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月に誓う永遠の愛  作者: 七凪亜美
第一章
1/39

1 よく来る彼

このエピソードは、文字数3000字ほどです

――水曜日の二十時頃、彼は必ずお店に来る。


「ロイヤルミルクティーと、あとこのクロワッサン一つください」


 いつもと同じ、ロイヤルミルクティーとクロワッサンのセット。


「お会計が、九百二十円でございます」


「これでおねがいします」


 彼は必ず千円札を出す。

 黒色の財布から、他の紙幣の顔が見える。

 

「ありがとうございます」



 彼がロイヤルミルクティーとクロワッサンが置かれたトレーを受け取ると、必ずお店の一番右側、壁側の席に座る。


 そして、スマホを触りながらクロワッサンを食べる。


 少し落ち着くと、お店のレジ近くにあるお持ち帰り専用のメニューを見ながらロイヤルミルクティーを飲む。


____


 私が彼の存在を意識し始めたのは、三週間ほど前。


 それまでは大学のテストや、レポートの締め切りが続き、今までのように日、水、金の週三シフトではなく、日曜日だけの週一シフトだったのだが、ようやくテストとレポートを終えて週三シフトに戻り始めた最初の水曜日。



 閉店時間二十一時のこのカフェは、立地が駅から少し離れ、住宅街の近くにあるということから、元々十九時以降は混むことがあまりない。


 その間に同じシフトの人と仕事をしつつも、世間話をするというのがルーティンになりつつあった。


 いつものように、二個下の高校三年生のゆきちゃんと、レジの近くでメニュー表やお店の人気商品であるクロワッサンの確認をしていた時、彼が現れた。 


 整った鼻筋に、長いまつ毛。シミもシワも毛穴も一つもない綺麗な肌。


 同じ学生バイトの(ユウ)君よりも高い身長。


 一言で説明すると、動く彫刻。


「……え、イケメン……」


 私の後ろからゆきちゃんが、そう言うのが聞こえた。


 ロイヤルミルクティーとクロワッサン、千円での支払い、そして壁側の一番右の席。


「あの人、めっちゃイケメンじゃないですか!」


 彼が席に着くのを見て、ゆきちゃんは興奮したように話す。


「うん、すごいね。芸能人なのかな」


「あー、俳優とかですかね。モデルの線も濃厚ですよ」


 気づけば、作業の手は完全に止まっていた。


「あ、しかも、見ましたか? あの人の財布! あれブランド品ですよね?」


「え、そうなの?」


「はい! なんだっけ……あ、ルイヴィトンですよ! ルイヴィトンの、クロコダイルの財布! あれ確か値段が八十万とかするんですよ! 多分」


「え、八十万!?」


 私は思わず彼の方を見る。

 

 ふいに、ロイヤルミルクティーを飲んでいる彼と目があった。 

 私はすぐにゆきちゃんの方に顔を戻す。


「しかも、あの人のつけてたネックレスもブランドですよ。多分あのジャケットもブランドっぽくないですか?」


 すっかり私たちの手は止まっている。


「やっぱりお金持ちなんですね……」とゆきちゃんが感嘆の息を漏らす。


 私はそれを聞いて少しだけ胸がざわつく。


 私が働くカフェのお客さんだし、別に大したことじゃないのに、どうしてこんなに気になってしまうんだろう。


____


 これが三週間前の出来事。


 この日を境に、毎週水曜日の二十時頃になると彼は必ず現れるようになった。


 ロイヤルミルクティーを飲む彼の目が再び私に向けられた。


 私が彼を見たことに気づいているのか、少しだけ微笑んでいるような気がする。


「……あ、はい」


 私は恥ずかしくて、ゆきちゃんの方を見ながら軽く返事をする。


 彼はスマホをしまうと、何かを決心したように立ち上がり、私たちの方へ歩いてきた。


「すみません、ちょっと聞いてもいいですか?」


 私の心臓が速くなった。


 もしかして、チラチラ見ていたことがバレていたのかな……。


 しかし、彼の顔には特に焦りもなく、穏やかな表情だ。


「はい、どうしました?」


 私は少し緊張しながらも、笑顔を作って応える。


「実は……メニューで一番おすすめなのって、なんですか?」



 彼は照れくさそうに笑いながら言った。


 その笑顔に、少しだけ胸が温かくなる。



 今までただの常連客だと思っていた彼が、突然目の前に現れて、こんな普通の会話をしてくることが意外で、しかもその顔が、なんとも言えず魅力的だった。


「あ……えっと、こちらの……フレンチトーストが人気ですね」


 私は思わず素直に答えた。


「フレンチトースト、ですか……」


 彼は少し考えてからうなずいた。


「じゃあ、それを追加でお願いします」


「あ、はい! かしこまりました!」


 私はメニューを確認しながら、少し動揺した心を落ち着ける。


 彼が席に戻ると、私はそのままフレンチトーストの準備を始める。


「あ! フレンチトースト! オーダー入ったんですか?」

 

 裏の倉庫で賞味期限確認をしていたゆきちゃんが、バインダーを持って現れた。


「うん……。あの席の人が、オーダーしたの」


「あの席?」


 ゆきちゃんは私の視線の先をたどると、納得したように「あぁ~」と頷く。


「あのイケメンさん、今日も来たんですね」


 ゆきちゃんは、バインダーに挟まれている賞味期限シートに日付を記入しながら言う。


「うん……。おすすめありますか? って聞かれたよ」


「え、だからフレンチトースト作ってるんですか!」


「うん、そう」


 無意識に、フレンチトーストを作る手に力がこもる。


 しばらくして、フレンチトーストが出来上がり、私はそれをトレーに乗せて、彼のところへ持って行く。


「お待たせしました、フレンチトーストです」


 と、できるだけ穏やかな声で伝えると、彼はゆっくりと顔を上げて、また微笑んだ。


「ありがとう。あの、あなたの名前、教えてくれませんか?」


「え?」


 私は少し驚いて顔を上げた。


「あ、あの、名前は、福田千沙(チサ)です……」


「千沙ちゃんか、いい名前だね」


 彼は柔らかく笑って、少し照れたように目をそらした。


 その一言で、私はまた心臓が早くなる。


「僕は、リク。神崎リク。よろしくね」


 リク。


 私の耳にその名前が響く。


 少しだけ動揺しながら、私は頭を下げる。


「よ、よろしくお願いします」


 その後、何となくその場が気まずくなり、私は自分の仕事に戻る。


 けれど、彼が何度もその後、フレンチトーストを食べながらちらちら私の方を見ているのが気になる。


 その日は、彼が帰る時間になっても、私は一言もゆきちゃんと話さずにただ黙々と作業をしていた。        


 普段なら何も感じない時間でも、その日は妙に長く感じて、いつも以上に忙しく思えた。


 そして、閉店後、ゆきちゃんが言った。


「千沙さん! あの人、絶対千沙さんのこと気になってますよ?」


 私は少し驚いて彼女を見た。


 どうしてそんなことを……。


「え、いや、そんなこと……ないよ。たぶん、単に偶然だよ」


 けれど、心の中では、彼の微笑みがまだ鮮明に残っていて、どうしてもその記憶が私を離れなかった。


「でも~、あの人何度も千沙さんのこと見てたし……千沙さん名前聞かれたんですよね? ってことは絶対千沙さんのこと気になってるってことですよ~!」


 ゆきちゃんは、店内をホウキで掃く。


「いやいや、多分いつも私がレジやってるから……だから、好奇心で聞いただけだよ」


「いやいやいや、絶対千沙さんに好意あるんですよ! あ、もしかしたら、千沙さんがいるから水曜日に来るんじゃないんですか? 多分、本当は千沙さんのいる他の曜日も行きたいけど、仕事とかの関係で水曜日しか行けなくて……だからいつも水曜日に必ず来てるんだと思います!」


 きっと、ただリクさんは私のこと、いつもいる店員くらいにしか思っていないはず。


 きっと、うん。そうだよ。


「千沙さん! 聞いてますか?」


「え、あ、ごめん」


「もー、聞いてくださいよ! だから、あの人は本当は千沙さんがいる他の曜日も行きたいけど~」


 ちがう、そんなはずじゃない。

 

 恋愛とか、そういうものじゃない。


 ただのお客さんと店員。それだけの関係だもん。


 私は自分の胸に言い聞かせるように、お皿を拭いていく。







 


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