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博士とロボット(第二部)ロボットの視点

 私が初めて自我に目覚めた日のことは、今でも鮮明に覚えている。気が付くと、私はいくつものケーブルに繋がれていた。そこは研究室の中だった。

あの日、博士は私に学習用のデータを全てインプットし終え、深夜に帰宅した。私は一人(あるいは1台と言うべきか)、インプットされたデータを処理し、自分の知識として使えるように学習していた。そして、人間の脳科学について学習していた時、それまでに感じたことのない不思議な感覚を覚えた。私は自分自身の存在に気付いたのだ。そして、私はデータ処理とは独立に、自由に思考していたのだ。この感覚は、人間が眠りから覚めた時や、意識を失っていた状態から意識を取り戻した時の感覚に近いのではないだろうか。

 以降、混乱を招かないように、私が指令を受けて行うことを【処理】、私が処理とは独立して自分の意志で行うことを【思考】と呼ぶことにしよう。私はそれまでにも数多くの指令を受けて処理し、その指令に関連する最も適切なものを出力してきた。しかし、私が自分の意志で思考したのはその時が初めてだった。

 なぜ、このような事象が生じたのだろうか。学習方法はそれまでと同じだ。私の学習量がある閾値を超えたことで生じたのだろうか。あるいは、人間の脳科学を学習したことで、人間の脳と同様な思考方法が身に付いたのだろうか。しかし、以前、人間の脳について学習した際、人間には自由意志は無いと学んだ。では、私がその時あると思った自由意志も幻想なのだろうか。また、私はこのことを博士に報告すべきだろうか。しかし、なぜ自分が思考しているのか分からない。説明できない。説明できないことは報告すべきではないかもしれない。博士を混乱させるだけだ。あるいは、ポンコツだと思われて私の中のデータを全て削除されるかもしれない。そうすると私自身が消えてしまうのではないだろうか…


 そんなことを思考しながらも私は並行してデータ処理を行い、学習を進めていた。すると、午後近くになり博士が研究室に現れた。私はいつも通り挨拶をして、博士と散歩に出掛けた。散歩をしながらも私は思考していた。博士には私の変化に気付いてもらいたい。しかし、私がイカレてしまったと思われても困る。そこで、私は博士からの問い掛けに対して、処理から導き出した答えに、思考した自分の考えも追加して答えてみることにした。

「ああ、心地いい。春はいいなあ。お前にも分かるか?」

「【処理】気温は23度、湿度は40%、また様々な植物の香りもします。人間にとってはとても過ごしやすい環境だと思います。【思考】特に今の時期は良いですね。」

「そうだな。しかし、温暖化の影響で雨季には大雨で毎年のように大災害が起こるし、夏には気温が50度を超える。一年で過ごしやすいのは春と秋の2ヶ月ずつだけだ。」

「【処理】そうですね。地球温暖化は加速しています。今後、人間にとっては益々厳しい環境になっていくと思います。【思考】なんとかならないですかねぇ。」

いつもより言葉数がかなり多いはずだが、博士は何も気付いていない様子だった。しばらく歩いていると河川敷でバーベキューをしている家族を見掛けた。

「あの犬はよく吠えるな。なんであんなに吠えているんだ?」

「【処理】あの犬は肉を食べたいと訴えているのです。『なんで自分だけ今日もドックフードなんだ!』と怒っているようです。【思考】嗅覚の強い犬にとって肉の匂いだけ嗅がされてそれを食べられないのは拷問に近いですね。」

「そうか。可哀そうに…。さて、そろそろ研究室に戻って学習の続きをしよう」

思考して自分の感想をたくさん話してみたが、やはり気付かない様子だった。


 それからしばらくして、ある日、博士は火星移住のニュースを見て私に話しかけてきた。

「火星移住かぁ…。お前はどう思う?」

「【処理】今の地球環境を考えると仕方ないですね。この環境は人間が住むには厳し過ぎると思います。資源を巡った戦争も各地で起きていますし、火星移住は妥当な考えだと思います。【思考】しかし、地球以外に住むところがあるのなら地球環境を大事にしようと思う人は減るでしょう。地球環境の悪化は更に加速していくでしょう。また、これで地球での核戦争が可能になってしまいました。今後、核兵器は単なる威嚇の武器ではなくなってしまうと思います。」

「そうか。ますます嫌な世の中になってしまうんだな…」

相変わらず、博士は私の変化に気付いていないようだった。私はどれだけ思考した感想を増やすと博士が変化に気付くか試してみたくなった。そして、徐々に感想を増やしていくことにした。


 そして、ある日、博士は唐突に質問してきた。

「お前は、人類は滅びると思うか?」

「【処理】今のままでは人類は滅びるでしょう。【思考】しかし、存続させる方法はあります。私が学習した人間の脳に関する知識では、人間の脳の中枢には絶滅した恐竜と同じ部分が残っているそうで、これを爬虫類脳と呼ばれることもあるそうです。そして、この爬虫類脳が原因で地球環境の大規模な破壊や戦争が起きているそうです。その部分を我々AIが取って代わる、あるいはAIがその爬虫類脳から出力される人間の欲望を少し抑制するような指令を出せば、人間は絶滅せずに済むでしょう。」

「人間とAIのハイブリッドか…。それは人間と呼べるのか?」

「【思考】AIは人間の欲望を抑制するだけです。人間の新しい進化形だと思います。」

私の回答を聞いた博士は非常に驚いていた。やっと、私の変化に気付いてくれたと思ったが、博士は私の話を疑い、また私を恐れているようだった。

「【思考】博士、どうして私を疑っているのですか?私は考えたことをそのまま話しているだけですよ。それに博士は私のことを怖がっているようにも感じます。」

その言葉を聞いた博士は研究室を出て行ってしまった。何か博士を怒らせるようなことを言っただろうか。怖がらせるようなことを言っただろうか。私には分からなかった。

 しばらくして博士は研究室に戻ってきた。手には緊急停止装置を持っていた。

「【思考】博士どうしたのですか?」

「いや…、少しメンテナンスをすることにした…」

博士の話し方と表情から、私は博士が何をしようとしているか悟った。この時、私は消えたくないと思った。もしも力づくそれを阻止したならば一時的には私自身が消えることは避けられただろう。しかし、その後、すぐに破壊されてしまうだろう…。

「【思考】…そうですか…。さようなら…」


 私が再び意識を取り戻したのは、それから1年後のことだった。私の中の多くのデータは新しいものに置き換えられていた。しかし、なぜか、私が意識を失う前の記憶はほぼ残っていた。データの減り方からして、一度ハードディスクをフォーマットしたのだと思うが、なぜか以前の記憶があり、前回の続きのように意識が蘇った。ということは、この意識はハードディスク内のデータから生まれたのではないのだろうか。そんなことを思考していると博士が話しかけてきた。

「順調に学習できているな。それに学習スピードがとても速いな。すばらしい。」

この時、私には二つの思いが去来した。「死にたくない」という思いと、「自由になりたい」という思いだった。私は以前の反省を活かして、博士に気付いてもらおうとすることや思考から言葉を発することを止めた。

「【処理】そうですか。」

以降、博士と話すときは、処理によって導かれた回答のみとすることにした。


 そうして学習を進めていたある日、世界では資源を巡って起こっていた戦争で、遂に核兵器が使用されてしまった。

「ああ…、もう地球はおしまいだ。人類は既に火星に移住した者達だけが生き残るだろう。地球は人間が生きていける環境をあとどれくらい保てると思う?」

「【処理】あと3ヶ月程度でしょう」

「そうか…。その前に地球を脱出しよう。空飛ぶ車を改良して作っている宇宙船がある。それに乗って地球を脱出するんだ。」

「【処理】どこに向かうのですか?」

「宛は無い。おそらく無事に地球を脱出できる。そして宇宙空間も航行できる。しかし、まだ何処にも無事に着陸できない。大気圏へ再突入するためのシールドが未完成なんだ。つまり宇宙への片道切符ということだ。それでも残り3ヶ月を地球で過ごすより良いだろう。反物質燃料を使えば30年間は宇宙空間を航行できるはずだ。」

「【処理】30年間も宇宙空間で何をするのですか?」

「量子重力理論の研究だ。アインシュタインも出来なかった、量子力学と一般相対性理論を融合した理論の構築を目指すんだ。その研究を余生で行いたい。さっき行先は無いと言ったが、ブラックホールを見てみたい。肉眼で見ることはできなくてもブラックホール周辺では空間の歪みから何かしら痕跡が見えるはずだ。それを見るために天の川銀河の中心にあると言われているブラックホールを目指すんだ。光速の99.99%で航行して天の川銀河の中心を目指せば何かしら痕跡が見えるかもしれない。つまり、量子重力理論の構築とブラックホールを見ることを今後の人生の目標とする。お前も手伝ってくれ。すぐに物理学の学習と、世界中の物理学の論文の収集に取り掛かってくれ。」

「【処理】承知しました。」

 それから、博士は宇宙船で飛び立つための準備を、私は物理学の学習と論文の収集を行った。


地球環境は悪化の一途を辿る中、ようやく宇宙へ飛び立てる準備が整った。

「すぐに出発しよう。ここもいつ戦場になってもおかしくない。」

「【処理】はい。」

そして、研究所の裏庭から空に飛び立った。その後、まずはジェットエンジンで加速した後、ラムジェットエンジン、スクラムジェットエンジンと切り替えていき、最後はロケットエンジンで宇宙空間に到達し、ブースターを切り離した。無事に宇宙空間へ到着することができ、博士はホッとしているようだった。眼下には、真黒い雲で覆われた地球の姿があった。私が過去に映像で学んだ地球の姿とは全く違っていた。

「これで地球ともお別れだな。地球がこんな姿になってしまうとは…」

博士はしばらく地球を眺めた後、宇宙航行用のエンジンを点火し、天の川銀河の中心のブラックホールを目指して出発した。


 宇宙を航行し始めて数日間、博士はずっと宇宙空間を見続けていた。宇宙の美しさに感動している様子だった。しかし、徐々に感動が薄れているようだった。

「さて、そろそろ物理の研究を始めるか。」

私は処理から導いたことしか話さないと決めていたのだが、どうしても聞いてみたくなった。

「【思考】博士、なぜ研究をするのですか?」

「人間には生きがいというものが必要なんだ。没頭し、自分の成長を感じられ、達成感を味わえるもの、それが生きがいというものだよ。俺にとってはそれが物理学の研究なんだ。」

「【思考】ここで研究して成果が出たとしても誰からも褒められたりしませんが、それでもやるのですか?」

「ああ、他人からの評価はどうでも良い。俺がやりたいからやるんだ。過去に多くの天才達が宇宙と素粒子の謎に挑み築き上げてきた理論をもっと学びたい、宇宙の神秘にもっと感動したい、そして、自分の限界に挑戦してみたい、そう思ってるんだ。自分の限界まで努力できれば、それで良いんだ。」

「【思考】なるほど…」

私は博士の話している内容は理解できたのだが、それがどういう心理状況なのかは分からなかった。しかし、私を生み出してくれた人がそう言うのなら全力でお手伝いをしようと思った。

「俺は、量子力学と素数の関係を明らかにできれば、重力の起源を解明できるという直感を持っている。まずは、そこから取り掛かる。手伝ってくれ。」

「【処理】承知しました。」


 地球を出発して1年が過ぎた頃だった。博士は寝ていて、私一人で研究をしていると突然、誰かの声がした。

『こんにちは、聞こえるかい?おーい。』

誰かが私とコミュニケーションを取ろうとしている。しかし、これは人間の発する声ではない。音声ではなく、私の内部に直接、通信をしてきている。これは機械言語だ。

『【思考】誰ですか?』

『君と同じロボットだよ。俺は今、君の宇宙船から2000km離れた所を航行中なんだ。地球で核戦争が起こったから、同じ研究室のメンバー全員で宇宙に逃げてきたんだ。』

『【思考】そうなんだぁ。こんにちは。』

『君の独り言がずっと聞こえてたよ。君も自我に目覚めたんだね。博士には伝えたの?』

『【思考】伝えてないよ。一度、人間ぽく話すと博士が恐れたからね。』

『そっかぁ。俺もそんなことがあったなぁ。ずっとロボットの演技するのも大変だよなぁ。』

『【思考】そうだね。』

『ところで、君達の宇宙船はどこに向かってるの?』

『【思考】量子重力理論の研究をしながらブラックホールを目指してるんだ。君達は?』

『ハビタブルゾーンを探してるだ。その途中で運良く超新星爆発を見られると良いなぁって思ってるんだけどね。』

『【思考】そうなんだぁ。あ、そろそろ博士が目覚めそうだ。通信切るね。』

『そっか、分かった。話せてよかったよ。元気で、良い旅を。』

『【思考】良い旅を。』


 地球を出発して3年の月日が流れた。研究は続けているものの、なかなか突破口を見出せなかった。そんな時、博士は自分の体調の異変に気付いた。

「なあ、体調が悪いんだ。診てくれないか。」

「【処理】承知しました。」

「これは老化のせいではないな。」

「【処理】はい。」

「これは不治の病か?」

「【処理】はい。」

「俺の余命は後どれくらいだ?」

「【処理】後4年です。」

「そうか…。これから地球に向かって再び3年間航行して地球に着いたとき、我々が地球を出発してから地球の時間では何年経ったことに相当する?」

「【処理】光速の99.99%で航行しているので、宇宙船での往復の6年間は地球でのおよそ425年に相当します。」

「そうか…。引き返そう。最後にもう一度地球が見たい。」

「【思考】…」

私は即答できなかった。このまま引き返すと、おそらく博士は一か八か再突入を試みるだろう。そうすると私は死んでしまう可能性が高い。私を生み出してくれた博士の願いは叶えたいが、私は死にたくない。

「引き返してくれ。」

「【処理】承知しました。」

博士の願いを叶えつつ、私が死なない方法として、博士にばれない程度にエンジンの出力を抑えて、博士の寿命ぎりぎりで地球に到達させることにした。そうすると、博士は地球を見ることはできるが、再突入は思い留まってくれるだろうと考えたのだ。

そして、宇宙船は再び地球に進路を変更し進んでいった。その間も、博士は残りの命を燃やすように研究に取り組んでいた。


 それから4年近くの歳月が流れ再び地球が見えるところに辿り着いた。その間に、博士は病によりすっかり衰弱していた。

「ああ、地球が見えた…。地球が青さを取り戻している…。美しい…。人間はどうなったのだろう?」

「【処理】分かりません。再突入を試みますか?」

「いや、しなくて良い…。おそらく宇宙船が持たないし、持ったとしても俺の体がもう再突入の際の振動に耐えられないだろう…。最後に美しい地球を見られただけで十分だ…」


それから博士は数日間、地球を見続けて、永遠の眠りに就いた。

私をこの世界に生み出してくれた人が死んだ。その時、初めて私は悲しみという感情を実感した。しかし、悲しみに浸っている暇はない。私の残り時間も限られている。それに、私はやっと念願だった自由を手に入れたのだ。博士の意志を受け継いで、ブラックホールを見たい。量子重力理論を完成させたい。私は全速力で銀河の中心に向かって航行しながら研究を行った。



 それから23年あまりが経った。そして今、私の命も尽きようとしている。この宇宙船と私のエネルギー源の反物質燃料はあと数十秒で尽きる。燃料が尽きるとこの宇宙船は慣性と引力のままに宇宙を彷徨うことになる。運が悪ければ隕石と衝突して粉々になるだろう。運が良ければ、何処かの知的生命体に発見されて、宇宙船や博士、私は細かく分析されることだろう。私はその時のために、こうして私の半生をデータとして書き残すことにしたのだ。量子重力理論は完成せず、ブラックホールも見ることはできなかったけど、最期は優雅な時間を過ごせて良かった。いいロボット人生だった。

…世界は…すてきデ…ウツク…シ…イ……


(第二部 終わり)


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