4 不思議な彼
このエピソードは、文字数2300字ほどです
映画の日から、私とリクの関係は少しずつ進展していった。
週に一度の水曜日、カフェで顔を合わせるだけだった関係が、映画の後から毎日メッセージのやりとりをするようになった。
最初はたわいのない話。「天気がいいですね」とか「昨日夜更かし寝れなかったんです」とか「今日、お店が混んで大変でした」とか。
リクはいつも私のメッセージに丁寧に返信してくれる。
送信すると、一時間以内には既読がついて、また会話が続く。
そのうち、最初は敬語で送っていた私も、いつの間にかタメ口で返すようになった。
リクから、タメ口にしようと言われたわけではない。自分から、なぜか無意識に口調がリラックスしてそうなった。
お店にお客さんとして来た時も、軽くタメ口で話すようになった。
最初は、リクが「お疲れ様」と。私は「ありがとう」と返したり、「新作のプリン、美味しいよ」と言ってみたり。
そして、週末にも一緒に少しだけ時間を過ごすことが増えてきた。
最初は閉店後、駅まで歩くだけだった。
それが、近くのベンチで十分ほど缶コーヒーを飲んで話すようになり、
そのうち、日曜日の午後に短い散歩をすることもあった。
春の終わり。
日差しが優しく、風もやわらかい。そんな穏やかな季節。
リクと歩く時間は、何気ないけれど、心に残る。
会話内容は、バイトの出来事だったり、友達と遊んだ時の話だったり。
リクは聞き上手で、いつも相槌を打ってくれる。私の目を見て話を聞き、ちゃんと意見を言ってくれる。
段々、“ただのお客さん”の枠を超えている気がする。
でも、不思議と嫌じゃない。
「こういう季節、好きなんだよね」
ある日、近所の住宅街にある川沿いの小道を歩きながら、リクがそう呟いた。
「夏が来る前の、ちょっと物憂げな空気というか」
「うん、わかる。私も……こういう時期、好きだな」
まるで感覚が重なったみたいで、思わず笑った。
「やっぱり、似てるのかな。千沙ちゃんと僕」
そんな風に言われて、心がくすぐったくなる。
リクは昔からの友達みたいに自然で、それでいて、言葉のひとつひとつに誠実さがある。
余計なことは言わないけれど、言葉の選び方がとても優しい。
だから、一緒にいると落ち着くし、安心できる。
____
金曜日の夜。
私はいつものように、夕方からカフェのシフトに入っていた。
金曜日の夜は、少しだけ忙しい。
仕事帰りのお客さん、部活帰りの学生たち。
ピークを過ぎた二十時すぎ、少しだけ落ち着いた頃に、あのドアが開いた。
「こんばんは」
「……あっ」
リクが立っていた。
思わず驚いた顔をしてしまった私に、リクは少し照れたように笑った。
「びっくりした? 水曜日じゃないけど、ちょっと近くまで来たから……」
「え、うん……そうなんだ」
水曜日だけじゃない。彼が来てくれることが、こんなにも嬉しいなんて、自分でも意外だった。
「今日は、何にしますか?」
私は気を取り直して、店員として振る舞う。
「うーん……あ、今日出たって言ってたスコーン、これ?」
リクは、レジ横に並べられた新商品のスコーンを指差した。
それは、さっき裏で私がゆきちゃんに「今日の新作、いい感じ」と言ったもの。
大きな声で言ったわけでもないし、お客さんに聞こえるような位置でもなかった。
……聞こえていたの? それとも偶然?
「これと、ロイヤルミルクティー。いつものやつで」
「かしこまりました」
違和感を覚えたけれど、それは言葉にならなかった。
____
その日、閉店前の二十一時直前。
お店の中にいるのはリクと、テーブルを拭いていた私だけだった。
ゆきちゃんは裏でゴミ出しをしている。
リクは、いつものようにロイヤルミルクティーを飲みながらスマホを触っていたけれど、ふと目が合うと、静かに席を立ち、私の方に近づいてきた。
「ねえ、千沙ちゃん。来週の日曜、もし空いてたら……どこか行かない?」
「えっ、日曜?」
「うん。最近、散歩ばっかりだったから、たまにはどこかちゃんとした場所に行ってみたいなって」
「……いいね。たとえば?」
「千沙ちゃん、動物園とか、水族館とか、好きじゃなかったっけ?」
その言葉に、一瞬だけ動きが止まった。
「……え? なんで、それ……?」
「え? あれ……前に言ってた気がしたけど……違った?」
「ううん……言ったかな……」
確かに、私は水族館が好き。小さい頃、よく家族と出かけた思い出がある。
でもそれは、友達と話す中で軽く言ったことがあるくらいで、リクには話していなかったはず。
いや、もしかして……話したかも? いや……?
曖昧な記憶の中で、私はただ笑って誤魔化した。
最近リクと話すこと多かったし、自分が気づかないうちに言っていたのかも。
「うん、水族館……好きだよ。行きたい」
「よかった。じゃあ、来週の予定、空けておくね」
____
帰宅後、メッセージが届いた。
《スコーン、ちょうどいい甘さだったね。千沙ちゃん、ああいうの好きそうだなと思った》
まただ。私が裏で言った“甘さちょうどいい”という一言。
リクは聞いていたのか、予測したのか——あるいは、偶然なのか。
彼は、たしかに観察力がある。
でもそれにしても、少しだけ、私の好みを当てすぎている気がする。
それは「嬉しい」こと。
……だけど、ほんの少しだけ、「怖い」と思った。
でも、そんな感情を抱くなんて、私はおかしいのかもしれない。
気になってるのに。
いい人だなって思い始めて、声やさりげない動き、あの瞳に胸が動くこともあるのに。
私はスマホを置いて、ふぅと小さく息を吐いた。
まだ分からない。
この違和感が、ただの勘違いなのか、それとも——ちゃんと見つめるべき何かなのか。
その夜、ベッドに入って目を閉じたとき、ずっと誰かに見られていたような気配が、心に残った。
目が覚めたときには、その感覚も、夢の中に溶けていた。