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 シエラは喪服を着ていた。

 空は真っ青に澄み渡っている。

 参列者の絶望を嗤うような晴天だった。確か今日は雨が降っていたはずなのに。

(ああ、これは……)


 5年前、モーガンの長兄である、第一王子の葬儀だとシエラはすぐに気づく。

 誇り高く勇敢で才能にあふれ、王の後継として申し分ないとされていた彼は、19歳の若さであっさりとこの世を去った。


 毒、暗殺、穏やかでない言葉が参列者の間でひそひそと交わされる。仲の良かった兄の死というだけでもショックなはずなのに、それが不審死だというのは、14歳の彼にとってはどれほどの傷になるだろう。


 少しだけ臆病で、優しいシエラのひとつ歳下の婚約者は、泣きわめくこともせず、ただ表情のない顔を上げていた。

 王族が連なる式典においてはそれが正しいふるまいだ。だから彼の手が小刻みに震えていたことはシエラしか知らない。

 納棺の間中、シエラはモーガンの手を離さなかった。


 それから少しの間に、王宮で飼われていた犬と小鳥が死んだ。次兄である第二王子とモーガンが可愛がっていたものだ。血を吐いて冷たくなっていた亡骸から見て、自然死のようには思えなかった。


 そのショックも消えないうちに、第二王子の侍女がやはり毒で亡くなった。モーガンもシエラも小さな頃から知っている、姉のように第二の母のように慕っていた人だった。

 第二王子はすっかり憔悴して、自室に引きこもって出てこなくなってしまった。


 その状態の彼を王太子にするには無理があるというのが王宮の一致した意見で、そのまま王位継承権の一位はモーガンに移った。

 そう発表されてすぐに、モーガンの婚約者であるシエラの食事に毒が入れられた。


 当時籍を置いていた学園での出来事だった。流石に侯爵家の厳重な警備には手出しできなかったのだろう。

 幸いその毒は王族殺しに使われる「亡霊の牙」でも致死量でもなかったため、大事には至らなかったが、一緒に食事をした何人かが体調を崩し、料理人と何人かの職員が責任を取って解雇になった。


 念のために少しの間屋敷に戻って静養することになったが、駆けつけたモーガンの方が憔悴しているように見えた。



「ーー王に、なろうと思います」


 それから少し経って、すっかり覚悟が決まった顔で宣言するモーガンに、シエラも頷いた。

「そうね。わたくしも、あなたが相応しいと思います。……少なくとも、お兄様を殺した犯人を王にする訳にはいきません」


 モーガンが返したのは、自嘲的な笑みだった。彼が最近よくするようになった表情のひとつだ。

 自分が王位を継ぐことになるとは思わない、無邪気に生きていた頃には決してしなかった顔だった。


「どうでしょう。この国の王になるためにはーーなった後も、きっとたくさん血を流さないといけない。これは私怨なんです。兄を手にかけ、貴女に毒を盛った犯人の思い通りにはさせたくないという、無様で独りよがりの感情だ」

 そこまで言って、さらに昏い笑みを深める。

「その点では、犯人も僕も似たようなものなのかもしれないな」


 シエラは即座に首を振る。

「いいえ。私欲のために罪を犯す者と、あなたとでは違うと断言します。それに独りよがりではないわ。わたくしも、あなたと同じ気持ちだから。そのためなら、この手を汚すことも厭いません」


「頼もしいな。そうなったら、シエラはこの国の未来の王妃ですね」

 モーガンはくすりと笑った。第一王子の死去以来ほとんどはじめて見る純粋な笑顔に、シエラは少し安心する。


「ええ。まさかわたくしが王妃になるとは思いませんでしたけど。こうなってみると、貴族名鑑を読む趣味も役に立ちそうですね。少しぐらい襲われても大丈夫なように、体力もつけなくては」

 おどけたようにむん、と力こぶを作るように腕を上げるシエラを見て、モーガンは笑おうとして失敗した。


「危険な思いをさせてしまうかもしれない。……貴女にはいつだって、安全なところで笑っていてほしかったのに」

「今更だわ。とっくに覚悟はできています」

 シエラの手を両手で包んで、懺悔するように絞り出す声に、ことさら明るい声で言い返す。


「ねえ、どんなことがあっても王様になってくださいね。たとえ玉座への道がどれだけ血にまみれていても、ふたりなら何とか歩んで行けます。わたくしは喜んで共犯者にでも何でもなりますから」


 だから、とシエラは手を伸ばしてモーガンの頬を包む。

「もう泣かないで」




 目を開けると見知らぬ天井が目に飛び込んできた。

 あれから5年。まだ生きている、とシエラは思う。目を覚ますたびに真っ先に確認する癖がついている。

 生き延びてしまった、と確認することは絶望にも似ている。


 仰向けのままゆっくりと目線だけを巡らせて、じっとこちらを見下ろしている水色の瞳と目線が合った。絶望を隠すように、シエラは少しだけ笑う。生きる理由を思い出す。


「ここは……?」

 ぼんやりと記憶をたぐりながら呟く声は掠れていた。

「僕の自室です」

「へえ……?」


 意外な答えだった。墓地で急に貧血になったことは覚えている。あのまま意識を失ってしまったのか。それにしても、運ばれるなら、シエラの屋敷か。王宮へ運ばれるとしても、来客用の部屋の方が順当な気がするが。


「墓地からは貴女の屋敷よりも王宮の方が近かったので。医師を呼ぶのもここの方が手っ取り早いですし」

 まるでシエラの思考を読んだようにモーガンが説明する。  

 どこか言い訳のようだと思いながら、シエラは横になったまま、もの珍しげに部屋を眺めた。


 十年近く婚約者という立場でありながら、実はモーガンの部屋を訪れるのは初めてだった。

 落ち着いた色合いの、少し間違えば殺風景にもなりかねないほどシンプルな部屋は、いかにも近年の彼らしい。


「あの絵」

 そんな部屋に不似合いなものをふと目に留めて、シエラが指で示す。

「もう一度見たいと思っていたの、ずっと。そう、こんなところにあったのね」


 それは美しい色合いの肖像画だった。5年前に夭折した、モーガンの長兄のアルフォンソ第一王子と、その婚約者だったジェーンだ。


 よくある王族の肖像画のように気取ったポーズではない。陽だまりの差す森の中を、ふたりで仲良さそうに歩いている。

 アルフォンソはあまり人に見せたことのないような、照れたような笑顔をしている。手を引かれているジェーンは満面の笑みだった。足元にじゃれついているのは仔犬のシシィだ。


 正直に言うと、絵の技量はそこまでではない。それもそのはず、描いたのはまだ十代の少年だった第二王子のマイケルだった。

 芸術家をこころざす程度には腕は達者だったが、王族の肖像画としてはやや拙すぎる筆致だった。


 だがジェーンはこの絵をいたく気に入っていて、これを正式な夫婦の肖像画にしましょうと主張して、婚約者に甘い兄はその意見を全面的に呑んだのだ。


 そんな訳で、この絵はしばらくの間、王宮のホールでも随分良い位置に飾られていた。あの事件があるまでは。


 

 ーーほらアルフォンソ兄様、顔がこわばってるよ。ちゃんと笑って。いつもの公務みたいに嘘くさい笑顔でいいから。


 ーーそんなこと言ったって、おまえ達にそんなに真剣に見られてると緊張するだろう。表情のひとつやふたつ、ちゃちゃっと描きかえてくれよ。


 ーーあら。マイケルは、目に映ったものをそのまま写し取るのよ。純粋なんですもの。心からの笑顔でないと、きっとみっともない表情になるわよ。ねえシエラもモーガンも、がんばってお兄様を笑わせてあげて。


 ジェーンは絵筆を持って兄に注文を出すマイケルのすぐ横にいたシエラとモーガンに呼びかけた。

 滅多に見られない兄の弱った顔が可笑しくて、ふたりとも笑いながら見ていた。いつもは城からさほど離れていないところにある、花が咲き乱れるあの森は、ピクニックにおあつらえ向きの場所だったと思い出す。


 脳裏に浮かぶのは気が遠くなるくらい幸せな光景だった。

 陽だまりと、光る緑と、はしゃぐ仔犬。そして幸せそうな若いふたり。淡い金髪と濃いブルネットの対比が美しい。

 あの森に行ったのは、あの日が最後になった。



 早回しのように記憶の中の時が進む。冷たくなった第一王子を発見した悲鳴のような従者の叫びも、葬儀で感情を無くしてしまったような彼の婚約者の横顔も、心が壊れて引きこもってしまった第二王子も、冷たい表情しか見せなくなったモーガンも、ほんの一瞬で通り過ぎてゆく。


 シエラは俯いて、表情を気取られないようにした。

「お医者様なんて、大袈裟だわ。少し疲れてしまっただけなの。このところ色々あったから」

 色々という言葉の中にふくまれるあれこれを想像したのか、モーガンがぴくりと身じろぎする。


「お見苦しいところをお見せしました。もう大丈夫。侍女を呼んでくださる?」

 少し経ってから顔を上げ、身を起こして寝台から抜け出ようとするところを、モーガンに肩を押さえられてしまう。


「毒薬の後遺症に加えて、極度の疲労と、緊張。何かとんでもなくストレスのかかることが最近あったのではないかという、医師の見立てでした」

「そりゃあ、暗殺されかけて、何とか死なずに済んだと思ったら、今度は婚約者から突然婚約破棄を突きつけられるんですもの。ストレスも溜まります」


 淡々と告げるモーガンに、シエラは頬に手を当て、はあとため息をついて悲しげに呟いてみせたが、その嫌味ったらしい口調にも、モーガンは少し眉をひそめただけだった。


「大公に手をかけたのは貴女ですね、シエラ」

 墓地でマリアンヌが現れる直前にした質問を、再び口にした。

 まっすぐにシエラを射抜く水色の瞳は醒めていて表情が読めない。その視線をシエラは真っ向から受け止める。

「それをわたくしが答えたら、モーガン様は選ばなければいけなくなってしまいますわ」


 そう言ってにっこり笑うと、指を折って数えはじめた。

「選択肢は全部でみっつあります。ひとつ、何も聞かなかったことにする。犯人など存在せず、大公は不幸な事故で死んだと思えばいいのよ。これは、あなたの性格的に無理かしら。ふたつ、わたくしをしかるべきところに突き出し、弾劾する」

 その返答はほとんど殺人を自白したのと同じことだった。モーガンは黙って聞いている。


「王族殺しは大罪ですものね。いくら大公が残虐で好色で、多くの者から憎まれているような人間だったとしても、王位継承権上位の人物であることには変わりない。そんな方を一介の貴族の娘が手にかけてしまったのだから、良くてしばり首、もしかすると遺体を晒される上に家名も剥奪されるかもしれないわ。お父様もお母様も、さぞかし悲しむことでしょうね」


 シエラは自分の残酷な処遇を語っているのに、楽しそうですらあった。


「そして、みっつめ。今までどおり、わたくしと共犯関係でいること。さあ、どれを選びますか?」

 楽しそうなシエラとは対照的に、モーガンは表情に不快感を乗せる。


「今更、それを僕に選ばせるんですか?」

「あら、婚約破棄っていうのはそういうことではなくて? 約束も思い出も関係も、全部なくしてしまおうというのでしょう」

「シエラ、僕は……」


 何か言おうとするモーガンを制止するように、シエラはひとつ息を吐いた。


「あなたの言う通りよ。フリーク大公は、わたくしが殺しました」


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