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更に三日後

 いつものように部室のドアを開けた瞬間、鼻先に何とも言えない異臭を感じたセイショウは、思わず後ずさった。

 咄嗟に持っていた教科書で顔の下半分を覆う。その程度のことで防げるような臭いではないと分かっていたが、条件反射のようなものだ。

 目や鼻にツンと来るような刺激臭ではない。しかし部屋の空気が黄色く染まって見えるような、厩舎と豚舎と牛舎の臭いが混ざりあったような――ハッキリ言って悪臭だ。

 セイショウは後ろ手にドアを閉めると、部屋の中に進み出て叫んだ。


「何をしたんですか、カイ!」

「僕のせいだと決めつけるのかい?」


 死角になっていたキッチンから、カイが顔を覗かせる。心外だという表情が浮かんでいた。


「違うと言うつもりですか?」

「うん、まあ僕が原因なんだけど」


 セイショウが疑わしそうな表情を浮かべて言うと、あっさり認めた。

 ベルが部室に来るのは、講義や巫女としての責務をサボるのが主な目的だ。ボーッとしたり昼寝をしたり、特にすることもなく過ごしている。ソルは部の運営に関する書類に目を通したり魔法具の手入れをしたり、依頼をチェックするために来る。二人ともこんな異臭を発生させるような作業はしない。

 メーイは時々薬を調合したり魔物の餌を配合したりと化学実験を行うが、結果が分かりきっている内容の実験しかしない。

 誰も思いつかないような突拍子のない料理を考えつき、躊躇いもせず実行するカイ以外に犯人は思い当たらないのである。


「クーリの鉢植えが見当たりませんね。あれがあれば、少しは臭いがマシになったかもしれないのに……誰かが持ち出したんでしょうか」


 セイショウが探しているのは空気清浄作用を持つ植物だ。一般的に悪臭とされる臭いを吸収し、清浄な空気を放出するという性質を持っている。

 育て方も簡単で土壌を選ばずに栽培することが出来るので、ごく普通の一般家庭には必ず置かれている。この部室にも何鉢か置いてあったのだ。


「ああ、あれね。料理中にインスピレーション沸いちゃって、クーリも鍋に入れてみたんだよね」

「クーリを、鍋に?」

「そうしたら部屋中にこの臭いが充満したんだよ」

「……」


 セイショウは言うべき言葉が見つからず、ただ無言でカイの顔を見つめた。

 カイの言葉の意味は分かる。分かるけれど理解は出来ない。

 なぜ食用ではないクーリを鍋に入れようと思ったのか。そしてこんな異臭を発生させる料理とは一体どんな代物しろものなのか。


(天才と何とかは紙一重……)


 料理という分野に置いて、カイは間違いなく天才の部類に入る。その独創的なアイデアは尽きることなく、誰も真似することが出来ない。

 自分のような凡人が天才の考えることを理解できるはずがないと、セイショウは早々に考えることを放棄した。

 とりあえず別の話題を探そうと室内を見回す。


「……ポポが」

「大丈夫だよ、気絶してるだけだから」


 鳥かごの底に、ピージョのポポが仰向けに転がっていた。

 死んでいるのかと不安になったが、カイがあっけらかんと否定する。なんでも完成した料理をつまみ食いさせた途端に硬直したのだと言う。


「メーイが何と言うか」

「さっきまで部室に居たよ? おやつに生クリームのケーキを食べていったけど」


 この臭いの中で生クリームのケーキを。

 迂闊にもその味を想像してしまったセイショウは、口に手を当てて吐き気を堪えた。


「セイショウ君もお昼まだでしょ。今日の料理は渾身の出来だよ!」


 カイが嬉々として突きつける皿からは、威力を増した悪臭が立ち上っている。


「いりませんよ! 魔物がショックで気絶する料理なんて!」

「まあまあ。臭いに慣れるまで噛んでれば、その後で美味しい味が広がるよ」

「臭いも味のうちと言うでしょうが」

「食わず嫌いはいけないよ、セイショウ君」

「ソルかベルが食べた後でなら、僕も食べましょう」

「動物性の材料が入ってるからベル姫は無理。ソルはああ見えて好き嫌いが多いんだよ。何でも食べそうな顔してるくせにね」


 ぐいぐいと皿を押し付けてくるカイと、それを押し戻そうとするセイショウ。

 カイは見た目は優男だが、料理人として経験を積んでいるため腕力は強い。

 徐々に近づいて来る悪臭から逃れるため、顔を背けるセイショウ。このままでは抵抗を押し切られると確信し、カイの腹に蹴りを叩きこもうと覚悟を決めた。

 だが彼が足に力を入れる前に、二人の目の前から皿が消える。


「へ?」

「え?」


 呆気にとられる二人の真ん中で、もふりーなが口をもぐもぐさせていた。彼女の口元からは、ぼりぼりバリバリという、くぐもった破壊音が聞こえてくる。


「うわぁーっ!」


 大きな物音にキッチンを振り返ったカイが悲鳴を上げた。

 そこではもふもふが後ろ足で立ち上がり、頭を大きな寸胴鍋に突っ込んで料理を平らげていた。盛大に尻尾を振っているところを見ると、その味に喜んでいるらしい。

 一方でセイショウはもふりーなの口を開けさせ、怪我はないか、具合は悪くないかを確認していた。

 前足を揃えてお座りをしたもふりーなは、満足げに舌なめずりをしている。


「……どうやらカイの料理は神獣に大好評のようですね」

「自信作だったのに……」


 空になった鍋を悲しそうに見下ろしながら、カイが呟いた。

 同じものを作ろうにも材料が揃っておらず、そのうち一つが手に入れにくいものらしい。

 それを聞いたセイショウが安堵したのは言うまでもない。

 

「セイショウ君の昼ごはん、何か別のものを作らないとね」


 いつまでも落ち込んでいても、消えた料理が復活するわけでもない。

 カイは気を取り直して、とりあえず目の前の空腹を抱えた人間のために料理をしようと顔を上げた。


「それよりカイ、この臭いを何とかして下さい。こんな環境で食事は出来ません」


 セイショウが文句を言うと、カイは「それは困るなぁ」と言いながら部室の窓を開けた。そして再びキッチンへと戻ると、料理用ナイフを取り上げる。カイの身体から滲みだしたルビー色の魔力がナイフを包み込むと、彼は「ウィング」と呟きながら腕を振った。

 ひゅっと音を立てて空を切ったナイフの切っ先から風が巻き起こる。弱すぎず強すぎもしない風は、セイショウとカイの服の裾を翻しながら窓の外へと流れて行った。


「こんなものでいいかな」


 しばらく部屋の換気を行った後、カイが金髪をサラリと揺らしながら呟いた。

 完全に臭いが消えたわけではないが、微かに漂う程度に残っているだけだ。セイショウが頷くと、カイは笑顔を浮かべて料理に取り掛かった。


「カイは杖を使わないんですね」


 お昼寝タイムに突入した神獣たちを眺めながら、セイショウがカイに問いかける。

 魔力を持つ者の大部分は、杖がなければ魔法を使うことができない。しかし杖さえあれば誰しも魔法が使えるわけではなく、適切な量の魔力の供給とコントロールが必要である。稀に杖なしで魔法を駆使する者も存在するが、非常に珍しいのだ。


「ああ。このナイフの柄、魔法の杖で作ってあるんだよ」


 まな板の上に視線を落としたまま、カイが答えた。

 予想外の言葉に目を見開くセイショウ。

 魔法使いにとって杖は何よりも大切なものだ。杖なしでは魔法を使うことが出来ないのだから。それを他のものに作り替えてしまうなど、聞いたことがない。


「なぜナイフに?」

「僕の魔法の杖、太くてね。携帯するの面倒だったんだよ。料理用のナイフは常に持ち歩いてるし、こうすれば邪魔にもならないし忘れることもないでしょ」

「……そうですか」


 つまり魔法を使う時は常にナイフを振り回しているのだろうか。何も知らない人間が見たら、危険人物にしか見えない気がするのだが。そもそもナイフを常時携帯しているなんて、不審すぎるのでは。

 そんなことを考えながらカイを見ていたセイショウは、以前ソルが魔法を使ったときのことを思い出した。


「そう言えばソルは杖を使わないですね」

「彼は音声魔法が使えるからね」


 音声魔法は呪文のみで発動させる魔法だ。杖という明確な形のあるものに意識を集中させて魔力を籠めるのとは違い、声という形のないものに魔力を籠めなければならない。更に声の大きさ、音の高低などに影響を受けるため、使いこなすのが難しい。

 コセキに来るまでセイショウは音声魔法というものを知らなかった。彼の出身国では誰も使い手がおらず、教えられる人間が居なかったのだ。


「音声魔法……さすが魔法戦士ですね」

「いや、ソルの場合は別格だよ。魔法戦士の中でも音声魔法が使える人間は、まず居ない。この国では彼だけだね」


 魔法戦士は『魔法使い』と『戦士』が一体となった職業だ。もともと頭脳派の職業であるため、実際に戦場で戦うことは少ない。けれど『戦士』という名前がつく以上、いざとなれば前線で矢面に立つこともあるのだ。

 通常の魔法戦士は右手に杖、左手に盾を持って闘う。ところが音声魔法の使えるソルの場合、杖を持つ必要がない。両手を自由に使えるため、他の魔法戦士では扱うことのできない弓矢なども操れるのだ。戦場では非常に有利と言えるだろう。

 カイの説明を聞きながらセイショウが唸った。先ほどから聞かされるソルの卓越した能力の高さが、どうしてもあの胡散臭い外見と一致しない。

 そんなセイショウの心の中が分かったのか、カイが手を拭きながら苦笑を浮かべた。


「ほんと、ソルってば反則だよね。頭が良くて戦闘能力も魔力も高くて、ちゃんとした格好をすれば見た目だって悪くないんだよ。あんな美少女がずっと側に居るし」

うらやましいんですか」

「羨ましいよ」


 セイショウの言葉に、素直に頷くカイ。


「でも、ねたましくはない。僕の方が料理の腕は上だし、顔も良いし、財力もある。だから自分という存在に満足してるし自信もあるよ」


 聞きようによっては嫌味に聞こえる台詞が、カイの口からごく自然な口調で言われると、さっぱりとした清々しさが漂う。

 他人を羨むことと妬むことは違う。

 自分より能力のある人間を見て羨ましく思うのは仕方のないこと。それを相手への憎しみに発展させたものが妬みだ。

 セイショウは、自分とカイの共通点を見つけた気がした。

 カイのように自分に自信があるわけではないが、他人を羨ましく思っても妬むことがないのは一緒だった。

 頭の良い友人を羨ましいと思ったら、自分も努力するか「ああはなれない」と今のままの自分で満足するかのどちらかだ。努力すれば、たとえ友人の足元にも及ばなかったとしても、少しは進歩する。

 逆に、自分の力ではどうにもできないことで他人を羨ましいと感じても、その感情を相手への憎しみに変えるのは間違っている。劣っている自分を直視したくなくて目を逸らしているだけだ。

 セイショウもカイも、あるがままの自分を――他人に比べて優れている点も劣っている点も――素直に認め、受け入れるタイプだったのだ。


「しかし……普段から恥ずかしい台詞を言い慣れてるからこそ、あんなにサラリと言えるんだろうな」


 盛大な音を立てて何かの作業に入ったカイを見ながら、騒音に紛れるようにしてセイショウが呟いた。

 そんなセイショウの言葉が、もちろん聞こえるはずがない。作業を終えたカイは再び手を拭くと、料理を盛り付け始めた。


「でもさー、僕だったらベル姫が近くに居たら我慢できないけど、なんでソルは姫に手を出さないんだろうねー?」

「年中サカってるお前と一緒にするな」


 すぐ隣で聞こえた声にセイショウが驚いて身を仰け反らせると、そこにはいつの間にか現れたソルが腕組みをして立っていた。


「相変わらず心臓に悪い現れ方だね。たまには普通の人間みたいにドアから入ってきたら?」


 ソルを横目で眺めながら、カイがセイショウの前に皿を置いた。白くプルプルした半透明の物体の上に緑色のソースがかかっており、見た目はとても綺麗だ。


「俺が普通の人間じゃないみたいな言い方だな」

「君みたいな化け物級の人間が普通の基準になったら、たまらないよ」

「まあ俺みたいな天才はざらには居ないからな」

「あーはいはい」


 頭の上で交わされるソルとカイの会話を聞き流しながら、セイショウは料理を口に運んだ。

 よく冷やされた白い物体は表面がツルンと滑らかで、歯を立てるとフワフワした不思議な感触がする。ぷつんと噛み切ると、中から濃厚な液体が飛び出して海の風味が口いっぱいに広がった。そしてそのままでは重くなる後味が、爽やかな味のソースによって中和される。


「どうかなセイショウ君」


 カイが味の感想を求めて顔を覗き込んでくる。


「とても美味しいですね。これは一体、何ですか?」

「ターラの肺だよ」

「肺!」


 ターラは海に生息する魚型魔法生物だ。短時間であれば肺呼吸を行えるという特徴があるが、なんのためにそんな構造になっているのかは、未だ明らかにされていない。ただ捕まえやすい魔物であるため、切り身などは食用にされることが多いのだが。


「肺ですか。普通は捨てる部位ですよね」

「そうだね。でも美味しいでしょ?」


 嬉しそうなカイに、セイショウは無言で頷いた。この仕上がりは単なる内臓料理の域を超えて、高級料理として提供されてもおかしくない。それほどの味だった。


「どれ」


 ソルが横から手を出して、ひょいと料理をつまむと口に入れた。


「あ、ちょっと! 手は洗ったんだろうね!」

「うん、美味いな」

「こら!」


 もぐもぐと咀嚼するソルに、カイが詰め寄る。


「うっせぇな。細かいことで騒ぐな」


 指についたソースを舐めとりながらソルが眉をしかめた。カイの怒りが増して抗議の声が上がるが、ソルが反省する様子はない。

 セイショウとて自分の食べ物に指を突っ込まれて良い気分はしないが、ソルがそんな繊細な感覚を持ち合わせているとは思わない。だから言っても無駄だ。

 彼はソルの指が触れた部分の周辺を残して料理を平らげた。


「ところで、呑気に飯を食ってる場合じゃない。アイヒテンの密猟者が警吏に捕まったぞ」

「え!?」


 いきなりソルが口にした言葉にセイショウとカイが驚きで顔を上げる。


「正確に言うと容疑者ってだけで、そいつが犯人だっていう確たる証拠は無いんだが」


 そこまで言うとソルは視線をセイショウに向けた。


「そいつはお前の友人だそうだ」

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