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 葬儀の日は、朝から王都中に弔鐘が響きわたっていた。


 霧のような雨が降っていた。これでようやく火も完全に鎮火するだろうと王都に住む人々が胸を撫で下ろしたので、恵みの雨とも言える。

 火災の爪痕は大きく、離宮からは数区画離れている葬儀が執り行われる大聖堂にまで、焦げた匂いが漂っていたほどだった。



「この度は、あまりに突然のことで、言葉もございません。我ら一族も哀しみに堪えませんわ。皆々様の御心痛は如何ばかりでしょう。心よりお悔やみを申し上げます」


 雨の中、黒の喪服を身につけたシエラが、遺族である王家の者に挨拶をする。

 すでに一部の者には婚約破棄の話が回っているとはいえ、まだ公式に発表していない以上は、シエラはモーガン第三王子の婚約者のままだ。

 シエラはそっとモーガンの前に立った。

「モーガン様も。お慰めの言葉もございませんが、お悔やみを言わせていただきます」


 そう言って頭を下げるシエラを見つめるモーガンの顔色は蒼白だった。喪服の黒と雨とも相まって、ひどく陰鬱に見える。

「あとで少し、話がしたい。……ふたりきりで」

 シエラはその言葉を待っていたように、うっすらと笑った。

「ええ。では、後ほど」



 滞りなく終わった葬儀の後、モーガンが目配せをしたので、シエラは後ろから傘を差し掛けていた使用人に下がるように告げて、モーガンと同じ傘に入った。

 そのまま、葬儀が行われた聖堂から少し離れたところにある墓地まで無言でふたりで歩く。


 亡くなったフリーク大公の棺は喪明けまで聖堂の廟に安置されるので、途中の小径にも墓地にも人気ひとけはない。

 内密な話をするにはちょうど良かった。


「……貴女の仕業ですね」

 歩きながらモーガンがぽつりと言う。返答を求めている訳ではない。シエラがこの場で認めるはずがないことはわかりきっているからだ。

 ただ、黒いベールに覆われていても、彼女がひっそりと笑ったのは分かった。


「わからないことがひとつあります」

 返答の無いシエラには構わず、モーガンは淡々と続ける。

「大公は敵の多い人だった。そのため暗殺を恐れて常々用心を怠らなかった彼は、王都での住居である離宮も、領地の城も、要塞と呼ばれるほど堅固な警備を置いていたのは貴女もご存知の通りです。それを、一体どうやって寝所まで行って火をつけたのか。内部から手引きした者がいたとしか考えられない」


 そこまで言うとモーガンは、思い詰めたようにシエラを見た。

「まさかとは思いますが、共犯者がいたのでは」

 その時、ふたりの後方から足音が聞こえてモーガンは鋭く振り向いた。そこにいたのは意外な人物だった。

 傘を差した美貌の女性だ。銀の髪は腰まで伸びている。一部短い部分があり、アシンメトリになっているが、それは彼女の美しさを損なうものではなかった。


「マリアンヌ嬢……」

 最近アカデミーでやたらモーガンに付きまとっているという理由でシエラに脅されたという、マリアンヌ・クラーレット男爵令嬢だった。


「おふたりとも、こんなところにいらっしゃったのですね」

 ふたりと同じく喪服を着ているということは、葬儀に参列していたのだろうか。


「何故貴女が、ここに」

 モーガンとは見知った間柄でありながら気付かなかったのは、まさかこんな場所にマリアンヌが現れるはずはないという先入観のせいだ。

 地方領のいち男爵家である彼女の家格はそこまで高くないので、王族に連なるものしか参列できないはずのこの場に姿を現すのは不自然だった。


 それに、雰囲気がいつものマリアンヌとはまるで違う。

 アカデミアにいる時はいつも貼り付けたような笑みを浮かべて、鼻にかかったような猫なで声ですり寄り話しかけて来る彼女だが、今はモーガンを前にしても、ほとんど無表情だった。

 話し方も淡々としている。ただ葬儀の場だからという理由ではないだろう。


 こちらがマリアンヌの素だと見なすべきだろうか。モーガンは表情を険しくして、佩刀している剣に手をかけた。

 大公の葬儀である以上、彼女が姿を見せる可能性については予想しているべきだった。


 マリアンヌはモーガンの不審な視線に臆する様子も見せずに、こだわりなく近づいて来る。

 そしてマリアンヌが、モーガンの影にいるシエラに目線をやって、そばに行こうとした瞬間ーー。


 モーガン達とマリアンヌが差していた黒い傘が宙に舞った。モーガンの剣の白刃がマリアンヌの細い首筋を捉える。

「シエラに触れるな。殺すぞ」

 普段のモーガンからは想像できないような鋭い声だった。


 シエラを庇うように前に出たモーガンが、マリアンヌの傘を弾き飛ばし、剣を突き付けたのだ。瞬きする間もなかった。一拍遅れてふたつの傘が地面に落ちた。

 突きつけられた刃先がマリアンヌの皮膚に食い込んで、薄く血が滲んだのを見て、シエラは眉をひそめる。


 王家の墓は神聖な場所だ。ここで血を流すべきではない。

 人払いをしていると言っても、誰かに見咎められる可能性はゼロではないのだ。

 ここではモーガンを蹴落としたくて仕方のない連中がわずかな瑕疵も見逃すまいと時期を伺っている。少しの弱みも見せないように気を配らなくてはならない。

 

 それはモーガンも充分に承知しているはずだが、今の彼はおそらく冷静ではないのだろう。叔父である大公が変死し、手を下したのが自分の婚約者かもしれないとあっては無理もない。

 シエラはそっとモーガンの手に自分の黒い手袋をつけたそれを重ねる。

「剣を納めて、モーガン様。大丈夫。彼女はわたくしの味方です」


 モーガンはまじまじとシエラを見ると、一瞬酷く苦痛そうな顔をした。それからひとつ息をついて剣を鞘に戻した。



「マリアンヌ嬢がフリーク大公と通じている可能性については、貴女も気付いていたんですね」

 あっという間に冷静さを取り戻し、改めて拾った傘を差しかけながらモーガンが発する問いかけに、シエラは微笑んだ。


「それはもちろん。クラーレット男爵家といえば大公の直轄領であるフリーク地方の、歴史ある薬師の家柄ですもの。地方の男爵令嬢の身でアカデミアに入れるほどの財力と才能を持ちながら、婚約者がいる王子に人前で堂々と色目を使うなんて頭の悪いことをするとは考えにくい。何かあると考えるのが当然でしょう」


「まさか、うちのことを知っておられるとは思いませんでした。今おっしゃられたように、古い家柄とはいえ、地方の一男爵家に過ぎませんのに」

 そう呟くマリアンヌに、モーガンが淡々と告げる。

「彼女の趣味は貴族名鑑を読むことなんだ。おそらくこの国のある程度歴史のある貴族に関しては、ほとんど熟知している」

「嘘でしょ」

 数千とも言われるこの国の貴族を把握するなど、酔狂に過ぎる。


 思わず素で驚くマリアンヌに、シエラは涼しい顔をしていた。

「もちろん実益も兼ねていましてよ。……クラーレット家。薬師一族としての評価が高い一方で、悪い噂が絶えないのも事実ね。人を堕落させる薬、害をなす薬。そういったものを、裏で流通させているのではないかと」


「それは、薬師の業みたいなものです。人体に良い影響があるなら、悪い影響が出るかどうかを確かめずにはいられないの。元々、薬と毒薬は同じものなんです。どう作用するかは、量やバランスや用途によって変わるだけ」

 糾弾とも取れるシエラの言葉に、悪びれることなく答えるマリアンヌは、普段のアカデミアの彼女とは別人のようだった。


「そして、代々そのクラーレット家の後ろ盾について黒い噂をもみ消してきたのが、フリーク大公家だったというわけ」

 種明かしをするように、両手を持ち上げて手のひらを見せるシエラの仕草は軽いものだったが、その情報に行き着いて確証を持つにいたるまでが、どれだけ困難なのかを、モーガンはよく知っていた。


「〈亡霊の牙〉の出所も、やはりそこだったのか……」



 少し前から王族の間で、同じような症状で死ぬ者が増えた。まだ若く、それまで持病などなかった者が、突然胸をかきむしり、大量の血を吐いて絶命するのだ。


 末期の様子から、おそらく同じ毒物が使われていると推測できたが、どれだけ探しても証拠が見つからない。食材から皮膚に触れる衣類まで徹底的に調べても、毒物の痕跡は見つからない。


 遅効性で、時間が経つと自然に分解される、非常に毒性の高いーー未知の毒であるだろうというのが、王宮の医者や薬師たちの見立てだった。

 まるで存在しないかのように検出されないのに、確実に命を奪いに来るその毒薬を、その存在を知る限られた者たちは〈亡霊の牙〉と呼んだ。



 モーガンもまた、水面下で動いてはいたのだ。

 アカデミアで不自然に付きまとってくるマリアンヌに対しては、嫌悪よりも先に不審を覚えていた。基本的にアカデミアに籍を置くのは、この国でも能力を認められた才人ばかりだ。

 婚約者もいる王子の自分に表立って近づくことがどういうことなのか、わからないはずもない。


 その動機に興味があったので、モーガンの方も満更でもない顔をして、マリアンヌが近づく事を許した。

 そして陰で調べてみると、マリアンヌの生家が、叔父のフリーク大公の領地にあることがわかったのである。

 それだけなら偶然の可能性もあったが、さらにマリアンヌが薬師の家系であることも突き止めた。


 だからといって、マリアンヌの実家であるクラーレット男爵家とその領主であるフリーク大公家の間に何かしらの癒着を疑うには、証拠がなさすぎる。


 何度か部下を領地まで調査に行かせたが、大公家の話になると、皆一様に口を閉ざしたということだった。

 かろうじて得ることができた情報では、大公の領主としての評判は芳しくなく、いわゆる恐怖政治を敷いていたらしい。税の苛烈な取り立てや残虐ともいえる刑罰への恐れが、領民の口を固くしていた。


「厄介な毒だ。多分兄を手にかけたのも大公だろうと想像はついていたが、何せ証拠がない。〈亡霊の牙〉そのものがないと、王族である彼を弾劾することは難しい」



 有能で名君になると評判だったモーガンの長兄が立太子を前に急死したのは五年前のことだ。

 それから侍女や家庭教師や愛犬を殺された次兄が継承権を放棄し、自室に引きこもるようになってしまった。

 いずれも例の毒薬を使われたとみられ、王位継承者第一位となったモーガンに牙が向かうのも時間の問題かと思われた。


 しかし、なかなか毒を使った犯人の特定に至るどころか、糸口さえ掴めない。

 継承権を持つ者、またそれに近しい人物が標的になっていることから動機は王位が目的だとしか考えられなかったが、それだけでは犯人候補が多すぎた。


 大公がもっとも怪しい立場ではあったが、モーガンの弟妹である第1王女と第4王子、またはその母親の生家にもまた、動機はあるのだ。

 第5王子と第2王女はまだ幼いから野心は無いだろうが、ふたりの母親である現王妃からすれば、モーガンの存在は目障りだろう。

 

 ーーまたはその全員。あるいはそれ以外の誰か。


 少しでも目算を誤れば、とんでもないことになりかねない。

 疑心暗鬼になりそうな中で、モーガンと婚約者のシエラだけが、お互いに信用できる唯一の間柄ではあったのだ。


 そのシエラにも魔の手が伸びたのは、モーガンがシエラに婚約破棄を告げる数日前、王宮の定例晩餐会でのことだ。

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