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 シエラが毒を盛られた晩餐会から、更に遡ること数日前。


 あの日、アカデミアに乗り込んでマリアンヌに接触したのは、モーガンにやたら馴れ馴れしくしているという彼女に釘を刺すためではない。


 モーガンに付き纏っているという彼女は、シエラ達がこっそり第一容疑者として見当をつけていたフリーク大公の領地の出身だった。

 そこでマリアンヌと大公との間に何らかの繋がりがあるのではないかと疑ってはみたものの、確証には至らず、実際にこの目で見てみることにしたのだ。


 彼女がモーガンに近づいた理由を知りたかった。彼の毒殺でも命じられているのか。それとも単純にシエラを追い落として王妃の座を狙っているのか。

(後者なら、話は簡単なんだけど)


 マリアンヌは、腰まで伸びた銀髪が美しく、はかなげな美貌をしていた。

 確かに、この美しさなら、家柄だけで決められた婚約者を追い遣って、未来の王太子妃の座に野心を持ってもおかしくないのかもしれない。


 ただ、とまじまじとマリアンヌを見ながら、シエラは考える。甲高い声も、こちらを馬鹿にしたような笑いも、表情のすべてが嘘くさいのだ。

 貴族に特有の自制を身につけたゆえのそれではない。


「貴女がモーガン様の婚約者ですか! 身を引くのは貴女の方ですよ! 立場上、嫌々婚約を続けているだけで、本当は私こそがモーガン様と愛し合っているんですよ!」


 妙に耳障りな舌足らずの喋り方は、本来のマリアンヌの発声法ではないのではないだろうか。語尾が、ほんの少し震えている。

 流行のものとは言い難い詰襟の袖の長いドレスも、下ろしている髪も、彼女のキャラクターだけで片付けるには、違和感があった。


 シエラは少し威圧的な態度をとってみることにした。

「マリアンヌ・クラーレット。人の婚約者に色目を使うなんて、一体どういううもりなの!? 男爵令嬢風情が」

 充分に人目を集めているのがわかっていて、殊更に傲慢で狭量な婚約者を演じる。

 

 思ったとおり、こちらが大きな声を出すと、彼女の手がびくりと震えた。もしかするとこの子は普段から怒鳴られ、虐げられているのかもしれないとちらりと考える。

 シエラは、マリアンヌの髪の毛をわし摑みにした。そこまで力は込めていないが、マリアンヌは先ほどの威勢の良さはすっかり消えて、体を硬くしていた。


 シエラは眉をひそめた。彼女のように大声を出され、荒々しい動作をされると固まってしまう子を見たことがある。救貧院で、暴力を受けているのが日常だった子供達だった。


 人目があるので痛々しい思いは顔に出さない。周りから見られない角度で後ろ髪を持ち上げ、首筋をチェックする。ほんのわずか、火傷のような痕が見えた。袖をそっと捲る。擦れた縄の痕。

 モーガンは何故日常的に彼女に接していながら何も気づかないのかと苛立ちながら、マリアンヌを引き寄せ、耳元で囁いた。


 ーー貴女にこのような振る舞いをさせている人物に思うところがあるのなら、わたくしに付きなさい。必ず救ってあげるから。


 そしてマリアンヌを突き飛ばすと、高らかに宣言したのだ。

「モーガン様に手を出したら、次はそのお綺麗な顔をこのハサミでずたずたに切り裂きますわよ」


 呆然としたようにシエラを見つめ、がくがくと頷いたマリアンヌを、周りは脅しに屈したと思っただろう。


 やがて噂はめぐり、シエラがアカデミアでモーガンに付き纏っていた令嬢がシエラに脅されたという話が、王族達の耳にも入り、あの晩餐会で毒薬が使われることになる。

 タイミング的に、マリアンヌに脅しをかけたことに焦った大公が、シエラが何かに気づく前に亡き者にしようと動いたのだろうか。


 ーーシエラの手元に、解毒剤が届いていたとも知らずに。



 シエラ宛てに小包が届いたのは、シエラがアカデミアに乗り込んでから間も無くしてのことだった。

 MCというイニシャルだけが書かれた小さな小包には、銀の髪がひと房と、一回分ずつ分包された粉薬、それを毎日飲むようにという注意書きが入っていた。


 送り主がマリアンヌであることはわかるが、そもそもこれは何の薬なのだろう。

 同封されているリボンで結ばれた髪もマリアンヌのものだろう。

 この国で女性が他人に髪を送ることは恭順をあらわす。アカデミアでマリアンヌの髪を切ったのも自分の元に来るようにとの意味もある。

 素直に考えれば、先日の話を許諾したということになるのだろうが、あっさり信用することにも危うさを感じる。


 とにかく、シエラにはその薬を服用する以外の選択肢はなかった。

 半信半疑でその薬の服用を続けたことで、一時的に亡霊の牙が効きにくい体質になり、晩餐会で使われた毒がシエラの命を奪うことはなかった。


「どうしてあっさりそれを服用してしまうんですか!? 毒薬の可能性の方が高いだろうに。僕には散々用心しろとか言っておいて、貴女は何をやっているんですか!」


 シエラとマリアンヌの邂逅を、ふたりがかわるがわる説明するのをしばらく黙って聞いていたモーガンだったが、そこまで聞いてさすがに声を荒げた。

 思わず口から出たモーガンの嘆きとも叱責ともつかない言葉に、シエラは心外だという顔をする。


「モーガン様の立太子まで、あまり時間がなかったでしょう。その前に犯人は動く可能性が高い。だったらこちらが何としても先手を取るしかないと思ったんです」


 そもそも、シエラにとっても賭けだったのだ。一連の暗殺の犯人は本当に大公なのか。マリアンヌと繋がっているのか。そしてマリアンヌは味方になってくれるのか。解毒剤は本当に効くのか。

 どれかひとつ間違っていただけで、シエラはは今こうして生きてはいなかっただろう。



 そして結果として、シエラは賭けに勝った。


 あの日毒を盛られてから三日間寝込んだのちに目を開けて、真っ先に思ったのが自分は生き延びてしまったということだった。

 解毒剤が効いたということは、シエラに使われたのはあの恐ろしい亡霊の牙で間違いがない。黒幕はやはり大公だったのだろう。


 ーー一連の首謀者が明らかになったからには、行動を起こさなくてはならない。あちらはモーガンの立太子の儀の前に、もう一度仕掛けてくるはずだ。

 今度は婚約者ではなく、モーガン本人に。その前に何とかしないと。


 そこまで考えて、恐怖で息ができなくなる。殺されかけた恐怖ではない。これから自分が粛々と実行するであろう、おぞましい犯罪への恐れだ。

 本当の本音を言うと、もしも今回のことで命を落とすのなら、それでも良かった気がしていた。


 シエラの身に何かあった時のためにすべてを書き記された手紙は厳重に密封されて、万が一の時にはモーガンのところに届く手筈になっている。結局、無駄になったが。

 

 療養中、真っ先に見舞いに訪れたのはマリアンヌだ。

 モーガンの学友でシエラの友人でもあると言えば、家の者は素直に寝所まで通した。

 そして、そこでマリアンヌは、シエラに送った薬が解毒剤だったこと、大公に命じられて毒薬の調合を行っていたことを告白したのだった。



 大公がマリアンヌを従わせている理由が、信頼関係などではなく、恐怖のようなものではないかというのは、領地での評判などからも予想はついていた。


「家族を人質に取られていました。あの薬ができたのは本当に偶然だったと聞いています。調合法は文書には書かず、口伝いに教わるだけ。作れるのは今は一族でも数人しかいません。日持ちしない上に、本当に繊細な調合が必要なものですから」


 シエラとモーガンの前で、マリアンヌが淡々と語る。

「作り置きすることもできず、アカデミアに通う名目で、あの男に王都に呼ばれ、言われるままに薬を作り、渡していました」

 あの男というのはフリーク大公のことだろう。その響きからは仮にも主人であった者への敬意のようなものは一切感じられず、ただ感情を押し殺したような冷たさだけがあった。


「五年前の王子暗殺に使われた薬も、その後の王宮で起きたいくつかの不審死の薬も、私が調合しました」

 証言します、とマリアンヌは言った。


「でも、いくらマリアンヌが証言したところで、大公は地位を利用して逃げるに決まっているでしょう。その前に、マリアンヌが口封じにあうかもしれないし、一族ごと消されるかもしれない」

 シエラの言葉に改めてフリーク大公という人間の残虐さを突きつけられて、モーガンは眉をひそめた。


「僕だけが、蚊帳の外だったというわけですか」

「人聞きの悪い。最初に裏切ったのは、だあれ?」

 不満げな口調のモーガンを、シエラは間髪入れずに遮る。


「約束したわよね? わたくしたちはこの国の王と王妃になるために、何でもすると。たとえどんな過酷な道でも、共に進もうと誓ったでしょう。それを、たかが暗殺未遂ぐらいで怖気付くなんて」

 モーガンを責めるシエラの声が大きくなっていく。


「最悪の裏切りだわ。婚約破棄だなんて……っ!」


「シエラ」

「シエラ様」

 怒りにまかせてモーガンへの文句を続けようとしたシエラは、そのまましゃがみ込んでしまった。興奮したせいで、立ちくらみがしたのだ。

 そういえば毒を飲んで以来、まだ本調子ではなかった。


 シエラの肩を、目の前に膝をついたモーガンが抱き寄せる。俯いていたので、顔は見えない。ああ、膝が濡れてしまう、とそんなところばかり目に入った。


「病み上がりのくせに無理をするからですよ。おまけに雨にも当たって。平気でいる方がどうかしている。ひどい顔色だ」

 口調だけは淡々としたまま、上着を脱いでシエラの細い肩に掛けた。

「だいじょうぶ、ちょっと貧血気味なだけ。少しの間じっとしていたら治ります」


 そう言ってモーガンを押し返そうとした腕ごと抱え上げられてしまう。

「屋敷に運びます。ここで貴女に何かあったら、僕が疑われかねない。マリアンヌ嬢、後ほど詳しい話を伺いたいが、今日のところはこれで」


 マリアンヌが淑女の礼をするのを目の端に捉えながら、さっさと踵を返すモーガンに再度「だいじょうぶよ」と囁いた。

 囁いた気になっていただけで、声には出なかったかもしれない。急速に身体が重くなり、意識が遠のくのを感じる。


 久しぶりの他人の体温にほっとして顔を傾けると、ちょうどモーガンの鼓動が聞こえる位置だった。平時より少し速い気がするそれは、雨の中でもはっきりと響いていた。

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