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月に誓う永遠の愛  作者: 七凪亜美
第一章
3/39

3 少し不思議な彼

このエピソードは、文字数3000字ほどです

 次の水曜日。


 今日はゆきちゃんは休みの日。友達と放課後にカラオケに行くのだと、昨日言っていた。

 今日のシフトの相方、村田さんは休憩中で店内には私一人。


 二組来ていたお客さんも、つい先ほど帰ったばっかり。

 私は、シンクで洗い物を済ませると、メニュー表を軽く拭く。


 今日は水曜日。もしかしたら、来てくれるんじゃないかなって――無意識に彼の存在を意識している自分がいた。

 彼はお客さん。ただのお客さん。神崎リクという名のお客さん。

 そう思い込もうとしても、メニュー表のロイヤルミルクティーとクロワッサンの文字を見るだけで、なぜか心が熱くなる。

 ただの文字なのに、なんでこんな気持ちになるんだろう。


 私はメニュー表を拭き終え、布巾を洗う。

 洗い終えた布巾をいつもの定位置に戻したとき、お店のドアの上にある鈴が小さく鳴った。


「いらっしゃいませ」


 職業病なのか、誰が来たか確認せずに反射的に挨拶してしまう。


「こんにちは、千沙さん」


 振り返ると、彼は優しい笑みでレジ前に立っていた。


「あ……こんにちは」


 かっこいい。たったそれだけの感想なのに、それ以上の何かがあるような胸騒ぎがする。


「ロイヤルミルクティーと、クロワッサンを一つ」

 

 いつもと同じ注文。いつもと同じ笑顔。


 私は少し勇気を出して「今日もありがとうございます」と言ってみた。


 彼の目が、財布から私の目へと移る。

 私は思わず目を逸らす。

 手元にあるボールペンを触り、静かに深呼吸する。

 だけど、無意識に視線はまた彼の姿に向かう。


「これで」


 彼はいつものように千円札を出した。


「ありがとうございます」


 私は彼の手から千円札を受け取り、レジを操作してお釣りを出した。


 そして、彼は財布の中から小さな紙片を取り出し、お釣りを渡す私の手へそっと重ねた。


「……良かったら、これ」


「え?」


 一瞬、それが何なのかわからなかった。

 視線を落とすと、それは小さく丁寧に折られたメモ用紙で、そこに綺麗な手書きの文字が並んでいた。


 《時間が合えば、日曜日に映画に行きませんか?》


 文字の端には、彼のスマホの番号が書かれていた。


 心臓が一気に跳ねた。夢みたいな出来事なのに、どうしてか、ほんの少しだけ怖さも混じっていた。



「えっ……あの……これ」


 不意に顔が熱くなるのが分かった。

 誰もいないタイミングで渡してきたのは、気を遣ってくれたのか、それとも誰にも見られたくなかったのか。


「無理にじゃないから。もし迷惑だったら、忘れてくれてもいいよ」


 彼はそう言って、ふっと笑う。


 まただ。この笑顔。


 心臓が、早く打っている。

 


「……ありがとうございます。考えてみます」



 それだけ言うのが精一杯だった。


 ____


 日曜日、私は彼と映画に行くことになった。

 迷ったけれど、バイト終わりにスマホの番号にメッセージを送り、「大丈夫です」と伝えると、彼はすぐに返事をくれた。

 

《すごく嬉しい。ありがとう》


 とりあえず待ち合わせ場所と時間を決めて、観る作品は当日決めることにした。


《日曜の午後、駅前の映画館で待ってるね》


 寝る前、朝、電車の中、映画館に向かう途中、何度も読み返した最後のメッセージ。


 メイクも前髪も髪型も服も、全て今日のためのもの。

 彼と、映画に行くためのもの……。


 鏡の前に立つたび、これでいいのかなと何度も問いかけてしまう。こんなに必死になる自分が、なんだか可笑しい。



 カフェの制服じゃない私を、彼は最初少し驚いた顔で見た。


 花柄のロングスカートに、カーディガン。カフェの時とは違う、下した髪。


 正直、メイクも服装も髪型も似合っているのかどうか不安だった。

 何度もスマホで「映画 おすすめ 服装」「男子 映画 服装」「可愛い 髪型」「メイク 可愛く」と検索した。恥ずかしくて、「彼氏」「デート」の文字は打てなかったし、検索予想に出てきてもタップ出来なかった。


 彼は「可愛いね、似合ってる」と穏やかに笑ってくれた。


 私は恥ずかしくて、嬉しくて、小さな声でお礼を言った。


 彼は、シンプルな黒色のパーカーにジーンズというカジュアルな服装をしていた。


 きっとゆきちゃんがいたら、「あのパーカーブランド品ですよ!」って興奮していたんだろうな。


 カジュアルでシンプルな服装でも、彼が着ると雑誌から飛び出してきたモデルのよう。


 こんな風に思うのは、きっと私だけじゃないよね。彼が、かっこいいから。誰だってそう思うはず。


 そうだよね。多分。


____


 二人で選んだ映画は、恋愛ものだった。

 他にも、同時刻にはホラーやアニメ映画もあったけど、この作品は結構人気で好評らしいという彼の一言で決まった。

 それに私自身、恋愛作品が好きだからとても嬉しかった。


 機械でのチケット購入も彼がやってくれた。

 綺麗な指が、パネルの上で踊る。

 私はただその様子を隣で見ていた。


 映画は、静かに始まり、切なくて、少し泣けるような作品。


 彼が買ってくれたポップコーンLサイズと飲み物が、私たちの間で静かに様子をうかがっている。


 映画の最中、ポップコーンを取りながら、隣にいる彼の横顔を何度か見た。


 彼は、感情をあまり表には出さない。

 主人公が失恋したシーン、近くの席の人は鼻水を啜っていたが、彼の表情は変わらなかった。


 物語よりも、その横顔ばかり追ってしまう自分に気づいて、恥ずかしくなる。


 でも、スクリーンをじっと見つめるその横顔が、とても綺麗だと思った。


____


 映画が終わってから、近くのカフェに入った。

 私はカフェオレ、彼はブレンドコーヒー。

 出来立ての湯気が、空気を漂う。

 

「好きな映画のジャンルって……ありますか?」


 私がそう聞くと、彼は少しだけ考えてから言った。


「実はね、恋愛もの、実はあんまり得意じゃないんだけど……千沙ちゃんが好きそうだったから、言ってみたんだ」


「えっ……私が?」


「うん。優しそうだし、そういう物語を大切にしそうだなって、思ってたから」


 少し不思議だった。


 私は恋愛系の作品が好き。でも、それを彼に言ったことがあったかな……。

 

 だけど、それを聞いて悪い気はしなかった。むしろ、ちゃんと見てくれてるんだって思った。



「じゃあ、今度はリクさんの好きなジャンル、一緒に観ましょう……」


 少し恥ずかしい。自分から、こういうことを言うの。

 初めて呼んだ彼の名前。恥ずかしくて、もう一生呼べないかも。


 彼は少しだけ目を見開いて、それから、笑った。

 

「……“リクさん”って、少し照れるな」


「えっ、じゃあ……なんて呼べば」


「リクでいいよ。呼び捨て、嬉しい」


 彼――リクはコーヒーを一口飲む。

 

 そしてリクは私の目をじっと見つめた。


「リク……」


 聞こえるか分からないくらい、小さな声で呼んだ名前。

 ほぼ独り言のようなのに、それでもリクは「ん? 何?」と、私の声を拾ってくれる。

 

 その視線が、どこか深くて、温かくて——でも、ほんの少しだけ、冷たさもあるように感じたのは、気のせいだったのか。


 

____


 その夜、私は眠る前にスマホを見た。


 リクから送られてきたメッセージは、丁寧で、やさしくて、言葉のひとつひとつに心がこもっていた。


《今日はありがとう。千沙ちゃんと過ごせて、本当に嬉しかった》


《次はいつ会えるかな。無理しないで、でも僕は会いたいと思ってる》

 

 嬉しかった。


 けれど、まだ性格も、好みも、そこまで話してないのに——どうしてこんなに、私のことを理解してるみたいに話せるんだろう。


 私は、少し胸の奥がざわつくのを感じながら、返信を打った。


《こちらこそ、ありがとうございました》


 お辞儀をしているウサギのスタンプを送りながらも、私は何度も入力して、消して、だけど勇気を出してもう一つメッセージを送った。


《私も、また会いたいです》


 

 



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