半月後.3
いつも通りセイショウが飼育小屋に向かうと、金網の前でしゃがみこんでいるメーイの姿があった。
気にかかることでもあるのか、しきりに小屋の中を覗き込んでは何かを確認している様子だ。
「どうしたんですか、メーイ」
「セイショウ君~……」
ふりむいたメーイは弱りきった顔でセイショウを見上げた。よろよろと立ち上がると、両手でギュっとセイショウにしがみつく。その目からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
「どうしたんですか」
そっと頭を撫でてやりながら、優しい声でもう1度聞く。
「テンテンが……」
「テンテン?」
言われてメーイの背後にある小屋に目を向ける。中に居るのは「テンテン」と呼ばれる小型の魔物だった。
細長い胴体に大きな尻尾。手足と耳はちょこんと小さく、黒くつぶらな瞳。だがその愛らしい容姿とは裏腹に、性格は割と凶暴である。
この小屋ではアイヒ固有の種である「アイヒテン」を飼っている。テンテンの中でも独自の習性を持つため飼育は難しいと言われていたのだが、魔法生物研究会はその繁殖を、世界で初めて成功させていた。
夜行性なので小屋の中のテンテンたちはまだ眠っている。早めに目が覚めたらしい数匹が、緩慢な動作で餌を探していた。
見たところ彼らの様子は普段と変わりない。
「テンテンがどうしたんですか、メーイ」
「足りないの~……」
ぐずぐずと鼻をすすりながらメーイが言う。その言葉の意味をしばらく考えてから、セイショウは口を開いた。
「餌が?」
「……ちがうよ~。この前、一緒に買いに行ったばかりでしょ~」
少し呆れたような声を上げられ、セイショウはにっこり笑ってポンポンとメーイの頭を軽く叩いた。
「冗談ですよ」
「……真顔でボケると紛らわしいよ~」
口を尖らせるメーイだったが、すぐに「でも」と言って微笑みを浮かべた。
「元気づけようとしてくれたんだよね~。ありがとう~」
そしてまた、ギュっとセイショウにしがみつく。
別に元気づけようとしたわけではないのだが……どうも彼女はセイショウのやること全てを好意的に受け止めるようだ。
果たしてこの誤解を解くべきか否かと迷っていたセイショウだったが、メーイが消え入りそうな声で「……テンテンの数が足りないの~」と囁いたために、急に真面目な顔つきになった。
「確かですか?」
小屋の中に目をやりながらセイショウが尋ねると、メーイが無言で頷いた。
まだ入部して間もない自分では、ぱっと見て数が減っているかなどは分からない。だが飼育している魔物の全てを、1匹1匹を見分けられるメーイが言うのであれば間違いない。
「また脱走ですかね」
セイショウは困ったような顔で眉間に皺を寄せながら呟いた。
以前、草食の魔物が飼育小屋から脱走したことがあった。彼らはセイショウとメーイによって探し出され捕獲されるまでの間に、大学の植物園に壊滅的なダメージを与えたのである。ついでにカイの菜園にも。
その後、ベルとソルが植物の研究室と園芸クラブへ謝罪に赴き、貴重な植物が失われた代償として決して小さくない額の賠償金を支払うことになった。
ちなみにカイは、彼を励まそうとしたベルを逆に口説き、強引にデートの約束を取り付けようとしたところをソルに殴り倒された。
もしアイヒテンが脱走して、どこかに被害を与えたら……と損害賠償のことを考えたセイショウは自然、厳しい顔つきになる。
けれどメーイは彼の疑問に「違うと思う~」と首を振った。
「テンテンは……アイヒテンは繊細な魔物なの~。本当は小屋に入れなくてもロープで囲っただけで、その中から出ようとはしないんだよ~」
それは知らなかったとセイショウが目を丸くする。もしそうなら、確かにアイヒテンが自分から脱走するとは考えられない。
「盗難……ですかね」
渋面で最悪の可能性を呟くセイショウに、メーイは「多分……」と暗い表情で頷いた。
アイヒテンの毛皮は滑らかで手触りが素晴らしく、昔から高級品として人気が高かった。そのため人間による乱獲が続き、現在は希少種に認定されるほど数が減ってしまっていた。絶滅危惧種になるのも、そう遠い話ではないと言われている。
個体数の減少に歯止めをかけるため、数年前、魔法生物研究会はアイヒテンの繁殖に着手して見事に成功させたのである。その話は大きく取り上げられ、コセキ総合大学は国と都市の両方から功績を表彰されていた。
しかし繁殖に成功したからと言って、油断は出来ない。アイヒテンの繁殖期間は短い上に、1度に生まれる子供の数も少ない。そして依然として減らないのが――密猟であった。
「ベルたちに相談しないと……僕たちでは何もできませんね」
セイショウの声に、メーイが身体をビクリと震わせる。彼女が項垂れると、頭の上の猫耳もしょんぼりと下を向いた。
「……怒られないかな……」
俯いたまま小さな声で言う。
メーイは、飼育担当者だ。魔物の管理について責任を負う立場にある。彼女の怠慢のせいでアイヒテンが盗まれたと言われたら、甘んじてそれを受け止めなければならない。
だがセイショウは「大丈夫でしょう」と言うと、唇を噛んでいるメーイの両頬をつまんで左右に引っ張った。
子供の頬のように弾力のあるそれは、まるで餅のように驚くほど伸びた。
「いひゃいお~……」
顔を上げたメーイが非難めいた視線でセイショウを睨みつける。
にやりと笑ったセイショウが、パッと両手を離した。そしてその場にしゃがみこむと、両手で頬をさすっているメーイと視線を合わせる。
戸惑いの色を浮かべる大きな瞳を覗き込みながら、セイショウは口を開いた。
「メーイが一生懸命、魔物たちの世話をしていたことはクラブの皆が知っています。明らかな過失でもない限りは怒らないと思いますよ。鍵の管理はちゃんと決められた通りにしていましたか?」
こくんと頷く頭を、いい子いい子と撫でる。
「じゃあ、行きましょうか」
セイショウが立ち上がって手を差し伸べると、メーイは小さな手をそれに乗せた。
彼女の手を引いて歩きながら、セイショウはすっかり保父さんになったような気がしていた。
後日、その光景を見た学友たちの口から「幼女趣味」の噂が広まりセイショウの頭痛の種となるのだが、それはまた別の話である。
***
魔法生物研究会の部室には、もふもふともふりーなの像が置かれている。
セイショウはもふりーなの像にかがみこむと、そっと囁いた。
「ベルを連れて来てくれないか、もふりーな」
「いいなぁセイショウ君は。僕がそうやっても、ベル姫は来てくれないんだよ」
部室に残っていたカイが羨ましそうに声を上げた。
オルゴ教に関連する施設には必ず神獣の像が設置されている。大学は宗教施設ではないが、巫女であるベルが神獣の像を持ち込んだのだ。というのも、国内にある全ての神獣の像はもふもふともふりーなの意識につながっており、大学を留守にしがちなベルを呼び出すには最も手っ取り早い方法だったからだ。
神獣たちはベルがカイを苦手としていることを知っているため、緊急の用事でない限りカイからの呼びかけには応えない。しかしもふりーなはセイショウからの要望であれば、どんな時でも頼みを聞いてくれた。
オルゴ教の信者でもないのに、なぜこんなあからさまな贔屓を受けるのか。セイショウ自身も疑問に思ってはいるが、今回のような緊急事態の場合はそれを有りがたく思った。
ベルを待つ間に、3人で盗難事件について話し合う。カイは目を丸くして驚きの声を上げた。
「それじゃ犯人は大学の人間だってことかい?」
「そうでしょうね」
セイショウが頷く。外部の人間が、大学の敷地内に奥まで入り込んでアイヒテンを盗むのは難しい。この建物全体のセキュリティはそれほど甘くないのだ。
「……そんな命知らず、居るのかなぁ」
困惑した様子でカイが呟く。メーイも困ったように首を傾げていた。
その疑問はもっともだ。魔法生物研究会の部長がベルで、副部長が「ソル」だということは大学内で広く知られている。アイヒテンを盗むということは、ソルに喧嘩を売るようなものだ。
「ソルのことを知らない新入生か、あるいはよっぽど無謀な人間かな?」
カイが呟いた時、廊下から「きゅるるるるっ」と声が聞こえてきた。もふりーなの合図だ。
セイショウたちが振り向いた時、天井近くに作られた出入り口から神獣たちが滑るように入ってきた。背中にベルとソルを乗せている。
2人の姿を見た3人が、凍りついた。
ソルは下着姿で、ベルは――裸体にタオルしか巻きつけていなかった。