3)薬屋に訪れた恋の相談
「吾輩は猫である。まだ恋をしたことはない」
春先に隣村のメス猫へ軽くウインクしたことはあるが、あれは礼儀であって恋ではない。
恋とはもっと、面倒な香りがするはずだ。
ある晴れた日の昼すぎ、僕は窓辺の棚で日光を吸収していた。
陽の温もりは僕の栄養であり、毛並みの艶の源である。
そこで「チリン」とドアベルが鳴った。
店へ入ってきたのは若い娘。顔を赤くしている。
今日の店番はマリオンだ。
「あの・・・好きな人を振り向かせる薬って・・・ありますか?」
時々ある相談だが厄介な事である。毒の方がまだ扱いやすいと思う。
マリオンは慣れたもので、棚の奥から薬瓶をいくつか取り出しながら尋ねた。
「その『好きな人』って、どんな方なの?」
娘は恥ずかしそうに俯きながら話す。
「パン屋の息子さんです。あの人、陽気なんですけど、パンを焼く時だけすごく真剣な顔をするんです。それが良くて・・・」
僕は棚の上から娘を見下ろして思う。
恋とは実に恐ろしい。パンを焼くだけで胸を焦がすのか。僕は焼かれるパンより、焼いた魚のほうが好きだ。
「少し待っててね」
マリオンは奥の工房に入り、真面目な顔で薬の調合を始めた。
小瓶の中でハーブと花びらが踊り、甘い香りが窓辺に漂ってくる。
香りを嗅いだ僕の鼻がムズムズする。
「クシュン!」
僕は思わずクシャミをした。近くに置いてあった花瓶が揺れる。
「アル。少し静かにしててね」
「僕はいつも静かだよ。ただクシャミをしただけさ」
娘はクスリと笑った。
僕の言葉はマリオンにしか分からない。「にゃお~」と言うのが娘には抗議の声に聞こえたのだろうと思う。
「可愛いい猫ちゃんですね」
やめてくれ!僕は『かわいい』ではなく『かっこいい』のだ。
マリオンの調合が終わり、薄い桃色の薬が出来上がった。
マリオンは娘にクスリ瓶を差し出す。
「これは『春の香る蜜薬』。月明かりの下で少しだけ香りを漂わせてみて。心が通じていれば、きっと相手にも気づいてもらえるはずよ」
娘は嬉しそうに頷き、深々と頭を下げて去っていった。
ドアが閉まり、店に静けさが戻る。
「ねぇ?前から思っていたけど、心の思いは薬でどうにかなるものなの?」
僕はマリオンに尋ねた。
「そうね。アル」
マリオンは僕に微笑んだ。
「使うことで『きっかけ』が出来るなら、それも薬のうちだと思うの」
その言葉に、僕は少しだけ考えた。
確かに、人の心を『操る』よりも、心を『通わす』ために薬を使うのかもしれない。
猫ならば、目を細めて見つめ、尻尾を揺らすだけで伝わることもあるが、人という生き物は、複雑で、不器用で愛しい。
数日後。
例の娘がまたやってきた。今度は笑顔だ。
「先日はありがとうございます。パン屋の息子さんが、一緒にお茶しようって言ってくれました!」
マリオンはニコリと笑い、僕はアクビをひとつ。
「ほう、効いたのか。薬の香りと娘の思い、どちらが効いたのかは知らないけど」
娘が店を出た後、マリオンは呟いた。
「恋は、少しの勇気と甘い香りね」
僕は窓辺に移動し、沈みかける夕日を眺めた。空が淡い朱色に染まる。あの薬と同じような色だ。
「恋とは、春の陽気のようなものだな。僕にとっては花粉の方が心配だ」
「クシュン!」僕は夕闇を眺めながらクシャミをした。




