寄生蜂の夢
友人が死ぬビジョンが見えた。
住宅地。見通しの悪い十字路での、突発的な事故。
それはごく普通の日常の中で、自然な流れで起きるものだった。
――――否。
起きる『はず』のものだった。
(……まったく、手を変え品を変え、よくやる――――)
高校生の少女、清流はいつものように、隣を歩く友人の少年、一蓮の二の腕を強く引く。両手で掴み体重を掛けて、思いっきり後ろへ。
「ぅえンッッ」
突然のことに変な声を上げながらそのまま後ろへと倒れ込んできた一蓮もいい加減慣れたもので、背後に回った二周りは小さな胴体に支えられるよりも早く一歩退がり、仰け反った姿勢で停止した。
直後。
二人の目の前を、猛スピードで車が走り去った。遠のいていく轟音が、肌寒い突風を引き連れて落ち葉を散らした。
遅れて、残された二人の髪がなびく。
少しの沈黙。
「……いや、さすがにさ、おかしくない?」
清流の顔越しに真っ青な天を見上げたまま、ぽかんとした表情に引きつった笑みを浮かべて、一蓮が言う。
「だってさぁ。オレ死にかけたの、今月に入って十回目だよ?」
さすがに、もう隠してはおけない頻度と程度である。
清流は腹を括る思いで溜め息を一つ、本当のことを一蓮に話す決意をした。
時は人間の脳が覚醒し、世界の構造の解明がより進展し、それらが常識として受け入れられてしばらく経った頃。
いわゆる『超能力』を持つ人間がちらほらと現れ始めたのも覚醒と同時期であり、その存在は未だ少数ながらも、今や普通のこととなっていた。
物質を操る、特殊な能力。長年人類が夢見たそれは言わば、『自身の観測により重力の制限の解除を行い、思い通りに物質を操作する能力』だった。
その詳細はこうである。
質量に必ず伴う『重力』はパソコンで言う情報を圧縮した『ZIPファイル』の負荷のようなもので、物質の質量を情報処理する程に重くなり、重力に伴う空間の伸縮による曲がりと時間の遅れ、すなわち『時空の歪み』を大きくする。その情報を意識的に展開して自在に操作できるようになったアクティブ化のためのプロダクトキー的存在が覚醒者、もとい『超能力者』なのである。
仕組みとしては、『量子もつれ』によって遠隔の状態を把握する、いわゆる『虫の知らせ』的なものを『逆因果』と併用している。自身の生体として放つ電磁波を使い、それで物質に対し故意に恣意的に望む結果が出るよう念じながら観測して量子の状態を確定させることで、その世界の時空にて望んだ質量の情報が結果として置換され、そのための過程を経て『現実化』させられるのである。
そして、物質に干渉できる傾向は人によって適正が違ってくるので、サイコメトリーやテレポート等といった能力の相違が出てくる。さらに、例えば単に『念動力』と言っても、その適正は基本的に限定されており、水や火、金属や木製、想いを込めた手作り品や量産型の既製品、等とまた細分化してくるのである。
そもそもの話。
まず、物質とは質量があるもののことを指し、質量は重力を伴うものである。
そして、この世界を構成している最小単位である素粒子には質量があるものと考えられるはずなのだが、光子には無いとされている。
――――否。厳密には、『光子の質量は無視できるものとして定義されている』だけである。
人間は身体の構造の限界で可視光線以外の電磁波は見れないが、その電磁波自体は存在する。通常、『電磁波は光子なので物質ではない』とされるが、実際のところ、厳密には『三次元では質量を無視できる程度しか把握できない』及び『光速自体が質量を含めた速度である』というだけだった。人間にとって見える可視光線か否か、もしくは、円周率のような扱いと言えるだろう。在るけれど無いと同等に扱っている、というだけである。
よって。物質には電磁波も含まれ、つまり、電気信号でできた『人間の思考』も例外ではない、ということである。
そして、物質はその重力で周りの時空を歪め、運動をすることで周りの歪んだ時空が波のように広がる波動現象、『重力波』を発生させる。
となれば。電磁波という物質の質量が大きい、つまり想いが強いと、それだけ時空を歪ませることもできる、ということである。『二重スリット実験』にあるように、観測すれば光子の状態を確定できる程には、意識として電子を対象へと飛ばす『認識』という行為は不自然の無い程精密に、思いのままに時空を歪めることができる。ただの物質ではなく『自我』を持つ物質であるということは、その意思次第で時空への作用に自由が利くのである。
『存在の状態が固定されないただの曖昧な歪み』か、『確実な実物へと変換された物質や現象』か。この三次元の世界に及ぼす影響において、受動的か能動的かの差は大きい。
その想い、信じる心が強い程、それを形作る電磁波という物質の密度は高くなり、質量も増える。そして、重力の塊であるブラックホール程の質量であれば無造作に『歪ませられる』時空の歪みを明確に認識できるだろうが、意思のあるものならば認識できない程度でも、方向性を示して『歪ませる』ことができるのである。
時空の歪みは、思考の電磁波が物質を操作するための推進力と抑止力になる。そして、質量とエネルギーは等価であり、『質量保存の法則』はそれを加味したもの、つまり、質量とエネルギーの総和は化学反応の前後で変化しないが比率は変わることがある、ということであるため、その排出されたエネルギーを思考の電磁波へと加算する、もしくは逆に思考の電磁波から質量へとエネルギーを加算することで、実際の現象として超能力は行使されるのである。それは超能力者でなくとも、大勢が強く意識すれば自然災害の規模や時期をズラしたり分散させたりできる程、この世界に大きな影響を及ぼすものである。
人間で言えば、ワガママ放題で当然な者がそれを信じて横暴に振る舞い続けることで、周囲が人間同士としての対話を諦めて言う通りに動くような仕組みである。そして、ただ瞬間的に欲が強いだけの者よりも揺るがぬ程に信念が強い者の方が、最終的には継続的な主導権を握りやすい。
このように、超能力は今のところ、物理学や量子力学をベースに考えて能力を理解し、行使するのが一般的となっていた。
例えば。
医療系の能力者だと、まず初めに『シュレディンガーの猫』と同様に患部の理想の『健康な状態』と現状の『病気の状態』を想定する。次に、手の平を患部に当て、手の平から出る赤外線の熱、もとい電磁波を体内へと送りながら『病気の状態』の画像のレイヤーに『健康な状態』の画像のレイヤーを半透明にして重ねるイメージをそこへと念じ、そこで病気の部分が徐々に縮小・沈静化するイメージを加え、最終的に『健康な状態』のレイヤーを百%まで濃くするようにしてイメージを終了させる。これで施術終了である。
ただし。現在は施術に至って邪魔の無い環境が必要である上、施術を受けた本人が『やっぱりまだある』ではなく『もう無い』と意識して信じなければ、効果が一気に薄れたりすぐに再発するという不安定さが目立つが。さらに、その性質から、今のところは目で見てすぐにわかるような怪我等には痛み止め以上の効果はほぼ無く、逆にやろうと思えば知られない内に数秒で『健康な状態』を『病気の状態』にもできるため、危険視される能力でもある。人体や病気の知識の他、それに付属する解剖等の耐性もあった方がやりやすいため、結局は医療従事者になれる者でなければ十分には扱えない能力とも言えるだろう。
そんな中。
清流が最近新しく目覚めた能力に、『未来予知』があった。
しかし。そこに映るビジョンは、ほとんどが『一蓮の死に関するもの』という限定的なものだった。
元々持っていた能力とは別に最近いきなり表れたものであり、制御がまだ不安定な上にその限定さから、まだ周囲には内密にしている能力である。それが当たるものだからその事実に嘆けばいいやら阻止できる分喜べばいいやらで、本人からすれば複雑な気持ちになる。
とりあえず利用はできるので、便利ではある。
「……実は、私最近、『未来予知』ができるようになったみたいなの」
それは、未来で起こる出来事を過去の記憶として植え付けられたような、異物のはずなのに自分の一部として馴染み深い感覚だった。
「……でもその内容、ほとんどが貴方の死因に関わることでね。実際に起こる直前でも数日前でも、記憶としての映像があっても無くても、『ああ、この展開知ってるな』『あれ、こんなはずなのにな』って感覚で来て、それを回避し続けて今に至る、ってわけ。多分、死ぬはずの運命が何としても殺しに来てる感じじゃない?」
場所を変え、住宅地の奥。階段を登った先にある開けた場所で、清流は慎重に口を開いた。
人気の無い見晴らしの良い広場で、ベンチに並んで座る二人へと少し強い風が鳴る。周囲を囲む背の高い木々が、ざぁ、と赤い影を揺らした。
「へぇ~」
聞いた一蓮はというと、自分の命が懸かっているにも関わらずそこまで真剣にもならず、むしろあまり関心無さげに、気の抜けた声を漏らした。
「ああ、だから最近は君といることが増えたし、そういう時に限って死にそうだったんだ。命を狙うにしては助けられるし恩を売るマッチポンプにしては仕込みのタイミングが完璧過ぎるし、何か変だな、とは思ってたんだよね」
「私を何だと思ってるの? 貴方にそうする必要が?」
「特には」
隣からの疑念に伏せかかる目線に、笑顔のままあっけらかんと応える。
次いで、にへら、と笑みが弛く崩れた。
「それにしても、え~~? うん、そっかそっか。オレ、世界中から狙われる程の重要人物なんだ~」
「文字通り『世界』中から狙われてるのよ喜んでる場合じゃないの」
腕を組み一人納得するように頷く一蓮に、咎める目線が突き刺さる。そこで一転、一蓮は腕を解いて、隣へと乗り出すように訊いた。
「で、マンデラエフェクト? デジャヴ?」
「『気のせい』じゃなくて事実だったじゃない」
「まあそうだね。てゆーか、『未来予知』って珍しい能力だよね。一応『ある』とは言われてるけど、表に出てる印象無いし、結局は『嘘』だの『存在しない』だの言われてたりするし。で、どんな感じ?」
「あ、『恐い』とかは無いのね。本人が気にしないならいいけど危機管理は強化しましょうね……。……んー……、他の能力とは、少し仕組みが違うみたい」
平然とした態度の一蓮に、少し呆れた様子で諦めて、気持ちの切り替え。清流は当時の感覚を思い出しながら、思考を巡らせた。
「能力が目覚めてわかったことだけど、『未来予知』って次元を越えた仕組みみたいなの」
「というと?」
「上の次元……いわゆる『高次元』を跨いだ能力っていうか……高次元から他の平行世界の情報をダウンロードする能力、みたいな」
「高次元って、『死後の世界』とか言われてる? どんなとこ?」
「『情報』としては無数の『可能性』があるけど時空も物質も無いから、何でも在るし何も無い次元? 三次元にあるこの世界が実際に出てる一つの漫画作品なら、高次元は漫画家の脳内ってところかな。で、他の平行世界は加筆訂正して重版した作品。もしくは、バグやアップデートが常にあるゲームのようなもの。それが未来へも過去へもねずみ算的に広がってる感じ」
「でも、高次元って三次元の状況は何でもわかる状態なんでしょ? 最適解以外、情報そんな数要る?」
「高次元は別にこの世界のすべてを把握しているわけじゃなくて、三次元に介入して実験的に進展や分岐点を作って、どんな世界を作れるのか試作している状態みたいなの。『可能性』はあっても時空も物質も無ければ、それが分岐した結果も実際には作れないから。そもそも、そこに最適解とか無くて、善悪も無くて、ただの『事象』として経過を見てるだけっていうか」
「化学実験とか動物実験的な?」
「そ。で、今やその過程で貴方が存在しては不都合になったから排除したい、ってことじゃない? とりあえず貴方が危機的状況なのはおわかり?」
「おかわり」
「これ以上説明を求めるんじゃないの。これで理解しなさい」
「オーケー理解」
「早計しない」
「自分から言っといて。大丈夫、でも理不尽じゃん?」
「だから回避してきてるんじゃない。あっちが勝手に私達を被検体にしたんだから、こっちだって勝手に抵抗するわよ。それに、実験に想定外があっても、それも織り込み済みで対応するものじゃない? 細菌実験でパンデミックが起きたら研究所の責任でしょ。まあ、情報のダウンロードは一気にして容量オーバーになっても困るから、必要な時に必要な分を小出しに思い出す感じにはなってるけど」
「ありがと~」
「軽いわね、はいはい。単純に私も嫌、ってのもあるけど、できる限り、この世界線での貴方の生存率上げたいからね。他の世界線で死んだ貴方の死は無駄にしないし、この世界線での貴方の記録も他の世界線で役立ててほしいし」
「……あれ?」
ふと、一蓮の笑顔が固まった。理解が追いつかない、とでも言うように、少しの沈黙の後、小首を傾げて疑問符を浮かべる。続いた声は、いつもよりも静まったトーンのものだった。
「他の世界線の『オレ』でも、同じオレ扱いなんだ」
今度は清流の頭に疑問符が浮かぶ。
「? 当たり前じゃない。何言ってるのよ。私だって、他の世界線の『私』本人からだからこそ情報を得れてるのに」
「……そっか~」
落ち着いて理解するような間を置いて、いつも通りの緩いトーンが戻る。
そんな考える程のことだろうか、とは思ったものの、清流はそれ以上気にせず、さらに思案することにした。
現在、超能力の仕組みに加え、『未来予知』の能力に付属して把握できていることと言えば。
空間が存在しなければ物質は存在できず、物質に掛かる重力も重力の根源である歪む空間も、空間の状態が変化して次の状態の空間へと移行する過程である時間も存在しない、ということになる。
そして、高次元には物質どころか時間も空間も無いので、それらで構成される三次元からはそれら無しで次元の壁を越えての持続的な干渉はできず、よって、高次元が動いていても止まっているように認識することになるのが現状である。一瞬の永遠にすべてがある、とでも言おうか。
高次元に内包されている三次元から高次元を認識するには物質を媒介としなければならず、思考や感覚すら肉体によって性能が制限されるものである。そうなると、干渉には時間と空間が必要になるので情報量が限られ、不十分になる。
逆に、高次元からならば過去・現在・未来どの時間軸にも干渉できる。が、『可能性』の状態から実際に物質として出来上がった世界線にしかできないという限界もある。そして、存在する世界線の者に指示はできても制御自体はできず、どのような言動でどのような分岐が起こり、どのような結果を出せるかは、三次元任せになる。そこから、仮に同じ指示を出したとしても、とある世界線では良いようになり、別の世界線では悪いようになるのである。
そして、各世界線の『巻き戻し』はできず一方通行だが、過去を変えるとすれば、念じる際に生じる電磁波で時空を歪ませ、そのブレをポータルに他の接続できる範囲の平行世界を繋ぎ、そういった過去の空間の状態を持つ世界線に自身の意識を移行させる、もしくは、その世界線での出来事を自分の世界線へと移行させる、という手が使える。それは数が集えば、その世界線での元の常識すらも書き換えることが可能となる。ただし、高次元からの干渉を含めすべては三次元側の本人や世界のツクリに受け入れ態勢、すなわち『耐性のある器』が相応にできていなければならない、という条件がある。それは知識や技術の他、意思といった精神的な適正もあれば、人体や世界そのものの性質など物質的な問題もあるのである。
このように、高次元からダウンロードした情報を元に、本来辿るはずだった世界線を作り替える仕組み。それは『世界五分後仮説』とでも言えるだろうか。
彼の有名な『我々の意識を含め世界全体が五分前に作られた』という話ではなく、超能力発現後、比較的最近提唱された、『今ある世界の要素が五分後には存在しなかったことになる仮説』である。超能力を扱う土台として量子もつれの結果を故意に調整し確定させるのと、同じ原理である。
『物の破損や生物の病、人間関係や知識まで、それまであったはずのものが五分後には突然綺麗さっぱり消えている。』
昔なら『記憶違い』で済まされていた現象は、実は超能力の理解にも通ずる実例だったのである。
知らないはずの知識が初めから知っていた知識にもなりうる。存在したはずの事象が存在しなかった事象にもなりうる。
そして。これらを応用すれば、その世界線だけで完結できるように、『原因』から相応に必要な過程の時空を実質すっ飛ばして『結果』を手に入れることも可能なのである。
例えば。
何かを知りたい時、調べものをする多くの手間を省いて短時間で情報に辿り着ける、もしくは、知りたい前に情報の方から飛び込んでくる。
これを『直感で最善を選んだ』とも言う。
例えば。
体調を回復させるために必要な栄養素をもつ食品や薬を、自ら買いに行かずとも必要な時に貰う、もしくは、必要になる直前に得る。
これを『運が良かった』とも言う。
人々は言う。
『嗚呼、なんて素晴らしい『偶然』であり『幸運』なのだろうか』
――――ただの必然であり、普通のことだというのに。
望みの結果を現実に起こりうる出来事に置き換えて、時空を歪ませて本来起こるはずの元の現実を調整・改変し、方法を問わず目的を実現させているだけだというのに。
念じることで操作した数多の微小な時空の歪みを伝うことで物事のタイミングをズラすだけでも、未来はまったくの別物にもなりうるのである。
現状、無意識含め世界中の人々が世界線の移動や継ぎ接ぎをしているので、要は世界内どころか世界間の陣取り合戦状態であり、そこからバタフライエフェクトで様々な副作用が現れ、当然それに巻き添えにされる者もいるのが日常である。人体の骨や内臓のツクリすら変わるのだから、実質、異世界に転移や転生をしているようなものとも言えるかもしれない。
そんな中でも、下手に他の世界線に手を出して元々あったものが無くなる危険があるのならば、現実の改変はできる限り今いる世界線で完結させておきたい。それが清流の譲れない拘りである。
――――もしも。
例え、過去をすげ替えることで、『一蓮』が生存する世界線が手に入ったとしても。
目の前の『友人』との過去すら変わるのならば、互いに記憶のズレが起こるのならば――――――それはもう、赤の他人同然だろう。
故に。清流自身ができることといえば、高次元を通して他の世界線の情報をダウンロードし、対策を練るしか無い。一蓮が死なない世界線は未だ見れたことが無いが、仮にあったとしてもこの世界線では常に命を狙われている状態なのだから、それを回避する情報の方が重要であり最優先である。次から次へといたちごっこのようにその情報には隙間が無いが、余裕ができれば在るかもしれない死なない世界線を知れるのか、それとも、その世界線を知るには繋がるためのこちらの器がまだ何かしらの必要な条件を満たしていないのか、そもそも、死なない世界線など無いのか――――――。
考えてもキリが無い。
清流は一旦、思考を終わらせた。
「思ったんだけどさ、」
唐突に、一蓮は口にした。
「つまりはさ。『未来予知』って、別の世界線を追体験してるようなもんじゃん? 別の世界線が侵食してくるようなもんじゃん? で、侵食が進む程、この世界線での記憶から乖離していくワケじゃん? ……で、そこにオレはいないのに、『オレ』との記憶が君にはあるワケじゃん?」
「……まぁ、そうかも?」
「え、気持ち悪い。無理」
うぇ、と吐くように舌を出しながら、清流の返答に顔をしかめる。
しかしそれも少しの間のことで、すぐに一転する。清流が「そう言われても、」と口にするよりも前のことだった。
「あ。だったらさ~~~、」
名案を思い付いたように、ぱあ、と明るい笑顔が咲いた。
「全部の世界線を合わせて一つにすればいーんじゃん。そしたら、全部の実験結果が在りながら一つの結果に集束される。だから、死んだ状態と生きてる状態も、知らない経験と知ってる経験も、共に存在する。想いの強い者勝ちなら、先に考えを固めて奇襲を掛けた方が主導権を握れるでしょ。侵食前に戻せないなら、『侵食』自体を無くせばいーだけじゃん。超能力と似た原理でできそうなコトじゃない?」
それは、理論上はできなくもない、と思えることだった。
現状は延々と防戦一方であり、実質どん詰まりである。正直、気を張り続けられたとしても、どこかでしくじって終わる気しかしない。それに比べれば、三次元では納まらず、途方も無い範囲を相手にする大きな賭けにはなるが、打開策と呼べる提案だった。
しかし、自分達だけでなく、他の世界線への影響も甚大どころではない。
何にしろ、一つ言えることは――――――一つの世界そのものの質量があれば、その情報量の負荷はごくわずかな一欠片であるブラックホールよりも強大な時空の歪みを生み出し、そのブレは別の世界線へも『歪み』となって影響を与えることだろう。そして、逆も然り。相互作用があって、平行する世界は影響し合っているのである。
例えば、感触は圧力で変わるものの、磁石のように電子同士の反発があるから、我々はスカスカな原子の塊である物質に『触れる』ことができる。となると、その反発を無くせば、物質は重なり合って存在できる、ということになる。ならば。平行世界も反発し合っているから交わらないのであれば、その反発を無くせば、重なり合って存在できることだろう。
そして、摩擦で電荷の移動が起こり静電気を生み、静電気が粒子を結合させ惑星を形成し、その過程で螺旋状となり銀河の渦巻きまで作るように。一つの銀河が渦巻き、近くにある別の銀河と交わり混ざり、また一つになるように――――――一つの世界の強大な歪みが近しい他の世界線を巻き込み、統合し、さらに拡張する可能性もまた、あるのである。
さらにそれは、人間にも言えること。複数の本人が、新たな一人の本人にも成りえること。
それは継続した本人でありながら、他人を継ぎ接ぎして化けた存在である。
「先に世界に殺されて離れ離れになる前に。君がこれ以上侵食される前に。こっちから出向こうよ」
いつもの様子で笑みを浮かべて、のち、未来への希望に恍惚に染まるように目を細めながら、一蓮は言った。
「壊そ。世界、全部」
晴れ渡った青空を背景に、穏やかな風が後を押した。
「大丈夫。すぐ終わるからね」
安堵の笑みで、相手にも安心させるような声色を奏でる。
次いで、流れるような動作で、まるで額の熱を計るかのように片手で清流の両目を覆い、もう片方の手で無防備な首を掴んだ。
声を出す間も無かった。
そのまま緩やかに落下する感覚。清流が倒れた先は硬く冷たいベンチの上で、服越しにひんやりと沁み込む凍てつきに、身体の芯から背筋が震えた。
暗闇の中、刺激でより研ぎ澄まされた感覚が、押しつける形をはっきりと受容した。全体重を一点に掛けるように、その掴む力は強くなった。
息継ぎが必要になるよりも早く、圧迫感が脳を限界まで膨らませるように、思考を阻害する。生存本能からか、身体が勝手に単調な動きで首の拘束を解こうとするが、力が十分に入る余裕も無かった。
ただ同意するように、絞める腕に縋るように、力無く手が添えられる。
束の間。
硬いものが折れる音と振動が、清流の体内で鈍く響いた。