第14話 ペルシャ絨毯
続いて俺らはイマーム広場の北側に移動した。ここではバザールが広がっており、多くの人が買い物を行っていた。テヘランのバザールとは異なり、イスファハーンでは観光者向けの色合いが強く出ていた。
「おお」
特にペルシャ絨毯がよく目につき、場所によっては作成のデモンストレーションをしていた。伝統的な風景と相まって、一際光沢感を放っているように見える。シックな色合いから華やかな柄など多彩なものがあり、それがまたバザールの活気を作り出していた。
「ジョン、オメーも一個どうだ?」
反応に困る無茶振りをしてきた。どう返答しようか考えていると、
「おう、にいちゃん。買ってくれんのかい? 寄っといでや寄っといでや」
バザールのおっちゃんも楽しそうにノってきた。ったく。面倒くさいことになっちまったなあ。
「ほ、ほら。まだ俺は若造ですし。給料もそこまで高くないですし……」
定番の「金がない」という言い訳を口にした。するとお二方とも大丈夫大丈夫とうなずき、
「ああ。それなら安心しろ。ペルシャ絨毯は全部が全部高級品なわけではないし。普通の人たちが買える手頃なものもあるぞ」
と、ホスローさん。
「そうじゃそうじゃ。にいちゃんに合うやつを選ぶで」
と、バザールのおっちゃん。二人に攻めて立てられると無碍には出来ず、
「しょうがないですね……」
渋々話を聞く姿勢をとることに。おっちゃんはよくぞ来たとますます上機嫌になり、
「おすすめはこれじゃな。オーソドックスなデザインをしており、ここ最近作られたものだからアンティークではない。そしてシルクでできているため、価格もかさばらない」
手に取りながら一つひとつ丁寧に説明してくれている。改めて聞くと良くも悪くも定型品のように見え、自分でも手の届くように気になってきた。
「なるほど。で、お値段は?」
一番気になることを口にした。先方はそうじゃのと少し考える仕草を見せ、
「お主の国で言うところの千ドルじゃ」
「高いわ!」
俺の一月分の給料よりも多いじゃねえかよ。あっという間に貯金がなくなるわ。たかが旅行でんな額を飛ばせるか。
「ちぇっ。ケチ。減るもんじゃねえし」
減るわ。
「ったく。小せえ野郎だなあ。男気見せろよ。じいさん悪かったな、後で叱っとくから堪忍してくれ」
ばーい、と手に振りながら絨毯ショップを後にした。バザールの人混みをすり抜けながら、
「まあ、気にするな。観光地では日常茶飯事の光景だからさ」
あはは笑いながら口にした。先に巻き込んだのはあなたでしょうがな。心の中でブツブツ文句を言いつつも、カラッと笑っているホスローさんから毒気を抜かれていた。……なんか、コリン先輩に似ているな。話すと調子狂うところが特に。
「さて次は……」
せっかくだからと観光ブックを片手にバッグを吊り下げると、
ーードン
誰かにぶつかられた。一瞬むっとするも人混みだからしゃあないかなと思った。その直後、やけに手が軽い感触があった。腕の方を見てみると、
「げっ!」
バッグがなくなっていた。バザールの奥に目を向けると小さな男の子が俺のバッグを持って走っていた。
「んにゃろ!」
学生時代以来の全力疾走で追いかけた。日頃の運動不足により、すぐに心臓がバクバクなって血が沸騰し始めた。それでもそこは子どもと大人の体力差。あっという間に距離が縮まり、
「つかまえた!」
こそ泥の首根っこを押さえて持ち上げた。すぐに大人しくなるわけはなく、
「くそっ! 離せ!」
ジタバタするも空を切るばかり。顔を真っ赤にするも何もできず。
「これから警察に突き出すから覚悟しておけよ」
顔を真っ赤にさせて「クッソー、ふざけんな」と喚いているも無視無視。さてどうやって通報するか。警察署はどこにあったっけと思い巡らしていると、
「ジョン、わりい。こいつを離してやってくれねえか」
は? 離すって。
「この子、泥棒したんですよ? 確かに何も盗まれてませんけど、法に反したらルールに則り判断するのが筋でしょうに」
特に自分達は公僕だ。なおさらキッチリとケジメをつけないといけないのでは。
「まあ、そうなんだがなあ。一方でメンツとかもあるだろ。お世話になっている人の顔を立てるとかさ。万国共通と思ってるが違うかな」
確かに普段仕事をさせてもらっている人から頼まれると難しい部分がある。
「ほら、今日イスファハーンを案内してやったろ。そいつのお返しだと思って見逃してくれ」
そこまで言われると無碍にできない。渋々ながらも手を緩めて少年を解放した。自由になった途端に彼は脱兎の如く走り出した。すると、
「ちょっと待て!!」
ホスローさんからピリッとした声が響いた。少年はビクッと肩を震わして、思わず立ち止まった。
「この人に対して謝罪するのが先決だろ! 黙って逃げんのは違うだろ!」
先ほどの温和な雰囲気から打って変わって厳格な表情が窺えた。男の子はしゅんとした表情をしつつ、ゆっくりとだが俺のところに戻ってきて、
「……ごめんなさい」
と、頭を下げた。その姿に俺の方が狼狽えつつも、
「……今回はホスローさんの顔を立てて大目に見る、次は許さないから。もう泥棒はするなよ」
少年はコクッとうなずいた。ホスローさんはいつものやわらかな顔に戻り、
「よっし。オッケー。なあ。アッラーは全てをご存じだが、お前さんもあえてアッラーを裏切るようなことはすんなよ」
また、コクッと男の子は頭を下げた。ホスローさんはニッと笑って、それから何枚か小銭を取って、
「ほい。こいつでなんかお菓子でも食ってけや」
勢いで手渡した。少年はまんまるく目を開いた後、
「……あ、ありがとう」
ぼそぼそと呟き、また急いでかけていった。今度はホスローさんは男の子を止めなかった。見えなくなるまで彼を見届けると、
「……悪かったな。しゃしゃり出てさ」
「い、いえ。ホスローさんが正しいと思います。法律で罰するよりも人として叱るほうが彼の将来のためになるかもしれませんし。……けっこう人情味あるんですね」
「はは。意外だろ?」
どう反応していいのかわからなかったので黙っていると、
「貧困というのは政策の失敗というか、政府の力が及んでいないという面もあるからな。官僚の一人として罪悪感があるからかもな」
飄々とした顔で嘯いていた。
「……あなたは外務省の職員ですので、責任を負う範疇ではないです。それに今のイランの外交はおおむねトラブルがなく、経済の阻害にはなっていないはずです」
思った意見をそのまま口にすると、
「ああ、まあ。そうだなあ。うちも色々とあるがなあ」
それから二、三秒また逡巡した後、
「おい、ジョン。まだ時間あるか? 観光じゃないけど少し見てもらいたいもんがある」
じっと俺の目を見据えながら話してきた。意図を測りかねたが、
「はい、大丈夫です。今日はひたすらイスファハーンを回るだけなので。追加で一箇所増えるぐらい問題ないです」
素直に従うことにした。これにより当初の目的からは大幅にズレた旅になった。