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 何を言い出すのかと怪訝な顔をするモーガンに、シエラは言い聞かせるような口調になる。

「最後まで気持ちを隠せ通せなかったあなたの負けですよ、モーガン様。わたくしがどうして、刺殺なんて方法をとったのかわかりますか?」


「それは」

 確かに少し不自然だった。実際、毒の知識に長けているマリアンヌを引き入れた時点で、安全な殺害は約束されたようなものだったのに、なぜわざわざ危険で不確実な手段を、と疑問に感じたのは事実だ。


「確かにわたくしが実行犯だという証拠を残したかったの。毒殺して燃やしてしまったら、何も残らないじゃないですか。離宮があれだけ派手に燃えたのも、元々あった仕掛けなんですよ。何かあった時に、証拠をすべて燃やしてしまう予定だったのでしょう」

 結局役に立たなかったけど、とシエラがひとりごちる。


「返り血がついた服も凶器のナイフも、まだわたくしの部屋にあります。清掃に入ったメイドが見つけていなければ」

「どうしてそんなことを。証拠なんてさっさと川にでも流してしまうべきでしょう」

 真面目な顔で王族殺しの証拠隠滅を教唆するモーガンに、シエラは「そうなんです」と大真面目に頷いてみせる。


「つまり、わたくしがその気になれば、モーガン様はご自分の意思に関わらず、自動的にふたつめの選択をしなくてはいけなくなるということ。証拠を持って城に駆け込めばいいだけですもの。あとは衛兵が屋敷に調査しに来るのを待つだけでいい」


 ーーふたつ、わたくしをしかるべきところに突き出し、弾劾する。


 単なる酔狂な選択肢のひとつだと思ったが、あれはこういう意味だったのかと、モーガンは額を押さえた。

 あの日、モーガンがシエラの屋敷を訪れて婚約破棄の意思を伝えた時に浮かべた謎の笑み。

 あの時から、こうなることを予想して、そのために動いていたのだろう。


「本当は、何度か挫けそうになったりもしたんですけど。あの夜私をお忍びで城まで送ってくれた従僕は、何か勘違いしてにやにやした顔をしてくるし。守備よく大公を殺害した直後に、マリアンヌは窓から飛び降りようとするし」

 本当に大変だったらしく、シエラはその時の苦労を思い出したように顔をしかめる。


「でもモーガン様の気持ちを聞くことができて、そんなものは全部吹き飛びましたわ。これで婚約が破棄されるのなら、わたくしは世を儚んで証拠品と共に出頭いたします」

 モーガンは空を、いや天井を仰ぐ。結局、シエラのてのひらの上だったということか。


「ほら、潔く婚約破棄を撤回なさってください。それともやっぱり、罪は罪として償うことを要求なさいますか? モーガン様が決めたことなら、それでも構いませんよ」

 シエラの言葉は、ほとんど脅しのようなものだったが、彼女に言わせるとすべて本気なのだ。だから性質たちが悪い。


 モーガンは天井を見たまま少しの間沈黙していたが、やがてふーっとひとつ諦めたような息を大きく吐くと、ぽつりと呟いた。

「貴女は、馬鹿だ」

「わあ、失礼ね」

 何を言うのかと期待していたのに、突然喧嘩を売ってくるとは。


「せっかく、やっと、逃してあげる決心をしたのに。自分から戻って来てどうするんですか」

「そんなのはモーガン様の勝手な都合だわ。わたくしはあなたと生きてゆきたいと、ずっと言っているでしょう」


 モーガンが苦く笑う。

「僕としては、貴女に危険じゃない場所で生きていってほしかったんですが」

「モーガン様のいない場所で? 何の意味もない仮定ね。それに今更だわ。王族をはじめ、大勢の人を手にかける大罪を犯した女なんて、まともになんて暮らしていけるはずがないじゃないですか」


「それは違う。貴女に手を下させたのは僕です。動機も責任も結果も、それを罪だと貴女が言うなら、すべて僕のものです」

「まあ」

 食い気味に否定してくるモーガンに、シエラは少し顔を赤くした。愛の告白に聞こえてしまったのだ。


「大丈夫よ。危険と言っても、今回の大公のことがだいぶ牽制になったはずです。これでみんな、しばらくはおとなしくしているのではないかしら」

「そうだといいんですけどね。どうかな」


 冷静な口調とは裏腹に、不安げな響きがある。本当はわかっている。幼い頃からモーガンの本質は何も変わっていない。臆病で、用心深くて、優しい。

 本来はこんな血生臭い政争に向いている人物ではないのだ。それなのに自分は背中を押し続けなくてはいけない。それがどんなに残酷なことなのか、充分過ぎるほどわかった上で。


「婚約の解消をお願いしに行った時、侯爵夫妻は口では残念がっていましたが、安堵した顔をしていましたよ。僕の婚約者でいる限り、貴女は危険な目に遭い続ける。娘がやっとその立場から解放されるかもしれないとなった時に、喜ばない親はいないでしょうから」

 そう言って寂しそうに笑った。


「それがぬか喜びだったと知ったら、きっと失望するでしょうね。僕としては、そんなに残酷なことはしたくないんですが」

 シエラは心の中で両親に悪態をついた。仮にも娘の婚約者にそれを悟らせるなんて、侯爵夫妻としてどうなのか。


「そんなの知ったことではありません。侯爵家の娘として生まれた以上は、たとえ国に殉ずることになっても、よくやったと喜ぶのが親として当然のことです」

「厳しいなあ……」


「彼らのことは、良いのよ。結局最後にはわたくしの気持ちを尊重してくれるはずですから」

 その言葉に見え隠れするのは、紛れもなく愛情だった。両親への敬愛と同時に、彼らを破滅へと追いやるかもしれない選択肢を、シエラは併せ持っている。


「それで、決心はつきましたか?」

「貴女こそ、大丈夫ですか? 既に各方面に内諾を頂いている婚約の破棄を撤回したら、今度こそ無かったことにはできなくなりますが」

 とっくに答えはわかっているだろうに、わざわざ確認してくるシエラにモーガンが返した言葉は、負け惜しみ以外の何ものでもなかった。案の定、シエラに笑われる。


「そもそも、わたくしの意思を一切受け入れずに勝手に話を進めたのは、そちらの方ですもの。わたくしとしては、なんて義理を欠いた話だと国王陛下のところに怒鳴り込まなかっただけでも、感謝してもらいたいぐらいなんですけど」

 確かに今の国王では、激怒したシエラを収めるだけの気概はないだろう。


「陛下も、貴女のことが心配なんですよ。王位に争いに巻き込んでしまっていることに対して負い目もある。ずいぶん危ない橋を渡っていることも、あの晩餐会の一件で気付いたはずです」

「だからあなたとの婚約破棄に同意したというわけですか? さすがに、モーガン様と血が繋がってる方だわ。思考回路が同じねーーでも」


 シエラはモーガンを見つめる。

「わたくしを、王妃にしてくださるのでしょう?」

 モーガンは微妙な表情をした。怒っているのと照れているのと泣きそうなのと、その中間のような。

「……そうですね」

 言うなりシエラを引き寄せた。


 そのまましばらく何も言わずにぎゅうぎゅうと渾身の力で抱きしめてくる。

 突然の抱擁に最初はひたすら照れていたシエラも、それがあまりに長いこと続くので、さすがに少し苦しくなってきた。

「あの、モーガン様」


 もしかしてこれは嫌がらせなのではないかと疑いはじめた頃、耳元でモーガンがぼそりと囁いた。

「ーー僕と、結婚してください」


 シエラは抱きしめられたまま、予想外の言葉に瞬く。そういえば、婚約期間は長いものの、このくだりは一度もやらなかった気がする。

 ありふれた求婚の言葉が、こんなに嬉しいとは思ってもみなかった。


「はい! もちろん。嬉しいです。……あの、喜んで」

 嬉しすぎて勢いよく顔を上げて、思いついた端から承諾の言葉を並べてしまう。

 言ったあとで、あまりに無邪気に返答してしまったことに気付いてシエラが顔を赤らめると、モーガンが可笑しそうに笑った。その振動が伝わってくる。

「……ありがとう」


 声を立てて笑う最近のモーガンは希少だ。好きな人が笑うとどうしてこんなに嬉しいんだろうとシエラは思う。




***

 城の居館の奥まったところにその部屋はある。


 廊下は物音ひとつしない。部屋の主が、物音に過敏になり足音すら嫌がるようになったものだから、ここへ来られる者は限られている。


 シエラは樫の重厚な一枚扉の前まで来ると、そっとノックをした。

 返事がないのはいつものことなので、気にしない。

「マイケルお兄さま、シエラです。ご無沙汰しております。聞いてください、わたくし、モーガンさまと、とうとう結婚したんですよ」

 そう言って、そっと扉を撫でた。


「だから最近、こちらに引っ越して来ましたの。東棟の居館におります。気が向いたら遊びにいらっしゃってくださいね」

 新居は全体的に居心地が良い。早速第一王女からだろうと思われる軽い嫌がらせはあったが、いちいち気にするほどのものではなかった。


「なんと、式にはジェーン様もいらっしゃいましたのよ。まだ、どうしても喪服は脱げないとのことでしたけれど。それでもずいぶんお元気になられたご様子で、花束をもらいましたわ。ジェーン様が手ずからお庭で育てられた花なんですって」

 その美しさを思い出して、笑みがこぼれる。


 返ってくるのは沈黙ばかりだったが、相手の反応は端から期待していない。ごくたまに訪れては勝手に好きなことを喋って好きな時に切り上げるのが、いつからか習慣のようになっている。


「ねえ。約束、覚えてらっしゃいますか? いつだったか、わたくし達の肖像画も描いてくれるとおっしゃってくださったでしょう。わたくし、それを楽しみにしておりますのよ。どうしてもあの色遣いでないと嫌なんですもの。だから結局、婚礼の儀の絵は無いんです。」

 そう言って口を尖らせた。第一王子のアルフォンソが見たら、ジェーンみたいに頑固だな、と笑うだろうか。


「いつか、マイケルさまに描いてもらおうと思って」

 いつになっても構わないので、絶対に描いてくださいね、とひとり言のようにつぶやく。


「……そのときには、シエラはおばあちゃんになってしまっているかもしれないよ」


 一瞬空耳かと思うほどの微かな声だったが、シエラは確かに7年ぶりにマイケルの声を聞いた。

 しわがれて、弱々しい、久しぶりに声帯が仕事をしたような声だった。でも穏やかな、それは確かにシエラがよく知っているマイケルの声なのだった。


「……構わないわ。ふたり共真っ白の髪なら、それはそれで良いものじゃありません?」

 よいしょ、とドアに背中をつけるようにして、シエラが座る。ここが人払いされている棟でよかった。こんなに行儀が悪い姿、モーガンにだって見せられない。

 背中越しに語りかける。


「その頃には、マイケルさまもきっとおそろいね。白い髪は、どんな背景に映えるかしら。お任せするから、考えておいてね」

 ふたたびマイケルからの返答は無かったが、気にならなかった。彼はあれ以来、はじめてシエラに話しかけたのだ。それも、未来の話を。


 涙がこぼれないようにひたすら天井を見ていたが、あまり効果はなかった。ここが人払いされている空間で良かった。重厚なドアがマイケルと自分を隔てていて良かった。次期王妃のみっともない泣き顔なんて、誰にも見られるわけにはいかない。


「ねえマイケルさま。それまでわたくしたち、生きていましょうね。どんなに現実が残酷でも、過去がわたくし達を苦しめても。髪が白くなって、腰が痛くなって、目が見えにくくなるまで、生き延びてやりましょう。そしていつか、陽だまりの中で笑い合うんだわ」

読んでいただいて、ありがとうございました。

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