溺愛義妹はどこいった!?〜破格の条件で結婚した婚家の様子がおかしい
「ミルフィー……すまないが、結婚してくれるかい?」
突然、父の書斎に呼び出されて、デスクの向こう側から弱々しい笑みを浮かべた父に、そう提案された。お人好しだけど、事業の才能のない父。先日、大きく事業に失敗して爵位の返還かと騒いでいたところに、やつれた顔で困ったようにそう頼まれて、断ることのできる娘はいるのだろうか?
「……支援金でももらう代わりに、わたくしの結婚を条件にされたの? で、どこの後妻? それとも、平民の豪商?」
「い、いや! 伯爵家だし、年も同じ頃だ!」
これでもお父様も頑張ったんだよぉ……と言う父の言葉を聞いて、わたくしは顔を顰めた。
「なにそれ! 事業を失敗した子爵家の娘を欲する伯爵家!? どれだけやばい結婚相手を見つけてきたのよ!? 契約書かなにかあるんでしょ? 見せて!」
父の書斎だなんてことは無視して、父のことをどかして書類を探す。見つけた書類に目を落として、わたくしは思わず眉間を揉みほぐした。
「社交界で人気なお方だって聞いたし、年頃も同じ頃だから……ミルフィーの可愛さで掴んだ結婚だと思うんだけど……」
異例の婚約期間はなし。顔合わせ前に婚家に嫁入りという文面を見て、わたくしはその文面をばしばしと叩きながら、父に詰め寄った。
「これ。まず一項目目から絶対におかしいよね!?」
「ミルフィーをどこかで見初めたのかなって……」
「お前は二度と一人で契約すんな! 阿呆父!」
令嬢らしからぬ文言で父を叱り倒した後、相手の情報を集めた。溺愛する養女の義妹がいるらしい……孤児院から迎えた義妹とか……なにその地雷臭。よく劇で見かける展開じゃない!?
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「ほ、ほ、本日はお天気もよく……」
結婚のための輿入れに、心配してついていく両親はどこにいるのだろうか? ここにいます。伯爵家も引いているのが手に取るようにわかる。噂の義妹の姿は見えず、穏やかそうなお腹周りが豊かな伯爵。子を産んだとは思えないほど美しく妖艶な伯爵夫人。社交界で騒がれることも納得のわたくしの夫となる伯爵令息のマリオット様。
……もしかして、お義兄様が結婚なんて許せないとか言って、噂の義妹は部屋に篭っているんじゃ……?
「それではミルフィー……幸せになるんだぞ……ぐずっ」
「もうあなたったら。ミルフィー。伯爵家の皆様にご迷惑をかけないように、今まで学んだことを活かして頑張りなさい」
号泣している父とそんな父を支える母を見送って、扉が閉まった瞬間。空気が変わった。
「おい。お前。母上の気に触ることをしたら、追い出すつもりだから。……母上、お手を。お部屋までエスコートします」
「まぁ、ありがとう。ふふ、ではこれからよろしくね、お嫁ちゃん」
「いい加減、母親離れしろ。マリオット」
色気と美貌がすごい義母のエスコートの座を争って夫と義父が部屋から出ていった。義母からは子を持つ親としての嫉妬というよりも、恋人を見せつける優越感のようなものを感じ、違和感を覚えたが、夫はシスコンだけでなくマザコンでもあるのかと胃が痛んだ。
部屋に案内された。使用人たちは普通に親切でどちらかというとわたくしへの同情のような感情を感じた。やっぱりこの結婚にはなにか裏がある……。結婚の条件について思いを馳せた。持参金は不要。離縁する場合は持参金の相場の1000マニールを支払う。但し、結婚生活においては、婚家の意向に従い、婚家で見聞きしたことは口外しないように。
義妹を溺愛しているのではないかという噂から、口止め料のようなものだと予想したが、噂の義妹の姿はどこにもない。首を傾げて悩んでいると、夜になり、初夜のための部屋に食事が運ばれて初夜となった。初夜を迎えるまでは、一人で食事を摂ることが貴族の常識だ。食事を終えたら、身体を洗ってもらって、それらしい夜着に着替える。ぐるぐると重ねられ、一人では絶対に脱げない仕様の服にわたくしはため息を一つ落とした。
もうすぐ夫が来ると聞いてから約一時。待っていると遅れてきたのに、興奮した様子で鼻をふんすふんすと鳴らした夫が入ってきた。
「……初夜を始めよう」
そう言って押し倒された令嬢は首を傾げた。話で聞いたことがあるけれど、押し倒すなんて……まるで平民みたいな野蛮なこと……。そんな表情を読み取った夫が、衣を剥ぎ取ろうとして苦戦しながら鼻で笑った。
「僕は今まで何度も練習してきたんだ。僕が正しい、僕のやり方に慣れてもらう」
「練習……?」
殿方が指南役に練習を受けることは多いと思うが、何度もはおかしい。閨教育が伯爵家と子爵家で違う可能性も考えたが、わたくしの幼馴染には、公爵令嬢がいた。公爵令嬢の友人が一人で教育を受けることを怖がって、一緒に受けることになったわたくしは、どちらかというと高貴な教育を受けている。ということは、貴族の常識として間違っているなんて考えられないだろう。
「は! 僕には経験豊富な母上がいるからな。母に何度も手解きしてもらったんだ」
その言葉の意味を理解できた瞬間、目の前の男に対する嫌悪感から吐き気を催した。必死で、込み上げるものをぐっと飲み込んで問いかけた。
「血のつながったお母様と……?」
「実母ととてもよく似ているらしく、血のつながった母であることに対外的にはしているが、母上は養母なんだ。養母としてできることは少ないからと、僕に女性の扱いを教えてくれたんだよ」
衣を脱がそうと手を動かし続ける夫を突き飛ばしたい気持ちを抑えて、わたくしはどのようにしてここから抜け出そうかと考えた。養母とそういうことをした夫と夜を迎える? 無理無理無理無理。襲われたとかなら同情したけど、この様子だと義母に恋しているし、夫も喜んで致したことが明らかだ。むしろ、いまだにしていそう……。
「くそ、本当に貴族はめんどうくさいな。こんな脱がしにくい服を着ているなんて……」
「納得ですわ。お義母様は、貴方のことを女性として想っているように見えました……」
「そうかな? 母上が僕を男として見てくれているって?」
手を止め、嬉しそうにそう言った夫に、ぼそりと付け加えた。
「可哀想なお義母様……」
「え?」
お義母様を可哀想と評したことで、夫の顔が怒りに染まった。
「何を言っている、お前!」
「だって、そうでしょう? 大切に想っている人が他の女に寝取られるなんて……あ、もしかして、初夜に遅れていらしたのもお義母様と話していらしたから? きっと今頃、一人、涙で枕を濡らしていらっしゃるのでしょうね……」
「そ、そんなこと、僕は、母上のところに行ってくるよ!」
「そうですわね。わたくしのことよりも、お義母様を優先して差し上げてください」
遅れてきたのも義母の差金だったのだろう。名残惜しそうにわたくしの衣から手を離した夫は部屋を出ていった。義母に恋しているはずなのに、わたくしとの夜も過ごしたい、そんな劣情があからさますぎて、全身に鳥肌が立った。扉が閉まった瞬間、わたくしは即座に扉の前にベットを動かした。多少床に傷がついたかもしれないけれど、もしもあの男が戻ってきたら大変だ。念には念を入れて、籠城する。騒音に使用人たちは気がついているだろうけど、何も言わないということはわたくしのことに興味がないのか、夫がどこに何をしにいったのか皆がわかっているということだろう。何この家、気持ち悪い。そう思いながら、あのプライドが高そうで非力そうな夫では、この籠城に対して何もできないだろうと安心して眠りについた。
翌朝、起きたところでベッドを元の場所に戻し、使用人を呼んで着替えさせてもらう。食事に向かうと、昨日よりも妖艶な様子の義母に、鼻で笑われた。夫は相変わらず義母にべったりで、義父はその様子を「嫁も迎えたいい大人なのだから、そろそろ母親離れしないといけないぞ」と笑った。疑念の視線を夫に向けると、怖い顔で首を振られた。その様子を見て、義父は義母と息子の関係を知らないとわたくしは理解した。最悪、義父にバラすぞと脅せば、夜の関係を持たずに過ごせるかもしれない。切り札は多い方がいい。情報を集めないと……。
「おはようございます。あら、そういえば、義妹さんはどちらに? わたくし、まだ挨拶しておりませんわ」
わたくしがそう言うと、今思い出したかのように夫が言った。
「義妹? あぁ、自分は平民だからって街で一人暮らしして働いているよ。母上に心配をかけて親不孝なことだ」
養女が平民……? もしかして、義母の連れ子? ということは、義母も平民? となると、伯爵夫妻の社交嫌いや、夫に義妹溺愛の噂がでてきたことも、昨夜の夫の無作法さも、全て納得ができる……。
「……あら、では、わたくしはまだ家族の皆様にご挨拶ができていないのですね……。わたくし、きちんと義妹さんにご挨拶できるまでは……」
わたくしが悲しそうな表情を浮かべたことで、言外に言おうとしたことは義母と夫には伝わったのだろう。夜は夫を義母の元に送るという意味を理解して、義母はにやりと笑みを浮かべ、夫は焦ったようにわたくしを説得しようとするが、義母に手を引かれ惜しい気持ちを隠さずこちらを見る。義父は新聞に夢中でわたくしたちの動向に気がついていない。……義母と関係して、義母を最優先しておきながら、妻にも手を出せるのなら出したいという欲望にわたくしは辟易とした。
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義母の目を盗んでやってくる夫を追い返し、悲しそうに義母を呼び続ける毎日が続き、義妹に挨拶させないと手を出せないと気がついた夫はついに義妹を呼び戻した。
「はじめまして。お義姉様……でいいのかしら? 私、単なる平民ですから」
そう言って頭を下げる義妹にわたくしは声をかける。
「ええ、ぜひお義姉様とお呼びになって? わたくしは何てお呼びしようかしら……」
頬に手を当てて悩んでいると、義妹が口を開いた。
「ホリーと、友人からは呼ばれています」
「では、ホリーさん。よろしくお願い致しますね」
そう言ったところ、小声で話しかけられた。
「よくこんな家に嫁に来ようと思えましたね……」
「わたくし、困っているの」
わたくしの返答を聞いて、義妹は驚いたようにこちらを見た。そのまん丸い目には「もしかして、何も知らずに嫁いできたの!?」と書いてある。力無く頷くと、義妹が言った。
「お義姉様と友好を深めたいので今夜は泊まって行きます。お義姉様。私、お義姉様のお部屋に泊まってもいいですか? 姉に憧れていたのです」
「あら。わたくしも妹が欲しいと思っていたの。ぜひ一緒に女子会をしましょう?」
「おい、勝手に……」
夫の苦言に、義父が声をかけた。
「たまには妻を自由にさせてやれ。お前が毎晩拘束しているのだから、今夜くらい滅多に帰ってこない妹に譲ってもいいだろう。歳の近い友人ができて、二人とも嬉しそうだ」
ニコニコと笑う義父はなにも知らないと改めて認識して胸が痛くなった。しかし、ありがたくその言葉に乗ることにした。
「ありがとうございます、お義父様。あなたも今夜くらいはお義父様と晩酌でもなさったら?」
わたくしの言葉に顔を顰めた夫は、仕方なさそうに義母の横に戻った。そんな夫の様子に義母も不満そうだ。
「改めまして、お義姉様。私は平民ですので、部屋の隅の床にでも寝させてくだされば結構です。うちの母と義兄がご迷惑をおかけしております」
「いえ……破格の結婚話に飛びついたのはうちの父です。その、内情には大変驚きましたし、そんな夫と夜を共にするなんて死んでもごめんだけれど、ホリーさんは悪くないわ」
そこでこんこんとドアが叩かれ、顔を覗かせたのは夫だった。
「……ホリー、本当にここで寝るつもりか?」
「あら、結婚してから今日までお義姉様と一緒に過ごしてきたのでしょう? 私にも義姉との時間をくれてもいいじゃない、お義兄様」
「それはそうだが……」
「お母様! お母様! お義兄様がお母様を探してるわよー!」
ホリーの大声に焦って夫は出ていった。
「……私に対しても、お義姉様と一緒に寝ていることにしようとしたわよね……お義姉様。思ったより状況は悪いのかもしれないわ」
「……どういうこと?」
「私の予想なんだけど、結婚の時の契約条項に離縁についても決められていなかった?」
「……決められていたけれど、あれも破格の条件だったわ」
聞かれたので、もう覚えている契約条項を義妹に聞かせると、義妹は顔を顰めた。
「多分、お義兄様は結婚後、お義姉様と普通の夫婦関係を過ごし、お義父様の死後、お義姉様を追い出す腹づもりなのよ。で、そのための口止め料がその1000マニール。お義父様はお母様の素性の口止めと考えてるんだろうけれど……。もしも誰との間にも子ができていなかったら、お義姉様が子供のできない体ということにして追い出すし、もしもお母様がお義兄様の子を儲けていたら、時期によってはお義姉様の子供として二人で育てるって考えていると思う。お母様が自分の男を他の女と寝させるなんて考えられないから、お義兄様単独で、お義姉様の身体を狙っていると思うの」
「……つまり醜聞は全てわたくしのものだし、わたくしの再婚のことなんて考えていないということね」
わたくしがそうまとめると、義妹が続けた。
「ごめんなさい、お義姉様。お義兄様がここまで腐っているとは思わなかったわ。お母様に惚れ込んでて気持ち悪いと思っていたけれど、他の方にご迷惑をおかけしているなんて……」
「わたくし、夫に身体を許すつもりはないの」
「協力させてください。あぁ、上司のマリネアール様が協力してくれたら……」
「マリネアール様って公爵家の? 今は我が家も落ちぶれて交友関係はないけれど、お祖父様ご健在の頃はマリアネール様とも親しくさせていただいてたわ」
「嘘!? じゃあ、今の私の仕事を手伝ってもらって、マリアネール様との謁見の機会を得ましょう。今夜からしばらく泊まりにくるわ。お義父様には私から話すから、一緒に研究をしているということにして、しばらくお義兄様の訪問は断りましょう」
義妹の提案を受け、持ち出してきた義妹の研究は、幼少期にマリアネールと夢物語として考えていた魔術具の開発で、わたくしも一緒にのめり込んでしまった。気がついたら朝だった。義妹はわたくしの魔術具開発の才能は埋もれておくには惜しいと騒ぎながら、出ていった。今夜も戻ってくる旨と徹夜だからわたくしをしっかり寝かせてくれと義父に伝え、夫を誘って馬車に乗り、職場へと連れ出してくれた。おかげで義妹がくるまでわたくしの安全に過ごせるし、使用人たちもわたくしの安眠を守ってくれるようだ。
「ただいま……今夜は」
わたくしに向かって話しかけてくる夫を押し除け、走ってやってきた義妹は昨夜よりも充実した図面をわたくしの目の前に広げた。
「お義姉様! ご覧になって! マリアネール様がこちらをくださったの! ほら、ここがお義姉様が考えたところよ! マリアネール様の覚えが良くなれば、もっと発展するわ!」
「あの公爵家の!?」
驚いた様子の夫を支えるように義母が現れた。
「あら……では、お嫁ちゃんはしばらく夜も忙しいのね。仕方ないわ、我が家の発展のためだもの。ホリーが我が家のためにこんなに頑張ってくれるなんて……お母様、嬉しいわ」
そう笑った義母が夫の腕を優しく撫でた。その手を振り解くこともせずに、夫は口惜しそうにわたくしの身体をみていた……気持ち悪。
「お義姉様。お義兄様のあの顔見ました? 気持ち悪かったぁ……」
「えぇ、とても気持ち悪かったわ。ねぇ、ホリーさん……守ってくれるのはありがたいけど、貴女も血のつながっていない兄妹なのでしょう? 狙われないように気をつけてね?」
「お義兄様が私を!? ないないないない! 今まで何もなく、むしろ疎まれていたんだからありえないわ!」
そう言った義妹は提案してくれた。
「せっかくだから、明日は私の職場についてきてもらって、明後日はマリアネール様に会いに行きましょう。訪問予約も面会予約も取得済みです」
「ありがとう。日中、夫が仕事に出ていれば安全だろうけど、近いうちに仕事を休もうとしているとメイドたちが話しているのが聞こえたの。お義母様とお二人でのお出かけを勧めようと思っていたけれど、貴女と一緒にいることができたら、助かるわ」
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「こちらが私の職場です。お義姉様」
「まぁ……こちらは以前聞かせてくれた魔術具ね!? もしかして、こちらは光の魔術具の調整に使う装置かしら? こちらは……もしかして結界の研究……?」
次々と視界に入る高額な研究設備を眺めながら、わたくしが感想を述べると、ホリーがぽかんと口を開けて見ていた。
「お義姉様……なぜわかるのですか?」
「だって、ここには光の魔力に関する装置がついているし、こちらは結界の魔力を感じたわ。研究設備がとても整っているわね! さすがだわ!」
ホリーとそんな話をしていると、研究員達が集まってきた。
「ホリー、君の姉上はすごいな! ぜひこちらの研修も手伝って欲しいくらいだ!」
「この設備はここにしかないのに、初見で見抜くなんて……何者だ!?」
「ホリー、君は研究の成果を姉上に話したわけじゃないよな?」
「そんなことするはずないじゃないですか!」
「わたくし、以前はマリアネール様と親しくさせていただいていたの。その時に話していたものが形作られているから、当てられただけよ」
「マリアネール様の!? もしかして前に言っていた優秀なご友人……?」
「家の都合で会えなくなった方だろう?」
研究員達との会話はとても楽しく、数日で終える予定の滞在が一週間に伸びたのも仕方がないことだろう。
「嘘!? ミルフィー!? ずっと、ずっと会いたかったわ。いつか貴女が気がついてくれることを願って、この研究施設を作ったのよ?」
マリアネールとの謁見の日、マリアネールにそう言われて抱き止められ、わたくしも、昔のように、でも遠慮がちに抱きしめ返す。
「お久しぶりです。マリアネール様。わたくしもお会いしたかったです。我が家の都合でお会いできなくなってしまい、申し訳ございません」
「いいえ、ミルフィー……ホリーから少し事情を聞いたわ。貴女、どんな家に嫁いだのよ? 調査すればいろいろとわかることじゃない」
「父が……破格の条件でしたし」
「疑うことを知らないお父様だものね。貴族としては問題があるのだろうけど、わたくしも貴女のお父様のお人柄は好きよ」
そう言って、マリアネールが離縁する方法を一緒に考えてくれた。
「嫁入りした女性側から離縁を申し出る方法は、三つ。一つ、白い結婚の継続。これは三年かかるからなしね。次に、婚家での虐待。ホリーの話を聞いていると、虐待は行われていないようだから、これも無理ね。最後に、婚家での不正の発覚。伯爵は立派なお方だけれど、その奥様と息子からは、叩けば埃が出ると思うわ……ただし、ホリー。これは貴女にとって悪影響が出ると思うわ。伯爵家の養女から平民になることに……」
「私、元々養女になっていないはずです! それに、マリアネール様のこの研究所は、貴賤を問わず就職できます。なら、私の失うものなんてありません! お義父様も素敵なお方だから、お母様のような悪女から目覚めて欲しいとずっと願っていました」
「ミルフィー。貴女も。離縁での悪評は避けられないわ。覚悟はいい?」
「もちろんです。マリアネール様。しかし、マリアネール様のお手を煩わせるのは……」
「わたくしにとっても、利益になるようにきちんと考えているわ。ミルフィー、貴女が子爵家を救いなさい。わたくしの研究所で雇ってあげるから、貴女の才能があれば、絶対に子爵領の名産の魔術具を開発できるわ。……それに、アド兄様もお喜びになるわ」
「あの、マリアネール様。以前から考えていたのですが……」
マリアネールが最後にボソリと言ったアド兄様という言葉に首を傾げながら、わたくしは新しい魔術具の案をマリアネール様に提案したのだった。アド兄様といえば、公爵家の三番目のお兄様アドリオルトよね? よく可愛がってもらっていたけれど、何に関係あるのかしら ?
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「ミルフィー……その、すまないな。新婚なのに夫婦の時間が取れなくて……ブラコンの義妹で困ったよ。義兄を取られるのが嫌だからと言って、まさかミルフィーの方を拘束するなんて……」
久しぶりの帰宅に、夫にどう怒られるかと考えていたら、自分に都合の良い妄想に囚われた夫にそう謝られた。これも、義妹が資料を取りに義父のところへ向かった一瞬の隙をついて、夫がわたくしの元にやってきたのだった。
「母上の邪魔ばかりする悪い子だから僕が構わなかったせいで、ホリーも拗ねちゃったのかな……。ホリーのことも少し可愛がってやるか」
ぼそりと呟いてそう言った夫の笑みに鳥肌が止まらなかった。我が身だけでなく、義妹の身も危ないと理解したわたくしは、手巾を取り出して泣き真似をした。
「……ぐす、」
「ミ、ミルフィー!? 何を泣いている!?」
「わたくしとしたことが……淑女らしからぬ醜態をお見せしてごめんなさい。わたくしの夫が……女性に人気で……寂しいのです……。わたくしだけを愛してくれなんて言いませんわ。でも、わたくし以外の女性を触って一週間以内に、わたくしのことを触れないでくださいませ。そんなことをされたら、夫から感じる他の女性の残り香に、嫉妬で死んでしまいそうですわ」
はらはらと涙を流すわたくしにぽかんと口を開けた夫は、雰囲気に酔ったように言った。
「一週間も他の女性を触らないなんて、母上もいるのにできるはずないではないか」
「ではせめて、ホリーさんと一週間交流しないでくださいませ。わたくしも協力いたしますから。あなたと離れるのはつらいですが、もう一週間、お仕事のお手伝いに行ってまいります。わたくしがホリーさんを見張りますから、あなたは多くの女性の秋波を受けても我慢していてくださいね……わたくし、お義母様には勝てないことはわかっておりますから、お義母様については何も言いませんわ」
演技がかった様子でわたくしがそう言うと、夫もわたくしの手を取り口づけて返答した。
「君の、僕への愛は理解したよ。本当なら今すぐに押し倒してしまいたいが、僕も紳士だからね。君の気持ちを尊重して、一週間後、素敵な夜を迎えようではないか」
「お義姉様!? お義父様がお呼びです! こちらにいらしてください!」
異変に気がついたホリーが声を張り上げて呼んでくれたおかげで、わたくしはそこから抜け出すことができた。手を手巾で拭いながら、ホリーの元へと急ぐ。
「ホリー、時間がないわ。それに、貴女のことも狙っていると明言したわよ」
「え、気持ち悪! 一週間……お義父様の説得に、どれくらい時間がかかるか次第ですね……」
手を重ねた夫と義母に笑みを送り、わたくしとホリーは伯爵家を後にしたのだった。
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「ただいま戻りました」
「あぁ、待っていたよミルフィー。君に会えない一週間はとても物足りなかった。さぁ、夫婦の時間を楽しもうじゃないか」
そう言って抱きしめようとする夫の手を逃れ、後ろから入ってくるアドリオルトに場所を譲る。アドリオルトは優秀な頭脳を生かし、貴族院で働いているそうだ。
「こちらは貴族院です。伯爵夫人……いえ、平民の元娼婦メリと伯爵令息マリオット殿。不正に伯爵家の資産を使い、法で禁止されている買春に手を染めた証拠が上がっている。……その汚い手をフィーから離してもらおうか?」
わたくしの服の裾を掴んでいた夫はアドリオルトの手によって叩き落とされ、後ろから入ってきた審議官たちに拘束された。
「どういうことだ!? ミルフィー!?」
「なによ! 私は伯爵夫人よ!?」
私室から連れ出されてきた義母と一緒に拘束された夫が騒いでいると、疲れた様子の伯爵が現れた。
「皆から、すべてを聞いた。お前達は私を裏切っていたそうだな。それだけではなく、伯爵家の資金を横領し、豪遊していたと聞いた。さらに、刺激を求めて買春だと!? 前妻の面影とした其方を妻として遇したが、其方の実際の身分は平民のままだ。マリオット。お前も廃嫡し、我が家から追放とする。罪を償った後、二人で協力して生きていく分には罪に問わぬ。元々、私が死んだら二人で一緒になる予定だったのだろう?」
「そんな! あなた! 愛しているのはあなただけですわ!」
「母上!? あんな肥えた親父なんて愛せない。本当に愛しているのは僕だけだと言った言葉は、嘘だったのですか!?」
騒ぎ倒す二人に、アドリオルトが冷たく言う。
「お前達は諸々の罪を償う必要がある。……それに、フィーへの結婚詐欺とも言える行為……これは伯爵にも責任をとってもらいますよ」
「息子を母離れさせたい思いのあまり、ミルフィーくんの気持ちを考えず、申し訳なかった。もちろん、責任はとろう」
「ミルフィー! 愛しているのは僕だけだろう!? とりなしてくれ!」
「お嫁ちゃんにも、マリオットのこと貸してあげるから!」
「……わたくし、先日、離縁を申し立てて承認されましたわ。ですから、お二人とはもう一切の関係がございません」
わたくしがにこりと微笑むと、いつの間にか横にいたアドリオルトに腕を取られた。
「君に会えなくなってから、日常に色が失われてしまった。幼い頃の約束を今、果たしてくれるかい?」
幼い頃、ふざけてしたアドリオルトとの婚約ごっこを思い出し、わたくしはくすりと笑った。
「まぁ、アドリオルト様……いえ、アド兄様。わたくし、以前のような豊かな子爵家の令嬢ではなく、離婚歴のある貧乏子爵家の令嬢ですわ。公爵令息の貴方様には相応しくありません。それに、マリアネール様との共同研究で忙しくなる予定ですの」
わたくしがおっとりとそう微笑めば、アドリオルトが笑って言った。
「では、私が君に相応しいことを、マリアネールとの共同研究が終わるまでに証明してみせよう」
騒がしい二人の声が一切聞こえないくらい、アドリオルトの美しい紫色の瞳に囚われたわたくしが、マリアネールのホリーに囲まれながら、自分の気持ちに気がつくのはきっと近い将来のお話。




