動員プロトコル
彼は一口、コーヒーを飲んだ後、体を乗り出すようにして
声を潜めて語った。
「あの連行された人々は、私たちの仲間だったからです」
「じゃあインキュベーターというのは……」
私は思わず息を呑んでつぶやくように言った。
「私がいただいたあなたの名刺は……」
内藤は慌てて手を振って言った。
「いえ、誤解しないでください。
私は、株式会社エクロスのれっきとした社員で、
インキュベーターとして働いている者です」
「……」
「あなたの研究に、インキュベーターとして深い関心を持ったのも事実です」
少し間を置いてから内藤は続けた。
「私が仲間と言っている意味は、
グループや組織を共にしている、という意味ではないんです」
「……」
「いわば同好の士とでもいいましょうか。
私たちはそれぞれ別の組織に属しています。
しかし、組織とは無関係に情報を交換しているわけです。
ようやく世界各国のネットワークが形成され始めていて、
我が国でも組織づくりの先発隊が結成されているんです」
ネットワーク、組織づくりというキーワードが内藤の口から出てきた。
私は何か目に見えない、訳の分からないものに巻き込まれていくような
息苦しい気分に襲われた。
――もう仕事のことはいい、一刻も早くこの雰囲気から抜け出したい……
内藤は、私の心中などお構いなしに続けた。
「私はその中で動員を担当しています。
仕事の関係上、いろいろな方とお会いする機会が多いので
まあ適材適所といったところでしょうか。
だからいろいろなイベントやセミナー、学会に参加しては
ご協力いただけそうな同志を募っているのです」
「じゃあ、福岡で私にいきなり声をかけてきたのも……」
皮肉を込めた私のひと言にかぶせるようにして、
「――はいその節は、いきなりですみませんでした」
内藤は、ちょっとおどけた様子でいった。
「だけどね、篠原さん。
あれはいきなりではなかったんです。
事前にいろいろと調べた上でのお声がけでした。
仕事上、いろいろな業界と腐れ縁というか、つながりがあって、
裏の話がいやでも入ってきます。
あの時点で、すでにあなたの所属する研究所、
あと二年は持たないとわかっていました」
私は、所員の数に不釣り合いな、大きくがっしりとした作りの建屋、
大学のキャンパスのように不自然に広い研究敷地のことを思い浮かべた。
「おたくの所長、官庁からの天下りでしょ。
もういいなりですよ。
国の方針として、量子コンピュータ時代の暗号化技術は
拡散しない方向で進めようとしてますから」
毎日、黒塗りの高級車で送迎されている所長の姿を思い出した。
何度か報告に所長室に入ったことがあったが、
ほとんど無表情で受けごたえする顔が印象的だった。
「だから、篠原さんを、こう、ぎゅっと
確保したかったんですよ」
内藤は両手を重ね、きゅっと絞るような仕草をした。
笑えないポーズだ。
「国の方針はともあれ、暗号化技術の研究を進めようとしている
民間企業は何社かあります。ですから私は篠原さんとそれらの
マッチングを考えているんです」
無関係な方向へ話が逸れたかと思っていたが、
いきなりマッチングの話が出てきて、意表をつかれた。
「もちろん、民間企業と言えども研究投資については、
国家の――オーバーアークの統制がきつくなっています」
「来年度からですが、会社法が改正されて、
必要経費を研究費目に振り分ける場合、その費目については
あらかじめ、年度初めまでに国に申請し許可をもらわなければ
ならなくなります。オーバーアークからの指示と聞いています」
「じゃあいずれにせよ、私は今の自分の研究を進められない……」
「――大丈夫ですよ。あなたのご研究は評価だったでしょう?
評価コストは製品の製造時、出荷時の検査費目に振り分けられます。
オファーいただいた各社からも、そういう方向でという内諾を得ています」
「……」
「まだ企業名を明かすことはできませんが、
いずれもセキュリティ関連の大手ですよ」
――ようやく明確な話になってきた。
延々と自分から縁遠い話が続いたが、ここにきて具体的な
話が始まりそうだ。
内藤は、バッグの中に手を入れ、ごそごそ探るようにして
一枚のブリーフを取り出した。
「x社、y社、z社、全部で三社のオファーがリストされたものです。
あなたに対する待遇、給与概算、依頼する研究項目などです」
紙面の上で指をすべらせながら説明を続けた。
「もちろん各社とも、採用にあたっては人物審査がありますが、
あなたの実績からして、おそらくフリーパスでしょう」
内藤は、テーブルの上の皿に残された唐揚げをつまむと
口の中に放り入れ、うまそうに食べた。
唐揚げの油の匂いがテーブル越しに伝わってきた。
グラスの氷がかすかに音を立てた。
「――だけどね、一つだけお願いしたいことがあるんです」
口をナプキンで拭きながら、内藤は私の方を見すえて言った。
オーバーアークに抗して、地下水脈のように広がるネットワーク。
組織に属しながら組織に属さない者たち。
篠原に提示された転職のオファーとともに提示されるお願いとは……
研究者としての立場と、一人の人間としての立場との間で揺れることになります。




