献誌4
恐怖は人を狂わせるって、よく言ったものだけれど、僕は今日、身をもってそれを実感した。実感して、体現してしまった。
というのも、僕は単に存在証明をしたかっただけなのだが、よりにもよって僕は、家族を頼ってしまったのだ。
存在証明なんて、大仰な響きだが大して難しくもない。そこら辺にいる善良な一般市民に、適当に話しかけてみればそれで済むのだ(反応が返ってくれば僕は存在している)。
けれど、どこまでもどうしようもない僕は最低、最悪な方法をとってしまった。
陽が沈んで、夕飯時に僕は帰宅した。
玄関に入ってすぐ右の扉がリビングと廊下を隔てている。向こう側から賑やかな音が漏れてきた。
どうやら父と母、それから優秀な弟が三人揃って夕飯を楽しんでいるようだった。
僕は扉を開けて、かなり久々に家族の顔を拝んだ。
と言っても、いつも通り、僕がいようが、この三人は僕をいないものとして扱う。まるで、初めから三人家族であるかのように振る舞う。学校の奴らと同じように。
ただ、いくらなんでも僕から話しかければ、反応くらいはあるだろう。別に返事を期待しているわけではなく、たとえば冷ややかな視線を送ってくるとか、それくらいでいい。何かしらの反応が欲しかった。僕が存在している根拠が欲しかった。
『ねえ。僕の分の夕飯、ある?』
もちろんないに決まっている。いないものとして扱うのだから、夕飯も三人分しか用意されていない。
『余ってるのとかでいいんだけどさ』
僕がそう問いかけても、三人はマイペースに食事をしながら談笑していた。
『あのさ、僕のことを無視するのはもちろん構わないし、いないものとして扱うのも結構、勝手にやってくれって感じなのだけれど。ちょっとでいいから僕の方を見てくれないかな?』
「「「(談笑)」」」
もちろん、見向きもしない。
『ねえってば! こっち見てよ!』
見るわけない。
『僕も家族だろ⁉ 少しでもそう思ってるなら反応しろって!!』
しない。
『……』
「「「(談笑)」」」
楽しそうだなぁ、と思った。
やっぱり、僕がいない方がこの家族は幸せなのだ。元から三人で、僕なんていない。いないからこそ、笑いが絶えず、互いに互いを支え合っている。――いいじゃないか。それこそ、理想な家族だ。
僕なんかが入ってはダメだ。崩れてしまう。理想が、瓦解してしまう。
じゃあ僕の居場所は、一体どこにあるんだろう。
家でも学校でも無視されて、いないものとして扱われている僕は、一体どこにいればいい?
こんな言い方をすると、まるで僕が被害者のようだけれど、実のところはただの自業自得なのだ。
健全な人間関係は、互いに対等であることが条件である。
では対等とは、何をもって対等とするか。様々な基準があるとは思うけど、一つは『互いに与え、与えられる』かどうかだ。
持ちつ持たれつ、って感じ。
対等な人間関係を築くためには、人に何かを与えることができなければならない。それが前提条件なのだ。
つまり、僕みたいな、人に何も与えることができない人間は、ダメだ。――居場所なんて、どこにもあるわけない。
いや、一つだけあった。
彼女と過ごしている場所が、僕の居場所だった。
もちろん、僕から彼女には何も与えることができていないから、対等な関係ではないけど、それでも彼女は僕の隣にいてくれた。――僕は彼女から居場所をもらった。
思えば、彼女からは『もらって』ばかりだった。クズでアホな僕は、居場所をもらって、話してもらって、漫画を貸してもらって、もらって、もらって、もらって……。
そして一番もらったのは、優しさだった。――無視されて初めて気がついた。僕は彼女の優しさに随分と救われていたのだ。
家族にさえ無視されている僕を、彼女だけが認知してくれて、一緒にいてくれた。――たったそれだけが、僕をこうして生かしているのかもしれない(かなり大袈裟かもしれないが)。
たぶんだけど、彼女が僕を無視しているのは、人に何も与えることができない僕に、もらってばかりの僕に、自分の愚かさを思い知ってほしいのかもしれない。
思い知って、改めてほしいのかもしれない。――これも彼女の優しさだ。僕はまた、もらってしまった。
もちろん、これは僕の勝手な解釈で、彼女にそんなつもりはなく、単に僕のことを嫌いになって無視をしているのかもしれない。むしろ、そっちの可能性の方が高い。
でも、どっちでもいい。
今後、彼女が口を聞いてくれるのか分からないけど、それでも、僕は彼女に何かをあげたいと思う。
今まで彼女からもらった分を、少しずつ返していけたらと思う。もちろん、感謝を添えて。――もらい過ぎていて、返し切れるか分からないけど。
もらってばかりは、もうやめよう。明日からは、与えることができる人になるんだ。――たとえ彼女が、僕を拒絶しようとも。