タイムスリップの提案
ガチョウが羽を畳んで泳ぐ姿が、横から見た僕の鼻のシルエットとそっくりだと言って笑っていた。君がアラビア星座の一種になって姿を消したまま数千年が経過していた。今僕は電柱を登って降りる仕事をしている。正確には、依頼された辺り一帯の景色を写真に収める仕事だった。ただカメラは自動でシャッターを切るため、実質的に登って降りる仕事と化しているのだった。僕は星座に詳しくはないが、一年のうちに君が日本の空に来ていることはあるのだろうか。調べもしていないのは、僕が君のことをほとんど気にしなくなっていたからだった。これは言い訳というか、熱意とは冷めるから本物なのだ。少なくとも当時僕が君に対して本気だったことは、現在の状況が物語っているだろう。だからここの空へ来たなら暇つぶしにでも僕を見てみてくれ。晩酌。久しぶりに買った金宮がやたら甘く感じた。そんなものだ。
アルコールの回ったその手でも画像データは送れる。アルコールで手が真っ赤に膨れ上がってグローブみたいだ。こんな症状は見たことがない。遠いガラスの金属音。それが体内で鳴っている音だとすぐに分かる。酔うとすべてが分かった。認識できる範囲が狭まることの、唯一の利点はそこにある。手元で小さい羊たちが群れていた。牧羊犬は裸の僕だった。
オープンカーに乗って、他に一台もいない空っぽの直線道路をすっ飛ばしている。昔こんなスピードから車を飛び降りたことがある。体が飛び散るくらい転がって、高熱の道路で擦り傷や血まみれになった。スピードの出し過ぎでそんなフラッシュバックを起こしていた。フラッシュバックは数秒ずつ、このオープンカーの現実と入れ替わるように、段々と視界を浸食しだしていた。肌に触れる風があの時の回転の妄想を助長している。そのままスピードを緩めず、僕は現実とフラッシュバックの逆転現象を起こした。傷だらけでモウロウと起き上がれない僕は、頭の中の僕がオープンカーを乗り回している。僕はタイムスリップに成功していた。過去・現在間における現実感の譲渡、それによる独善的タイムスリップの提案。現実を捨てる新たな選択肢。電車の吊り下げ広告に書いてあった僕しか知らない方法だ。今夜夢から覚めた時に試そう。風呂場で溺死する前に試そう。朝が天敵だった。
明けない夜はないことほど、だ。それがいいか悪いかは各々に任せるとして、朝はマジでサイアクだった。昨夜の記憶、昨夜に引っ張り出してきた記憶で頭が散らかっている。この上ないほどに悪い状況だ。この上ないを繰り返したうえで、それでまだ生きているのだから案外大したものだとも思える。ポジティブというより屁理屈だった。
メールが5通との通知。その通知をみれば、僕はいままでの夢や妄想に諦めをつけざるを得なくなる。そんな意図があろうとなかろうと僕のペースに任せてくれる、ある意味一番優しい寄り添い方だった。