13)不思議の国のアルフォンヌ
「吾輩は猫である。ビックリするような事は嫌いだ」
その日は、昼下がりの何とも言えない心地よい時間だった。
窓辺のクッションに座り、ポカポカとした日差しを体いっぱいに受けながら、僕は日光浴を堪能していた。
幸せな時間だ。
僕の瞼がゆっくりと重くなっていき、ついには意識が遠のいていく。
僕はウトウトしていた。
どれくらい寝ていたのだろうか。
急にヒンヤリとした空気と柔らかい地面の感触がした。
僕はハッと目を開けた。
「えぇ?ここは・・・どこ?」
さっきまで僕はお店の窓辺にいた。
なのに今、僕が座っているのは、見知らぬ場所の芝生の上だった。
周囲を見渡すと小さな林のような場所で聞いたことのない動物の鳴き声がする。
「どこだ、ここは!?」
僕はパニックになる気持ちを押さえて辺りを観察する。
少し離れた藪の中に不自然に、ぽっかりと丸い穴が開いていた。
獣道とも違う。誰かが掘ったような、いや、自然に出来たような穴にも見える。
その時、『バサッ』という音と共に穴の前に黒い羽の鳥が降り立った。カラスだ。
カラスは僕を見ない。
カラスは、足に何かを掴んでいて、それを地面に下ろすと、今度は、くちばしで咥えた。
それを見た途端、僕の体は固まった。
「マ、マリオン!?」
カラスがくわえたのは、布でできた小さな人形。
けれど、僕には、どう見てもマリオンにソックリに見えた。
「な、なんで、マリオンが!?」
僕が驚いている間にカラスは無言で穴のほうへ向かって歩いて行く。
「マリオンが攫われた!?いや、人形だし。でも!」
僕の中に嫌な予感が洪水のように押し寄せてくる。
僕は穴に向かって全力で駆けだしていた。
カラスは僕に気づかないかのように、黒い体を揺らして穴の中へと吸い込まれるように入っていった。
「僕も行くしかない!」
僕もカラスを追って暗い穴の中へ入っ行く。
穴は、地面の奥底へ吸い込まれるように、下へ、下へと続いていた。
足元は滑りやすく傾斜も急だ。
僕は何度も転びそうになりながら進む。
何とか踏ん張って転倒は避けたが、心臓はバクバクだ。
どれ程、降りただろうか。傾斜が緩やかになり、僕は慎重に進んで行く。
薄暗い洞窟。そんな雰囲気が漂う広い場所に出た。
辺りを見回すと前方の暗闇にボンヤリとした灯りが見えた。
何かがあるらしい。カラスはその方向に行ったに違いないと思った。
「マリオンの人形を持って何をしようとしてるんだ?」
僕は胸のザワツキを抑えつつ、灯りを目指して進んでで行く。
灯りの近くに辿り着くと、そこには家があった。
「な、何だ、この家は?」
扉の形が、ウネウネと歪んでいる。
扉の木の板が曲がり、金具も捻じれ、どう見ても扉は閉まらないはず。
扉の役割を完全に放棄しているとしか思えない。
僕は、恐る恐る中に入り、さらに驚いた。
床も壁も、テーブルも、椅子さえも、全部が曲がっている。
まるで熱で溶かされた蝋燭のように、家全体が歪んだ形をしていた。
ランプの光が揺れ、僕の影が壁に映ると、僕の影まで捻じれて見えた。
僕自身も曲がっているような錯覚に陥る。
影の僕は大きく口を開けていた。
僕は猫だが、鳥肌が立つ。気味が悪い。
けれど、戻る訳にもいかない。
僕は耳を澄ませながら、注意を払って家の奥へ進む。
部屋は、やけに長い。歩いても歩いても出口が見えない。
普通の家の構造ではありえない長さだ。どこまで行っても部屋の中。
グニャグニャと曲がっているせいで僕の方向感覚も怪しくなってくる。
「どうなってるんだここは?」
その時。
『カァァ』
カラスの鳴き声が、部屋のずっと奥から響いてきた。
僕は、音のする方向へ、さらに進んで行った。
部屋の奥へ奥へと進むにつれ、空気はどんどん重くなっていった。
最初は広かったはずの部屋が、いつのまにか、天井が低くなり、壁は僕の身体に触れそうなほど迫ってきていた。
まるで部屋が僕を押し出そうとしているようだった。
僕は、身をかがめたりしながら進んで行く。
そして、ようやく、出口が見えてきた。
小さな出口。『子猫用か?』と言いたくなる大きさだった。
僕は、頭を通し、なんとか、小さな出口から外へ出た。
外に出ると、そこは小さな池の畔だった。
明るくて緑の多い場所だ。
しかし、それよりも驚いたのは、池の側でお茶会をしているらしい3匹。
魚。
カエル。
そして、ワニ。
しかも、全員が歪んだカップを持ち、優雅にお茶を飲んでいるではないか。
あまりの光景に僕は言葉を失ったが、勇気を振り絞り、声をかけた。
「カラスが来なかったかい?黒い羽の奴!」
3匹は同時に僕の方を向く。
ワニは右の方を指さし、魚は左の方を指さし、カエルは空を指さした。
「誰が正解なんだよ!?」
僕は思わずツッコんでしまった。
すると、3匹は慌てたように、また別の方向を指さした。
ワニは左、魚は空、カエルは池の中。
「・・・」
僕は大きなため息つき、聞くのを諦めた。
「もう、いいよ・・・左に行くよ・・・」
僕は、池の畔の細い道を歩き出した。
曲がった道を進んでいくと、耳障りなほど賑やかな歌声と足を踏み鳴らす音が聞こえてきた。
小さな広場の真ん中で背の低い者たちが7人、赤や緑、黄の衣装を着て、白い帽子を被り、箱を囲んでグルグルと踊り、歌っていた。
最初は小人かと思ったけれど、近づくと彼らは立派な髭をたくわえたドワーフだった。
短い脚で器用に跳ねながら、重たいブーツのまま軽やかに踊っている。
その箱の上に、黒い影がひらりと舞い降りた。あのカラスだ。
口にくわえていた人形を、箱の中央に置いた。
あの人形はマリオンに似ている。どうしてカラスは、こんな所へ持ってきたんだろう。
箱に近づくと、縁はすり減っているのに、中が透けて見える板で作られていた。覗き込めるように作られた棺のようにも見える。
その箱の中には、ドレスを着た女性が横たわっていた。白い肌。長い髪。横から見える顔が、マリオンに似ているけど、この人はマリオンじゃない。
僕は箱の上に飛び乗り、人形の隣に座り、中の女性をじっと見つめた。人形と女性を交互に確認しながら、どういうことなのか考えていた。
その時。
箱の中の女性の目が、パチリと開いた。
僕の背中の毛が、ぞくりと逆立つ。女性は僕を見てニッコリと微笑んだかと思うと、ゆっくりと口を開いた。その口にはスラリと並んだ鋭い歯。いや牙。
僕は反射的に警戒態勢をとる。尻尾は膨らみ、つま先で立って『シャーッ!』と威嚇する。
相手は人の姿をしていても、あれは違う。あれは危ない。
女性は箱から腕を伸ばし、僕を捕まえようとした。
飛び退いたつもりだったが、尻尾を掴まれて、ギュッと引かれる。
僕は必死で手足を振り、掴んでいる手を爪で引っ搔いた。
女性は悲鳴も上げず、歪んだ顔を僕に向け、手を振り払うように僕を放り投げた。
僕の体は宙を舞い、背中に硬い衝撃が走り、視界が真っ白になった。
僕の意識が暗闇に吸い込まれていった。
『・・・カァァ』
耳のすぐそばで鳥の鳴き声がしたような気がして、僕はゆっくりと目を開けた。
視界がぼやけて光が滲む。少しクラクラする気がする。
「ここは・・・」
瞬きして焦点が合った先には、見慣れたお店の窓辺。
外から差し込む夕日が僕を照らしていた。いつもの場所だった。
僕は慌ててお店の中を見回す。薬草の匂い、棚に並ぶ瓶、そして、ルイーズ様とマリオン。いつもと変わらない風景。
「・・・夢、だった、のか?」
胸の奥がフッと軽くなったような気がした。
あの穴も、池の畔の可笑しな連中も、あの牙だらけの口も。全部、夢だったのだと思った。
その時、僕の横に見覚えのあるものが置かれているのに気づいた。
小さなぬいぐるみの人形。夢で見た、マリオンに似た人形だった。
僕の心臓がドクンと脈打つ。
そして、僕の背後から優しい声がした。
「アル、どう?私が作ったの。自信作よ」
振り返るとマリオンが微笑んでいた。
まっすぐ僕に向けられた優しい笑顔。夢の中とは違う、温かい、いつものマリオン。
僕は間をおいて尻尾を振りながら応えた。
「・・・最高だよ。すばらしい」
その言葉に、マリオンは嬉しそうに笑った。
外から差し込む夕日が傾き、窓辺にいるアルフォンヌの体を橙色に染めていく。
店内の床には、アルフォンヌの黒い影が長く長く伸びていった。
伸びた影の顔の部分が揺れ、そして、笑った。
不気味な、箱の中の人のような笑みで。




