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夜、下宿にて

 セイショウは重い足を引きずって自室にたどり着くと、うつ伏せにベッドの上に倒れ込んだ。

 喉の奥から低い呻き声が漏れる。だが、たとえ独り言であろうと「疲れた」とは言わない。そんなことは声に出して確認しなくていい。

 彼は疲れきっていた。どちらかと言うと精神的なダメージの方が肉体の疲労を上回っていたのだけれど。

 枕の上に顔だけ起こしたセイショウは、メーイと共に過ごした数時間を思い返して顔をしかめた。

 

 彼女に連れて行かれたのはモットの飼育小屋だった。小型で大人しいので、愛玩用として飼われることも多いポピュラーな魔法生物だ。

 しかし通常は両手に乗るぐらいの大きさであるのに、飼育小屋の中に居たのは、一抱えもありそうな大きさのモットだった。


「飼育用に小型化されたものじゃなくて~、ここじゃ野生のままのモットを飼ってるんだよ~」


 そう言ってメーイがモットを両腕で抱え込んだ姿は、巨大なヌイグルミを抱えた幼子おさなごにしか見えなくて、セイショウは笑いを噛み殺すために慌ててそっぽを向いた。


 彼女の説明によると、野生のモットは繁殖力が強いのだが、あまり個体数が増えすぎると共食いを始めるのだという。


「だから時々~、数を減らして調整してあげるの~。血が濃くならないように、外から新しいオスやメスを入れてあげることもするし~」


 のんびりとした口調で言いながら、無邪気な少女にしか見えないメーイが肉切り包丁を自在に操ってモットを捌く光景は…………神経が繊細な者にとってはトラウマものだろう。

 セイショウとてそれほど繊細というわけではないが、これまで肉屋が持ってくる塊り肉しか見たことのない者にとって、皮を剥いだ瞬間の独特な臭いは、顔面蒼白になるぐらいの威力があった。

「だらしないよぉ~セイショウ君」とメーイに言われながら、彼女が取り出した内臓を冷水でよく洗い、塩をふって寸動鍋に入れていく。ほとんどヤケクソだった。


 それが終わると、今度は池に連れて行かれた。

 メーイが捕まえたラニアという魚型魔法生物――小さいながら肉食で鋭利な歯を持っている――の頭を切り落とし、鱗を剥がす。

 死んだ魚なら捌いたことがあるが、生きた魚、しかも凶器を持った魚は初めてだ。

 最初はへっぴり腰でラニアを押さえつけていたセイショウだったが、「ラニアの鱗は高値で売れるんだよ~」と教えられてから、急にきびきびと動くようになったとメーイは語っている。

 全ての作業を終えた時、空は茜色に染まっていた。

 ずっと同じ姿勢で、しかも「1枚の鱗も取り逃さないように」と神経を使って作業をしていたせいで、セイショウの身体はすっかり強張ってしまっていた。ひきつるような痛みを我慢しながら、メーイと共に素材を集め、部室に運び込む。ベルともふりーな、ソルの姿は消えていた。

 気づけば爪の間にはどす黒い肉片がびっしりと入り込んでいる。何度手を洗っても取れないそれと格闘していたら、メーイが小さな両手でセイショウの手を握り、『除去』の魔法を使って汚れをすっかり取り除いてくれた。


 顔の前に両手をかざし、裏、表とひっくり返しながら眺める。爪も皮膚も健康的なピンク色であることを確認した後、セイショウはため息をついて身体を起こした。

 間が悪いと言うか、今夜の下宿の夕飯は臓物スープだった。

 セイショウは一膳飯屋いちぜんめしやの空き部屋に間借りしており、食事は店で客に提供されるものと同じものを食べることができる。下宿の主人は大柄で不愛想な男なのだが、彼が作る料理はなかなか味が良く、いつも繁盛していた。

 しかしどんなに味が良くても――しかも空腹であったのだが――セイショウは、今夜のスープを食べられる気がしなかった。

 そんな彼に対して主人は、ムッツリとした表情のまま、手早くタマゴ粥を作ってくれた。

 セイショウからは何も説明していないのに、このチョイスの的確さは何なのだろうと思いながらも、ありがたく頂戴する。卵と塩と米だけのシンプルな粥は、ホッとする味がした。


 腹もくちくなり、襲ってくる眠気を振り切りながら、セイショウはベッドから机へと移動する。やることを終えなければ寝ることは出来ない。

 彼が取り出したのは、大学の授業の一覧表だった。骨ペンを手に、明日からどの講義に顔を出そうかと考える。

 セイショウは「この分野の勉強をしたい」という明確な目的があってコセキ総合大学に来たわけではなかった。

 自国での義務教育を終えた後、彼は就職した。名目上はある実業家の秘書ということになっていたが、実際は他の従業員たちと同じように様々な仕事をしなければならなかった。事業に関する専門知識を身に着け、必要な資格を取得する必要があり、仕事の合間に勉強する忙しい日々を送っていた。

 ある日、かつて一緒に勉強した同級生たちと集まった時、友人たちが口ぐちに「学生時代には戻りたくない。もう勉強なんてしたくない。勉強は嫌いだった」と言うのを聞いて気がついた。

 セイショウ自身は勉強が嫌いではなく、むしろ新しい知識を身に着けることが楽しいと感じていたことを。彼も「学生時代には戻りたくない」と思っていたが、それは勉強をしたくないからではなく、叔母の庇護の下でしか生きられなかった無力な自分に戻りたくないだけだったのだ。

 そのことに気づいた時、彼は、もっと多様な知識を身に着けたいと思った。自分の興味あることは何でも学んでみたいという欲に駆られた。

 コセキ総合大学はどんな分野の学問であろうと分け隔てなく学ぶことができ、まさにセイショウの理想にぴったりだったのだ。

 一覧表を睨みつけながら、セイショウは生物学の講義と、経済学の講義に印をつけた。

 クラブ活動は予定外だったけれど、こうなった以上は徹底的に利用してやるつもりだった。

 どうせ経理の仕事をするならば、講義で経済学を学び、クラブ活動でそれを応用する。魔法生物の知識もつくだろうし、今日のような経験を積めば解剖学も得意になるだろう。

 セイショウは他にもいくつか講義を選んで作業を終えた。顔を出してみて、もし面白くなさそうな内容なら受講を止めればいい。他に良い授業が見つかれば、途中から参加すればいい。

 コセキの講義は全て「来る者拒まず、去る者負わず」のスタンスであり、この自由さもセイショウが留学を決めた理由の1つだった。


 そう言えば魔法生物研究会の正式な活動時間を聞いていなかった。明日の放課後、部室に顔を出してみよう。少なくともメーイは居るはずだ。本人がそう言っていたし、「セイショウ君も来てね~」と熱心に言っていたから。

 そこまで考えたセイショウは、叔母に手紙を書くという約束を思い出した。国を出る時に、入学初日の感想を必ず書いてよこせと念押しされていたのだ。うっかり書き忘れようものなら……あの叔母のことだ。何をやらかすか分からない。

 やれやれと思いながら羊皮紙を取り出し、文面を考える。自分がモットの内臓を洗い、ラニアを捌いたことを知ったら叔母はどう思うだろうか。恐らく「これでセイショウも男らしい男になれる!」と喜ぶに違いない。

 その様子を思い浮かべたセイショウは、げんなりと脱力し……結局、手紙には無難なことだけ書いて済ますことにした。

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