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ペルシャの友人  作者: 永岡萌
第3章 1977年 イスファハーン
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第13話 イスラーム勉強

 一言で芸術と言っても様々なジャンルがある。透き通った歌声や深淵なる言葉、華麗なるダンスや色鮮やかな絵画など。それぞれに好みがあり、それぞれに良さがある。うち一つに建築も人目を引く芸術である。現に俺も目の前の建造物に対して、


「はうぇあー」


 と圧倒されている。隅々まで張り巡らされた緻密な模様。金色をベースにした豪華な色彩。幻惑さを醸し出すペルシャ文字。文化に疎い俺でも一級芸術というのことは肌で理解できる。


 いま俺たちはシャイフ・ルトゥフッラー・モスクにいる。イマーム広場の東側にあるモスクで、通称「王のモスク」と呼ばれる。十六世紀の初めに造られた、文字通り王のプライベートモスクである。贅を尽くされた作りとなっており、今までのモスクと格の違いを見せつけている。


「何度見ても思うが、生まれ変わったら王族になりたいもんだ。一度くらい酒池肉林を味わいてえな」


 隣で即物的なセリフが聞こえたが、耳に入らなかったことにした。俗世のことは考えるのをひとまず辞め、いまは目の前の荘厳さに触れつつ、出来る限りこの時間を味わおうと心がけていた。


「まあ、一日に五回も祈るとなると、綺麗な方が身に入るわな」


 また独りごとのようにホスローさんはつぶやいた。


「一日に五回ですか?」


 反射的に聞き返した。礼拝ってそんぐらいだっけと思っていると、


「あれ、知らねえのか。俺たちムスリムの習慣を」


 ここに来る前に一通り勉強したから知らない訳ではない。とはいえ詳しいかと言われると憚られるレベルではある。なんと返事しようか逡巡していると、


「はあ。ご主人様方は我々『憲兵』のことを理解してくださらない。あくまで我々の一方通行の片思いなのですね。悲しいです。ああ悲しいです。悲しいです」


 腕で目元を隠しつつ、憂を帯びた表情で「よよよ」と身体を揺らした。


「あ、あのですね」


 一気に心象を悪くさせてしまった。どのように弁解しようか。いや、自分が無知であったことは変わりないし。内心焦っていると、


「っぷ。ははは!」


 愉快そうに笑った後、


「こらこら。お前は一国の代表だろ。ちょっとした揺さぶりに対しても、もっと堂々としてろよ」


 さっきの雰囲気は消え去り、面白そうに肩をバシバシと叩いた。半分からかわれてた模様だ。


「別に気にしてねえよ、お前らの先輩でもペルシャ文化やイスラーム文化を知らねえ人は多いし。たとえ知ってたとしても、腹落ちしてねえだろうなあ、って印象を受けるからなあ」


 これまでに幾度も見てきた光景なんだろう。何でもなさそうに軽く手をひらひらさせた。


「それに、逆にいうと俺らもアメリカの文化を理解しているかというと、多分していないだろうなと思う。ハリウッド映画はたくさん見ているが、お宅らが大事にしているっぽい『自由』と『平等』なんだがよ。なんかしっくりこねえんだわな」


 意外な印象を抱いた。西欧文化にシンパシーを持っていると想定していたが、それが微妙なシコリを心にあるとは。


「と、政治談義は置いてと。まあ、俺らの習慣を知らなくても別に問題はないが、知っといた方が波風立たないことも多いだろう。せっかくの縁だ。この俺ホスローが教えてしんぜよう」


 ますます仕事感が出てくるが、


「ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げた。この機会だからありがたくご指導を請おう。俺の態度に気をよくしたのか上機嫌になり、


「よーし。では軽く歴史のおさらいだ。イスラーム教は七世紀頃にムハンマドが作り、以降今日まで続いている。世界中で六億人くらいる世界宗教の一つだ。我らイスラーム教とには共通する大小様々なルールがあるが、特に重要なのが六信五行だ」


「六信五行ですか」


 うむっ、と腕をくみつつ大きく頷いた。貫禄と相まって本当に先生みたいだ。


「文字通り六つの信ずることに、五つの義務だ。信じなければいけない六つとは、アッラー・天使・啓典・預言者・来世・予定。五つの義務とは信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼をいう。これらが俺たちムスリムの魂・人生に刻み込まれている」


 言われてみれば確かに。いま教えられたワードに関してはイスラームの重要語句として頻繁に耳にする。並べられると大切さが浮かび上がってくる。


「礼拝は五行の中の一つだな。一日に五回。夜明け前、昼、午後、日没時、夜。メッカの方向に向かって実施するんだ。コーランの一番最初に書かれている節を口にしつつな。英語だとこんな感じだな」


 こほんと咳払いを一つして目を瞑り、


『慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において……


 讃えあれ、アッラー、万世の主、

 慈悲ふかく慈愛あまねき御神、

 裁きの日の主宰者。

 汝をこそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。

 願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え、

 汝の御怒りを蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、

 汝の嘉し給う人々の道を歩ましめ給え』


 再び目を開き俺の方を向いてニッと白い歯を見せた。


「こんな感じな。我々の主はアッラー以外にいない、と祈るわけ」


 なるほど。


「お宅らのキリスト教と同じように我々の宗教にも様々な解釈やら考えがあるんだけど、礼拝が重要なのは一致しているはずだ。イスラームというのはアラビア語で『唯一の神に絶対帰依すること』を指しているからな。酒飲まないとか豚肉食べないとかってのも重要といえば重要だけど、何よりも神を信じるかどうかが一番大事なんだよな」


 ファーティマも同じことを言っていたな。アッラーを信じることがイスラーム教では大切なのだと。


「詳しいことは色んな書籍が論じているからさ。興味があったら読んでくれや」


「はい、ありがとうございます」


 話しつついたらいつのまにか出口にいた。集中していて聞いていたら、気づかなかった。ここの雰囲気と相まって、少しだけ異教への理解が深まった気がした。


「あ、ちょっと待ってくれや」


 ホスローさんは脇の方に歩いて行き、財布を取り出した。そこからお札を一枚つかみ、募金箱のようなところに入れた。すぐに俺のところに戻って行き、


「んじゃ、次のところへレッツゴー!」


 前へと進み出した。ありがたい。……ありがたいが、最後まで俺に付き合うつもりなのか。本当にこの人は暇なのではと思い始めていた。

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