第3話 ファティとの出会い
あっという間にパーティーの時間が来た。アメリカ時代のマナーに従い七時を五分ほど過ぎたあたりにコリン家に辿りついた。手土産には無難に赤ワインにした。先輩のお宅はテヘランでよく見られるクリーム色の壁。広さとしてはオーソドックスなアメリカの家と同じく、六LDKほどと見受けられる。
室内はすでに大盛況となっており、三十人くらいの人たちがすでに集まっていた。おのおの楽しそうに談笑しており、コリン先輩は五人くらいのグループの真ん中に立っていた。先輩は俺に気づくと、
「おっ。主役がお出ましだ。ジョンこっちこっち」
華やかなグループの方へ足を向けると肩をバンバンと叩かれつつコリンさんの隣に立たされ、
「みんな。こいつは今月から駐イランアメリカ大使館に配属されたやつだ。見ての通り真面目なやつなんで、ぜひ可愛がってやってくれ」
ようこそ! 若いな! ヒューヒュー! 楽しんでいけよ! 温かな声援を方々から飛んできた。俺はお一人お一人に対して頭を下げた。
「よーし、んじゃ乾杯!」
周囲の人も手にグラスを各々持ち、「かーんぱーい」と唱和され、宴が始まった。久しぶりに参加したが、いいもんだな。
以降、俺は先輩に連れられて挨拶回りをした。男の人に女の人、アメリカ人にイラン人、コリンさんと同年代の方や七つくらい歳が離れている人と多彩な人が集まっていた。みなさん好意的なムードで俺を迎え入れてくれた。その度に俺はペコペコと頭を下げた。
最後に向かったのが、部屋の隅で談笑していた二人組の女性。両者ともイラン人で片方は黒髪を長く伸ばした可愛い顔立ちをしている方、もう片方は栗色ショートヘアをした切長の目の人だ。遠くから見ても彼女らは浮かび上がるほどの光を発していた。
そう、この出会いが今後四十年の人生において大きな羅針盤をとなろうとは、この時は想像だにしていなかった。
先輩は今まで以上に顔をにやけさせた。服の皺を伸ばしつつ、軽く髪を整えた。そして可愛らしい子の方に向かって大仰に手を広げ、
「ミナちゃーん、逢いたかったよー」
他の人と話しているときよりも一オクターブくらい高い声を上げた。分かりやすいなおい。先方も先輩に気づいたのか、俺たちの方に顔を向けて、限界まで手を広げた。
「あたしもよーん。さみしかったー」
大根役者を思わせる震え声を発して、先輩を抱きしめた。なにこの茶番。
「ねえコリン、聞いてよー。うちの教授ひどいのよー。ラク単って評判なのに単位くれなかったのよー。ちょっと授業欠席しただけなのにー」
原因わかってんじゃねえかよ。ちゃんと出席しろよ。
「ひどいねーそれ。でも大丈夫だよ。俺も昔よく単位を落としたからさあ。最後に卒業できればいいんだよ」
さらりと衝撃的な発言をされた。あんた国務省の職員だよな。いい大学出てるんよな。一応、外交官ってのは世間様にはエリート系な人だと思われているので、その発言は正直どうよ。
頭のネジが何本か緩んでいる人たちの会話に呆れていると、ミナちゃんさんのお連れさんも同様の感想を抱いていたのか、摂氏零度の目で見つめていた。ふと彼女も俺の方に気づいたのかアイコンタクトをぶつけ、
(あなたも大変ね)
と肩をかたをすくめた。こちらも同じジェスチャーを返し、
(お互い様だな)
の意を示した。急速にショートヘアの子に親近感を抱き始めたところ、おバカコンビが騒ぎ始め、
「よーし、ミナちゃん! ピアノの時間だ」
「おっけー! がんばっちゃうわよー」
きゃっきゃウフフいいながら入口近くのピアノの方に歩いてった。って、いや、あの。先輩。ここに一人置いてかれても困るのですが……。という心の声なんかもちろん届くはずもない。
「はあ」
周りに聞こえない程度のため息を吐くと、テーブルに置いてあるクラッカーをつまみに、ちびちびとワインを飲んでいた。学生時代の経験から、手持ち無沙汰になったら置いてあるつまみを食べるようにしている。それが一番効率的な過ごし方だ。
「それじゃ、ミナちゃんが一曲披露します!!」
先輩がハイテンションでぶち上げ、会場の人も「いえーい」とノリのいい声援を送っていた。演奏者も上機嫌に、
「弾いちゃうよ! 決してあたしに惚れないでネ☆」
ほざいていた。男どもはひゅうひゅうと囃し立て、完全な内輪の雰囲気が出ていた。マジで学生のノリだな、こりゃ。まったく期待しないで二人を眺めていると、
♪ー♪ー♪ー
♪ー♪ー♪ー
♪ー♪ー♪ー
パッパラパーな言動とは裏腹に非常に洗練されたメロディが流れた。やわらかい、けれど芯が固まっている旋律だ。相当長く演奏してきたのだろう。何より彼女が弾いている曲が懐かしさとどこか寂しさを思い起こさせる。
ビートルズの『ハローグッバイ』。学生時代に何度も何度も聴いた曲だった。気づいたら引きずられるように口ずさんでいた。ボリューム的に気づく人はいないと思っていたが、
「きれいな声されていますね」
突然話しかけられてびっくりした。声の主の方を見ると俺と同様に放置されていた女の子だった。
「いや、エキセントリックな方と思っていると意外と演奏が上手で。ついつい引きずられてしまいました」
さりげなく失礼なことを言ってしまったなと内心反省していると、
「そうですよね。彼女ってアホっぽいのにピアノはすごいまともですよね」
ご友人は堂々と失礼なことを口にしていた。正直すぎる感想にタジタジしていると、
「ジョンさんは何か音楽活動とかされているんですか? なんか慣れた歌い方だなと思いまして」
「ええ。大学生時代にバンドをやっていて、そこでボーカルを担当していました。ええっと」
そう言えばこの子の名前なんていうんだっけ。確かまだ挨拶していなかったよな。念のため脳内を探索していると、
「すみません。わたしはファーティマっていいます。ご挨拶が遅れました」
「いいえ、大丈夫です。紹介しなければならない人がピアノに向かって飛んでっちゃいましたから」
俺の言い方がツボにハマったのか、ファーティマさんはクスクスと控えめな笑みを浮かべた。
「それで、学生時代にはどんな曲を演奏されていたんですか?」
「ちょっと前に流行ったアメリカやイギリスのロックをカバーしてました。ボブ・ディランとかローリング・ストーンズとか。あとは……」
ピアノを演奏しているミナさんをチラッと見て、
「ビートルズとか」
今更ながらミーハーっぽい選曲だなと思ってると、
「あー、やっぱり。六十年代って良いですよね。わたしたちもエアロスミスとかレッド・ツェッペリンのような最近の人たちのも弾くんですけど、ついついオールディーズを選びがちなんですよ。なんでしょう。どこか親しみやすさがあるんですよね、あの年代」
おお、こんな異国に同志が現れた! 調子に乗って尋ねてみた。
「へえ。ファーティマさんもバンドやるんですね」
「そうなんですよ。わたしとミナも大学でバンドやってて。彼女がピアノで、わたしがベース。自分で言うのもなんですけど、結構いけてますよ」
自信あふれる物言いをされていた。相方の演奏を見るからに、相応の音楽を奏でられるのだろう。
「是非きいてみたいですね。どこの大学に通っているんですか?」
イランの大学とか全然知らないので、あくまで社交辞令で聞いてみると、
「テヘラン大学です」
何でもないようにさらっと口にした。めちゃくちゃエリート校やん。すげーやん。ていうかミナちゃんさん見かけで判断してましたごめんなさい。
「あ、よかったらチラシあげましょうか? 今度キャンパスでライブするんですよ。平日ですけど」
そう言って一枚のチラシを手渡された。タイトルや会場が記されている。肝心の開始時間をみてみると、
「確かに勤め人には少し厳しいですね……。なんかの拍子で時間とれたら見に行きます」
取ってつけた返事に聞こえたかなと心配していると、
「はーい。お待ちしてます。会えるのを楽しみにしています」
ニッと混じり気のない笑みを浮かべた。その顔を見て、急速に学生時代の身軽さに戻りたくなった。あの頃だったら授業なんか簡単にサボれるのになと残念がっていると、
「おいおい。なに早くも色気づいちゃってんだよ。お前には十年早えよ」
「もう。ファティ、なに二人だけの世界に浸っているのよ。あたしのこともちょっとは見てよ!」
いつのまにかピアノの演奏は終わっており、ほろ酔い状態になっている二人に絡まれていた。色気付いて二人だけの世界に入っていたテメエらに言われる筋合いねえよ。
もちろん俺は模範的な国家公務員である。反抗的な内心はおくびにも出さず、ははあとペコペコしていた。
「よーし、ジョン。次はあの島に突撃だあ。どんどん顔を売るぞー。さっき放置しちまったから、この後は最後まで面倒見るぞー!」
引き摺られるように、先輩の後をついていく。ああ、あの子ともうちょっと話したかったのに。邪魔しやがってこの野郎。無情にも離されながら、次に会える方法はないかと願っていた。