10. 「おまたせしましたリーダー。待ちましたか?」
「あぁティアさん、いやそんなに待ってないよ」
「と、言いながら本当は今日のお出かけが楽しみで、昨日の夜からずっとここで待っていたのですよね」
「え? いや、普通に寝てたよ……というか俺たち同じ宿だし、さっき会ったよね? それに、ティアさんが先に行ってここで待っていて欲しいって言うからここに居たんだけど……」
「照れる必要はありません。大丈夫ですよ、私もですから」
「照れるとかでは…………え? “私も”ってティアさん、もしかしてずっとこの辺に居たの? 昨日の夜から?」
「安心して下さい。リーダーが起きた時、一度宿に戻りました」
「それでさっき宿で会ったの!? うわ、本当だちょっとクマも出来てるよ!?」
「む、それはいけませんね。…………はい、これでどうでしょう」
「わっすご、消えた…………じゃなくて! 何してたのさ? 体は平気なの? あんまり眠たかったら別の日にする?」
「何を言ってるんですか、まだ槍は降ってませんよ」
「槍降るのが中止の基準って訳じゃないからね」
「一晩の徹夜など全く問題ではありません。昨日はバッチリ快眠でした。全速前進です。早速新しい武器を見に行きましょう」
「ティアさん本当に大丈夫?」
二人はそのまま会話を続けながら街の中を歩き出した。
暫く歩いていると男は周りからの視線を感じる様になった。しかし、直ぐにその殆どが自分ではなく隣を歩くティアに向けられていることに気付いた。
元々が容姿端麗であるティアであったが、今日はそれに加えて、身体のラインを出しつつも過度な露出を抑えた上品な雰囲気の服装を着こなしており、一見すると王都にいるような貴族令嬢がお忍びで冒険者の街に来ているようにも見える。
いつもより幾分も魅力的に感じる格好は荒くれ者の多く集まるこの街に似つかわしくなく、周囲からは注目を集めていた。中には瞳に浮かんだ劣情を隠そうともせず堂々と下卑た視線を向ける者もいる。
「……ティアさん、今から行くのって武器屋で合ってるよね?」
「はい、そのつもりですが。どうかしましたか?」
「いや……その、ティアさん服の雰囲気とかいつもと違うから……」
「あぁこの服ですか。これは昨日、知り合いの仕立て屋から既製品を買い取ったものです」
「そうなんだ、凄く似合ってるよ。その、武器屋に行く格好ではないと思うけど……」
「ありがとうございます。そう言って貰えるとわざわざ足を運んだ甲斐がありました」
「いつものローブも良いけどその服も特別感があって良いね。気合いが入ってるっていうか」
「それはまぁ、デートですので」
「そうだ…………えっ?」
「デートですので」
「……」
「……」
男は咄嗟にティアから顔を逸らし、周囲の景色を眺める。そのままティアを視界に入れないように歩いていると、周囲の視線が気にならなくなる程、重たい圧力を隣から感じる。
「リーダー、これは、デートで―――」
「よぉそこの嬢ちゃん。お貴族様がこの街に何の用だい? お忍びってんなら俺と遊んでいってくれよ」
一句一句にじり寄るようにリーダーに迫っていたティアの言葉を遮って、巨大な斧を背負った人相の悪い大柄な男が話しかけてきた。
隣に男が居ることを気にした様子など一切なく、ニヤニヤした表情のままティアの全身を値踏みするように頭からつま先までジロジロと見る。
「なぁ、いいだろ? いい思いさせてやるからよぉ」
「……チッ、虫が」
会話を中断させられる形になったティアが舌打ちした。
大男には聞こえなかったのか、声も上げず、逃げようともしないティアを見て気分を良くして言葉を続ける。
「俺ぁ、巨斧のガンズってんだ。この辺りじゃちったぁ名の知れた冒険者なんだぜ?」
「……」
「んん、どうした? 緊張してんのかい? 安心しろって、俺に任せときゃ直ぐに天国へ連れてってやるさ」
「…………はぁ、潰すか」
そう小さく溢して、腰の杖に手をかける。億劫そうなその表情からは確かな殺意が見え隠れしていた。
「ちょっと待った。なあ、あんた」
ティアが杖を取り出す前にリーダーの男がティアを庇うようにガンズと名乗った大男の前に立ち塞がった。
自身を守るようにしてリーダーの男が出てきた事にティアは驚愕したように目を見開き、胸を押さえて身体を硬直させた。
ガンズは突然現れたよく分からない男に面白くない表情を浮かべながら口を開く。
「あん、何だテメェ?」
「俺はこの子の……あー、連れだよ。それで、俺たちは今から用事があるんだ。だから声を掛けるのはまた別の機会にしてくれないか?」
「はっ何言ってやがんだ? ふざけんじゃねぇよ!」
「悪いな、お願いじゃないんだ。今回は諦めてくれ」
そう言ってリーダーの男は一方的に会話を止め振り返る。そして固まっているティアに手を差し伸べた。
「ほら、ティアさん。早く行こう」
そうして差し伸ばされたその手は、誰に触れる事なく空を切る。
ティアは男の手を物凄い勢いで後方へ躱して、大袈裟なまでに距離を取っていた。
「気安く触らないでください。服が汚れるので」
「え」
返ってきた言葉に呆然とするリーダーの男に対して、警戒したように距離を保ったままティアが続ける。
「いや……恐らく今触れられたら服が汚れる程度では済まないでしょう。全身から体液が吹き出して脱水症状に陥り、最終的には爆発四散するかもしれません」
ティアは腰を落としまるで戦闘前のような緊張感で言いのける。その言葉は、とても冗談で言っているようには感じない。
突然のティアの拒絶を受け、銅像のように硬直したリーダーの男の身体に、ピシリと音を立てながら亀裂が走った。
その光景を見ていたガンズが歓喜の声を上げる。
「…………ぶっ、ぶはははははははは!! なんだお前、連れとか言ってクソ程嫌われてんじゃねぇか! はっ、とんだピエロ野郎だぜ! お前はお呼びじゃねぇんだとよ!」
勝ち誇ったような笑うガンズは、再度ティアの方へ視線を送ると上機嫌に語りかける。
「嬢ちゃんの方は良く分かってるじゃねぇか。そんなクソみてぇな男は放って置いて俺といいことしようぜぇ!」
「あ?」
「へへ……ほぉら、こっちに――――――ぐああああああああ」
ティアの姿が消えたかと思うと、次の瞬間フルスイングで振り抜かれた杖がガンズの顔面に直撃した。ガンズはきりもみ回転しながら地面を何度もバウンドしつつ、勢いを失わないまま壁に激突して、上半身を壁の中にめり込ませた。
「おい虫、今私のリーダーのことをクソと言ったか? なぁ、あんまり目障りだと潰すぞ」
額に青筋を浮かべ、手には血がこびりついた杖を持ったティアが壁に埋まったガンズに向かって無表情で言う。
その後は直ぐに興味を失ったように視線を外し、ティアは未だ手を差し伸ばしたままの男の方へ向き直した。
「はぁ……やはり街中では害虫がよく湧きますね。リーダー、武器屋は外れの方あるので早く向かいましょう」
「…………え? あ、うん。そ、そうだね」
ティアに声を掛けられ、瞳に光が戻った男がティアのいる方へ歩き出す。
しかしティアは男が近付いた分だけ離れていき、男とは常に一定の距離を保ったまま移動する。
「あ、あれ?」
「リーダー、武器屋はこっちですよ。あっそれ以上は近付かないでください」
ティアはそう言うと、武器屋とは反対方向にてくてくと歩き出し、男の周りを大回りで半周して後方3mの辺りに陣取った。
「えっと……」
「どうしました?」
「いや……なんか、距離が……」
「このぐらい離れていれば平気ですので」
「へ、へぇ……そうなんだ……」
「はい。ですが、先ほどのような行動は控えてもらえると助かります。褒めて頂いた服を駄目にしたあげく、早々に宿へ戻ることになるので」
「そ、それは、良くないよね……」
「ええ、リーダーの新しい武器は必ず見に行きたいですし」
二人がとても同行人には見えない距離感で話を続ける中、男は先程から気にしている事を恐る恐る質問した。
「ティアさんは、その……やっぱり、俺に触られるのとか、そんなに嫌だった……?」
「はい」
大きく綺麗な瞳で真っ直ぐと男を見据えてハッキリと返事をする。
「ぁ…………はぃ……あの、今後は気を付けます……」
男は消え入りそうな細い声で何とか答えたのち、若干膝を震わせながら、ヨロヨロと歩き出した。