86,親切な女。
逃亡者はこそこそするものだ。
ということで、ここは逆説的に、堂々とすることにした。
肩で風を切りながら闘技場に向かうと、都市警察がぞろぞろと規制線を這っているのが見えた。
野次馬にまざって眺めていると、スゥが駆け寄ってくる。
「リッちゃん、捜したよー。はい、これ優勝トロフィー」
鈍器になるトロフィーを渡される。
「優勝おめでとう」
「ありがと。繁華街のすべての飲食店で使える食事券ももらったよ。ところでリッちゃん、聞いた? 闘技大会中に、男性がトイレで刺し殺されたんだって。容疑者は逃走中だって。怖いねー。どこにいるんだろうね」
「あ、それ、おれ」
「え、何が?」
「逃走中の容疑者」
「…………リッちゃん! 自首しよう。大丈夫だよ。きっと情状酌量してくれるよ」
「殺しているわけがないだろ。これはすべて罠だ。タイミングが作為的すぎた……仮にノーランが殺されたとして」
「え、殺されたのはノーランさんだったの?」
「いや、実はそれさえよく分からん。ギルマスから聞いたノーランの特徴と、殺された男は似ていた。だが、瓜二つの人物を使われただけかもしれない。とにかく『ノーランまたはノーランの替え玉』を使って、おれに殺人容疑をかけてきた」
「誰が?」
「うーん」
あのとき駆けつけた都市警察官にしても、おれが殺したと目撃証言していた男女のグループも、雇われに過ぎないだろうな。
真の黒幕は──はい、見当もつきません。
スゥが食事券を破いて、風に吹かせるままに捨てた。
「なにしているんだ、スゥ?」
「逃走中のリッちゃんは、レストランで食事なんてできないからね。わたし一人だけ、この無料食事券で美味しいものを食べることなんてできないよ。だからその意志表示で、涙を流しながら、食事券を破ったのだ!」
「おまえは優しいなぁ、スゥ。まぁ、たぶん優しいんだろうな。比較対象が、マイリーくらいしかいないが。マイリーとの比較だと、殺しにこない女は、全員天使に見えるが」
食事券のゴミが飛んでいった方向から、
「ゴミを捨てないでいただきたいのですが」
と、無機質な声音で注意される。
「ああぁ、申し訳ございません!」
スゥが慌てて、ゴミ拾いに駆けていく。
ところで──注意してきた女性。
年のころは20代前半。エメラルドグリーンの瞳の、氷のように冷たいのが目を引く、美麗な顔立ちの人。
じっと、こっちを見ているんだが。
「なにか?」
「冒険者のリクさまですね。ようこそ、歓楽都市ヴィグへ」
おれを知っているのか。
まぁ、この程度のサプライズでは、とくに驚くこともなくなったが。
いきなり殺しにくる奴に慣れているもので──マイリーとか、初期のルテフニアとか。
「そうだが、あなたは?」
「申し遅れました、私は鴎騎士のものです」
鴎騎士団か。
その名称は、古くからの名残に過ぎない。いまはデゾンの冒険者ギルド的な立ち位置にある。都市警察や都市軍よりも上位にある。
──と、パンフレットに書いてあった。
「殺しはしてないよ」
「存じております。不運なことでした、リクさま。スゥさまも」
まだゴミ拾いに苦労している──風が強いので──スゥを見やる。
「あいつは自業自得だから。ところで、なぜおれとスゥのことを知っているのか、聞いても?」
イライアスが密告したにしては早すぎるしな。
「この程度の情報を把握できないようでは、この歓楽都市を守ることなどはできないでしょう」
「なるほど」
答えになってないけどな。
「もうひとつ尋ねても? 殺された男は、ノーランという人では?」
「はい。ノーランさまを殺害したのは、〈愉悦論の会〉の者たちでしょう」
向こうから容疑者まで提示してくれるとは。
この親切、どこまで信用していいものでしょうか?
ところでやっとスゥがゴミを拾い集めてきた。




