しい魔物が飼育小屋に居るよ~」
メーイの言葉に、全員が黙り込んだ。
いくら考え込んでも、誰が何のためにアイヒテンを盗んで行ったのかが分からない。分かっているのは犯人が大学構内に居ることと、何らかの方法で飼育小屋の鍵を開けたことだ。
「犯人は、俺たちが知らない利用価値をアイヒテンに見出しているんだろう。居なくなったのが1匹だけならメーイが見落としている可能性もある……まあ限りなく低い可能性だが。
とりあえず俺とベルが確認して、小屋の鍵を変えておく。そして盗難が事実であった場合、犯人を捕まえる」
「警吏の力を借りた方が良いんじゃない?」
カイの提案は、この問題を大学外部にも公表して官憲に捜査してもらったらどうか、ということだ。
アイヒテンは希少種であるし、その盗難となれば重大事件である。内密に処理しようとしたことがバレれば、魔法生物研究会も処罰を免れないだろう。やはり公表しておくのが無難ではないかとセイショウも思った。
だがソルは、非常に嫌そうな顔でその提案を却下した。
「奴等を動かすと色々と面倒なんだよ。つーわけで俺たちだけで事件を解決する」
面倒の一言で片づけるか。
微妙な顔になったセイショウを見て、ソルがニヤリと唇を歪めた。
「なぁに、心配するな。たとえバレたって、俺が何とかしてやるからよ」
それは本能的に、どう「何とかする」のか聞いてはいけないと思うほど、真っ黒な笑顔だった。