休み明け.3
「わあぁ~、セイショウ君かっこいいよ~」
目を輝かせたメーイがはしゃぎ声を上げた。
先ほど彼女がほどいた包みの中には、週末のパーティ用にサラ・ノーマンが注文した礼服が入っていたのである。
今朝セイショウが登校しようとする矢先に届けられたのだが、自分の部屋に戻って置いてくる時間は無く、そのまま持って来たのだ。
衣装を見るなりメーイとカイが着てみろと騒ぎ始め、仕方なくセイショウは皆の前で礼装姿を披露することになった。
ちなみに礼服はテーラー・フィティン製の例に漏れず、毛皮が取り付けられている。そのためベルは再び失神することになったのだが、「もう面倒くさいから放置しとけ」というソルの一言により長椅子の上に寝かされていた。
「なかなか似合うじゃねーか」
「本当だねぇ。さすが僕のライバルだよ」
「まだ言ってるんですか、それ」
カイに呆れながらも、部員たちの賞賛を受けたセイショウは自分の姿を見下ろした。
喉元はかっちりとした詰襟に包まれているが、息苦しい感じはしない。腿の所まである上衣に、共布で作ったゆったりとしたズボン。腰に組み紐で作ったベルトをしめるこの服装は、アイヒの伝統的な衣装だという。
布地の上質さもさることながら、セイショウがその服を着ると気品のようなものが感じられたのだが、当然のことながら着ている本人にそんなことは分からない。
彼はただ、アイヒに居る間はこれ以外の礼服を作るつもりがなかったので、取扱に注意しなければと思っていた。
一通り着心地を確認したセイショウは、どうやら手直しは必要無さそうだと安心する。
「しかしサラ嬢は本当に見栄っ張りだね。これ、かなり高いよ」
セイショウの服の裾をつまみながらカイが言った。
「そうなんですか? 自分では払っていないので分からないですが」
「だってテーラー・フィティン製で、しかもオーダーメイドでしょ? 僕が同じものを買おうと思ったら、さすがにジーヤでも許してくれないと思うよ」
ジーヤとは、カイの身の回りを世話している執事のことだ。元はカイの実家で働いていたのだが、カイがアイヒに移り住むことになった時に、料理以外は何もできない彼のために自ら職を辞して付いてきたそうだ。
セイショウは最初「ジーヤ」とは「爺や」のことかと思っていたのだが、実際の名前がジーヤなのだという。そして年齢的にも「爺や」と呼ぶにはまだ若いらしい。
そんな彼はカイの生活費を管理している。だが幼い頃からカイの面倒を見ているせいで、ついつい甘やかしてしまうのか。それとも元々の勤め先が大きな屋敷だったせいで金銭感覚がズレてしまっているのか。
セイショウから見れば、ジーヤの財布の紐はかなり緩いと思わざるを得ない。その彼でも許さないとなれば、想像以上に高価なのだろう。この服は。
いよいよ生活が苦しくなったら売れるな、とセイショウは改めて礼服を見下ろした。
「でも~セイショウ君の服にこれだけお金をかけるってことは~、サラちゃんはセイショウ君のことが好きなのかもしれないよ~」
礼服の毛皮部分をそっと撫でていたメーイが、拗ねたように呟いた。
「それはないと思うね」
「あり得ないですね」
カイとセイショウの声が重なった。
「なんで~?」
メーイのくりくりとした目に見つめられ、二人は顔を見合わす。セイショウがカイに先を促すと、彼は肩をすくめて口を開いた。
「メーイはサラ嬢のことを知らないだろう?」
「うん~」
「この国……オートには身分の階級制度ってものがないよね。金持ちかそうでないかの違いだけで」
「……うん~。だから私でも留学できたんだよ~」
少し悲しそうな顔でメーイが頷いた。
キャットガーター族は高い知能を持っているが、魔物と人間の中間に属しているために、いわれなき差別や中傷を受けることが多い。
彼女は仲間たちがそうした扱いを受けるのを見て来たし、メーイ自身もまた、理不尽な理由で辛い思いをしたことがある。
身分や民族にこだわらないオートでなければ、留学は不可能だったとメーイは確信を持っていた。しかしオート国内であっても、そういった差別が皆無というわけではない。さすがにおおっぴらに貶められたりはしないが、些細なことで人の悪意を感じることはあった。
そんなメーイを慰めるように、カイは彼女の頬に音を立ててキスをした。
セイショウなら頭を撫でるところだが、いかにもカイらしい方法だ。メーイも慣れているのか、動じることなくそれを受け入れた。
そのままカイは話を続ける。
「サラ嬢はオート生まれだから貴族じゃない。でもね……彼女はそんじょそこらの貴族より、よっぽど貴族らしいよ」
カイが大きなため息をついた。
よく分からなくて首を傾げているメーイの手を取り、カイが諭すように教える。
「特権階級の人間ってね、自分と同等かそれ以上の階級の相手でない限り、人を人と思わないんだよ。つまり自分より貧乏なセイショウ君を、人とは思ってない。だから好きになることもないのさ」
「そんな……!」
メーイの目がショックを受けて見開かれた。
カイの言いようは随分なものかもしれない。けれどセイショウは、サラの人物評価として的を得ていると冷静に考えていた。
「彼女の父親は旧特権階級の血筋だし、母親は外国の貴族。……ある意味、正しい遺伝の結果なんだろうけどね」
カイが「仕方ない」と言わんばかりの口調で呟く。
今から二百年ほど昔の話になるが、実はオートにも身分制度が存在した。当時の貴族を旧特権階級と呼ぶのだが、サラもその血筋を引いているらしい。
初めて聞く話に、セイショウが感心してカイを見つめる。
「本当に女生徒のことなら知らないことはないんじゃないですか、カイ」
「褒められてるのかな、それ。しかし冷静だね。てっきり怒るかと思ったのに」
「そ、そうだよ~。それでいいの、セイショウ君~?」
メーイが目に涙を浮かべながら駆け寄ってきた。その頭に手を置きながら「ええ」とセイショウは穏やかに言った。
「サラ先輩にとって僕はペットみたいなものだと分かっていましたから。退屈を紛らわせてくれる、気のきいた道化と言った方が適格かな」
サラはペットを手放しで可愛がるようなタイプではない。
気まぐれに構い、あとは手の平を返したように放っておく。もし自分にとって不愉快なことをされたり、その存在に飽きたりしたら容赦なく処分する。そういった可愛がり方をする女だ。
だから金で言うことを聞く、大人しくて従順で見栄えもそこそこのセイショウは、まさにうってつけなのだ。
「……だが君はそれで……」
背後から聞こえた声に全員が驚いて振り向けば、いつの間にか意識を取り戻したベルがしんどそうに、ゆっくりと身体を起こすところだった。
セイショウの礼服がベルの目に触れないよう、メーイとカイが慌てて彼の姿を隠そうと動く。
しかしそれよりも早く、ソルが鋭い声で「仮面!」と叫び指先から魔法を放った。
黒い霧がベルの目を覆い、仮面のような形に変化する。どうやらそれをつけていると、動物性の衣服や食品を見た時のショックが和らぐらしい。
「そんな便利な魔法があるなら、いつも使えばいいのに」
「それじゃあコイツはいつまで経っても慣れねーだろ」
口を尖らせたカイに、ソルが言った。
ベルが自分の力で苦手を克服することが大事なのであって、この魔法はあくまでも補助的な役割のものだと。
そう説明した後で「それに毎日魔法をかけるなんて面倒くせぇ」と付け加えた。
「じゃあ教えてくれれば、僕が代わりに魔法をかけるよ」
「ほぉ? 魔法戦士の俺様と同じ魔法がかけられるとでも思ってるのか?」
「痛いよソル!? 分かったから、ちょ、手ぇ放して!」
カイが悲鳴を上げると、ソルは彼の頭をわしづかみにしていた手をどけた。
頭をさすりながら「まったく馬鹿力なんだから」とカイが恨みがましい目でソルを見上げると、「あれは見た目よりもずっと複雑な魔法なんだよ」とソルが鼻を鳴らした。
そんな二人の遣り取りなど耳に入っていないように、ベルは仮面ごしにセイショウをじっと見つめている。
どこか非難めいた彼女の視線を、セイショウも黙って受け止めていた。
「君はそこまで分かっていて、わざわざ嫌な思いをしに行くのか? ならば私がサラ嬢と同じ金額を払えば、パーティーに行く必要はないのだろう?」
ベルの顔は怒っているようにも、泣きそうにも見えた。困惑しているようにも、懇願しているようにも。
「なぜ僕のためにそこまでしようとするんです?」
セイショウが尋ねると、ベルは視線を逸らした。
「……私が、嫌なのだ。友人がそんな不快な想いをするなど……不本意な目に遭ってほしくない」
「別に不快ではありませんよ。納得済みですから。それにサラ先輩には既に前金をもらっています。これで約束を違えることの方が僕にとっては不本意です」
「結局、金のためなのか? 金のためなら何でもするのか? 君にはプライドがないのか?」
「おい」
勢い込むベルに、ソルが口を挟もうとした。けれどその前に、セイショウが「プライドですか……」と静かな声で呟く。彼の後ろでその声を聴いたメーイの耳が、ピクリと揺れた。
「ベル、あなたは食べるのに困ったことはありますか?」
静まり返った部室の中に、穏やかなセイショウの声が響く。部員全員がセイショウを見つめており、神獣たちも上半身を起こして彼を見つめていた。
「いや。そういった経験はないが……」
「あなたに分かって欲しいとは言いません。ただ、人によってプライドの有り方はそれぞれであり、その重みもそれぞれなんですよ」
セイショウはそう言うと、「魔物たちの世話をする時間なので失礼します」と荷物をまとめて出て行った。
彼の表情も態度も、特に普段と変わったところはなかった。けれど部員たちは何となく声をかけることがはばかられ、ただ黙って彼の姿を見送っていた。
気まずい空気の中で、メーイがぽつりと「セイショウ君……怒ってた?」と誰にともなく呟く。しかしその答えが返ってくることはなかった。