半月後.1
静まり返った室内に、骨ペンのカリカリという音が規則正しく響く。羊皮紙の上に覆いかぶさるようにして、セイショウはレポートを書いていた。
忘れられない思い出となった入学式からしばらくは、慣れない下宿先での暮らしと勉強に翻弄されて過ごしていたが、近頃では新生活のリズムを掴みつつある。心配していたクラブ活動の方も、今の所はメーイと共に魔物たちの飼育をする程度だ。
「……いい加減、睨むのは止めてくれないかな」
眉間に皺を寄せて骨ペンを噛んでいたセイショウは、顔を上げるとうんざりした口調でボヤいた。
彼の視線の先では、1匹の神獣がセイショウの一挙一動を見逃すまいと黒い目を油断なく光らせていた。ちなみにその身体に抱きつくようにして、ベルがすやすやと眠っている。
最近になって分かってきたことだが、ベルは男子生徒の間では憧れの的らしい。
確かに彼女の顔立ちは端正で、黙っていれば涼やかな美貌の持ち主だ。背が高くてスラッとしているので、廊下を颯爽と歩く姿が様になる。ベルはあまり他人と関わらないので、そこがミステリアスな魅力につながっているようだ。
セイショウも何度か大学内でベルを見かけることがあったが、ソルと子供っぽい喧嘩をしている時とのギャップが大きすぎて、最初は戸惑った。部室の外に居る時のベルは神秘的すぎる。
友人となったクラスメイトたちが彼女に魅せられ、傾倒していく様子を間近に見て、セイショウはベルと同じ部に入っている事実を隠しておくことに決めた。バレたら色々と厄介なことになりそうだ。
「この女性が、ねぇ……」
幸せそうな微笑みを浮かべて眠るベルの姿を見て、セイショウは疑わしそうに呟いた。
まるで小さな子供のような寝姿だ。少なくともこの光景から『ミステリアス』なんて言葉は浮かんでこないだろう。だが無防備な寝顔を見たというだけで、間違いなく男子学生の一部から袋叩きにされそうな予感はある。
ベルの、クセのない綺麗な髪がもふもふの上に広がっている。その色が見る角度によって薄いピンクから濃い赤にまで変わる様子を感心して眺めていたセイショウだったが、彼女を乗せた神獣が低い唸り声を上げたので、再びそちらに視線を戻した。
「分かってるよ。見なきゃいいんだろ、もふもふ」
空き時間を部室で過ごすことの多いセイショウだが、今日、来てみると室内にはもふもふとベルが居た。
2匹の神獣を見分けるコツはベルが教えてくれた。普段は埋まっていて見えないのだが、額の毛をかきわけると、彼らには小さな角が生えている。1本だけ生えているのがもふもふで、2本生えているのがもふりーなだそうだ。
しかし教えてもらうまでもなく、セイショウには難なく見分けることが出来た。彼に懐いているのがもふりーなで、ずっと敵意ある目で睨みつけてくるのが、もふもふだ。
もふもふは、セイショウからベルともふりーなを守ろうと思っているらしく、彼が部室に居る限りその挙動をずっと見張っている。セイショウが少しでも長く彼女たちを眺めようものなら、警告の唸り声を発するのだ。セイショウが「何もしやしないよ」と訴えてみたところで、信用するつもりはないようだ。
部室のドアを開けた時、もふもふが居るのを見てセイショウは引き返そうかと思った。しかしどうしても仕上げなければいけないレポートがあったし、他に適当な部屋もなかったので諦めたのだ。
鳥かごの中で、ピーヂョのポポが「ぼぅぼぅ」と低い声で鳴いた。丸まった毛玉にしか見えないが、実は羽がほとんど退化した鳥形の魔物である。メーイのペットなのだが、極めて正確な体内時計を持っているため、部室の時計代わりになっている。
セイショウは「もうそんな時間か……」と呟くと腰を上げて、鳥かごに近づいた。ポポに餌をやりながら「そろそろ起きて下さい、ベル」と声を張り上げるが、呼ばれた本人はギュッと目をつむって、いやいやと顔をもふもふにこすりつける。
腰に手をあてたセイショウが、呆れた様子で彼女を見下ろす。だがあまり長時間見ていると、またもふもふが唸り声を上げるし、起こすためにベルの身体に触れようものなら噛みつかれること間違いなしだ。
ため息をついた後、セイショウはわざとそっけない口調で呟いた。
「僕は別に構わないですよ、そのまま寝てても。…………もうすぐカイが来ますけどね」
カッ! とベルが目を見開いた。先ほどまで眠っていたとは思えないほど、その瞳はハッキリと意志を宿している。
「……もう昼か?」
寝起きの掠れた声が、不安げに問いかける。セイショウが無言で頷くと、ベルは即座に立ち上がって身支度を整えた。
「じゃあ、私はこれで」
そそくさと、まるで逃げるように部室を出て行こうとするベルを、セイショウが呼び止める。
「できればもふもふも連れて行って下さい」
振り向いたベルは一瞬面食らったようだったが、すぐに頷くと「おいで、もふもふ」と手招きした。
巨大な神獣はのっそりと立ち上がると、ベルについて出口に向かう。出て行く寸前まで、目はセイショウを睨みつけたままだったけれど。
もふもふの突き刺さるような視線がなくなり、ふっと身体が軽くなったような気がした。
ベルたちが出て行ってから数分後。
「やあセイショウ君。やっぱり今日も居たね」
声を弾ませて入ってきたのは金髪碧眼の、上に超がつく美男子だった。全身が白ずくめの恰好で、布地には金糸銀糸の刺繍に青い縁取りと、とにかく派手な服を着ていた。しかしそれを上回る派手な顔立ちのせいで、違和感なくしっくりと馴染んでいる。
まるで舞台衣装のような恰好だが、恐ろしいことにこれが彼の普段着である。
「ちょっと待ってて。すぐ昼食にするからね」
鼻唄まじりに厨房へと向かう男の名前はカイ。魔法生物研究会の『調理担当』だ。彼の料理の腕は玄人はだしで、時折プロの料理人相手に講義をするぐらいである。
カイの料理への好奇心は留まることをしらず、クラブでは魔物の肉体を食材として活用する道を探究している。
メーイとセイショウの初めての共同作業によって採取されたモットの内臓は、次の日、カイの手によって見事な料理へと変貌した。
ただ、セイショウがその素晴らしい味を経験するまでには、ちょっとした騒動があったのだけれど。
前日のサバイバルな経験がトラウマとなっていた彼は、カイが作った内臓ソテーに近づこうとしなかった。
メーイは「好き嫌いはだめだよ~」と言って無邪気に肉の塊りを差し出してくるし、カイは「僕の料理の腕が未熟だってことかい……」と落ち込んだ。
悪魔的微笑を浮かべ、皿を手に猛然と追いかけてくるソルと、逃げ惑うセイショウという光景がしばし繰り広げられた後、無理やり押さえつけられたセイショウの口の中にソテーは突っ込まれた。
人間とは現金なものだ、とセイショウは思う。結局あの味を知ってから、自分の内臓料理に対する抵抗は全くと言っていいほどなくなってしまったのだから。
セイショウが昼時になると必ず部室に現れる理由は、無料で昼食にありつけるからだ。しかも料理人がカイであれば文句など出るはずもない。
カイも、自分の創作料理を食べてくれるセイショウを大歓迎しているというわけだ。
カイが料理をしている間にセイショウはレポートを仕上げ、丁寧に銀色の封筒に入れた。
それは大学の購買で売られているレポート提出専用の封筒で、宛名を書けば自動的に受取人の所まで飛んでいく魔法がかかっている。
セイショウが受取人欄に教授の名前を記入すると、封筒はひとりでに浮き上がり、ドアの隙間を通って廊下へと出て行った。
「さあ、食事にしようか」
封筒の行方を目で追っていたセイショウの前に、カイが料理を差し出した。緑色のトロリとしたスープから湯気が立ち上っている。
「何のスープですか?」
「とりあえず味をみてくれない? 感想を聞かせてほしいんだ」
カイに促され、スプーンを手に取るセイショウ。スープを口に含んでみると、鼻に抜ける爽やかな風味が広がった。微かなえぐみがアクセントとなり、後を引く。
「美味しいですね。さっぱりしていて暑い季節に良いんじゃないでしょうか」
二匙、三匙とスープを口に運びながらセイショウが感想を口にすると、カイは「そっか。気に入ってくれて良かった」と嬉しそうにニコニコと笑った。そして「はいこれ」とセイショウに紙を差し出す。
「……何ですか、これ」
「領収書。この料理を作るために、少し珍しい食材を買ったんだよ。経費で落としておいてね」
「…………」
その金額に目を通したセイショウの顔が、盛大にひきつった。