第12話 世界の半分
イランには複数の著名な都市がある。テヘラン・タブリーズ・シーラーズなど。中でも頭ひとつ抜きん出ているのはイスファハーンではなかろうか。同国ではこういう言い回しがある。
「イスファハーンは良いところだ、イスファハーン人がいなければ」
古き良きモスクや建造物が並び、かつては「世界の半分」とまで謳われた古き良き都市である。ただし同国の人に言わせると、住民の方々はとんでもなくケチで嫌われてるとのこと。どれくらいケチかというと、
「もし寒かったらどうする?」
「ストーブのそばにいくね」
「じゃぁ、すごく寒かったらどうする?」
「ストーブに抱きつくさ」
「じゃあ、もっとすごーく寒かったらどうする?」
「ストーブをつけるね」
というジョークが広まるくらいはケチという印象とのこと。というお話についてオフィスの休憩ルームにてコリン先輩が力説していた。
「いいか、とにかく奴らはケチだ。超がつくくらいケチだ。ドケチだ。テヘランのバザールではごくごくたまにまけてくれるが、イスファハーンではまずディスカウントはありえねえ。天と地がひっくり返ってもありえなええ。そんぐらい奴らはケチだ」
親の仇かと思うくらいボロクソに貶していた。そしてと不機嫌そうな顔を俺の方に向けて、
「というのを外交官たるもの身銭を切って体験しなければいけない。様々な土地に訪れで様々な人に出会い様々な経験をする。これこそが外交センスを磨くために必要なことだ。だからな。ま・さ・か。たまの貴重な長期休みに『一日中寝て過ごす』なんてバカな選択肢はありえないよな? ヒヨッコがんなこと言える立場ではないよな? ジョン・バートンくん?」
そう。今回はただの旅行ではない。イスファハーン観光を通してイランへの理解を深めるための「任務」なのである。アメリカ大使館では一部の人を除いて、現地の休みに則るようになっている。イランでは三月の後半にノールーズと呼ばれる長期休暇がある。イラン暦の年始にあたり、祝祭の雰囲気が溢れるとのこと。
貴重な連休の間に何をするとコリンさんに聞かれた際に、「部屋でのんびりグデっとしてます。たまには積んでいたアルバムでも聴こうかなと考えてます」と正直に答えた俺に対する、先輩心なのである。たまの休みになんで仕事をしなければいけないのかF● ●K YOU、なんて絶対に思ってはいけないのである。……ク● ●タレが。
バスで移動すること六時間。ごとごとと揺られ、なかなか業務の疲れも取れず。本を読むことも不可能なので気を紛らわすこともできず。最悪な気分の一人旅がスタートすることとなった。
とはいえ人生を二十数年送っていると、思いも寄らないことがたくさんある。そのうちの一つに半ば無理やり勧められた旅が案外よかったというのもその一つだ。自分の関心外のことに渋々触れたところ、視野が広がるのもまた一興。何が言いたいかというと。
イスファハーンは素晴らしい!
現在、イマーム広場と呼ばれる場所にいる。1598年にサファヴィー朝のシャー・アッバース一世が首都をイスファハンに遷都し、一気に都市改造を行った。本広場は改造後の中心地にあたる。
直に訪れるとスケールに圧倒された。テヘランで暮らしていると、様々なモスクに出会した。おのおの洗練された美しいが、ことイマーム広場に関しては別格の印象を抱いた。
広大な敷地にどこまでも広がる宮殿。透き通った噴水。まるで千夜一夜物語の世界に迷い込んだようである。それくらい幻想的な風景が広がっていた。コリン先輩があんだけプッシュするのも納得である。
正月シーズンとはいえ、観光客で賑わっていた。海外から来た人たちだけでなく、現地の人たちもバケーション感覚として訪れているようにみられる。多種多彩な人たちが写真を撮っており、活気のある風景を醸し出していた。
「しかし。まあな」
一人旅の醍醐味は相手に気を遣う必要がなく、自分の行きたいタイミングで自分の行きたい場所に行けることである。今日もぶつぶつ文句を言いつつ、余裕のあるスケジュールで動けるのも、俺がただただそうしたいからである。一方、一人旅にも悪いところはある。それは時折さみしさを覚えることである。例を紹介しよう。
「すみませーん」
唐突に声をかけられた。見ると若い男女のカップルがいた。服装や外見からすると、ヨーロッパの方から来たのだろうか。
「写真を撮ってもらってもいいですか」
若干、気障ったらしいイントネーションからすると、クイーンズイングリッシュ。となるとイギリス人か。同族の気安さから頼んだのであろう。
「はい、いいですよ」
コニカのカメラを手渡された。レンズを向けると二人はピースをしながら肩を組んだ。……おい、くっつきすぎだろ。心の中で舌打ちをしつつ、
ーパシャリ
一枚撮って返すと、彼らはまたイチャイチャしながらイマーム広場を歩いて行った。仲良さそうに手をつないじゃったりしてさ。羨ましくねえからな別に。ぜんぜん羨ましくねえからな。ひとりブツブツと恨み節を呟いていると、
「おいおい。そんな僻みっぽい顔をすんなよ。せっかく整っている顔にダサい表情が刻まれちまうぞ」
どひゃあと驚きながら振り返った。いきなり図星をさせれて慌てふためいてると見知った顔が一人。
「よっ!」
楽しそうな表情でホスローさんが立っていた。休日のためかブラウンの革ジャンにジーンズというラフな服装をしていた。スーツ姿を見慣れている手前新鮮さを感じたが、私服姿も様になっていた。
「って何しているんですか……」
普段仕事で会う人とプライベートで遭遇すると、休日気分が一気に抜けるのでやめてほしい。せっかくのバカンスなのに。先方はこちらの感情を読み取ったのか、
「ああ、俺イスファハーン出身なのよ。ノールーズで帰省したんだが、休みが長いと暇で暇でしょうがないんだ。んで、気分転換に来てみたらアメリカからのスパイを見かけたので職務質問をしたわけ」
なるほど納得。できればそのままスパイ活動を黙認していただきたかったなあ。こちらの眉間に皺が寄っているのを気付いたのか、
「まあまあ、渋い顔をしないの。せっかくだから暇つぶし……じゃなかった、日頃の感謝を込めて古都イスファハーンを案内してやるよ」
断りたい。非常に断りたい。何が悲しくて仕事相手と散策する必要があるんだ。んが、ここでむげにすると某職場の先輩から、
「あれー、ジョン君よお。俺がせっかく紹介した人間をそでにするの? 先輩に対する侮辱だよね。あと外交は人脈が大事なんだけどさあ。そのこと理解しているの? An?」
テヘランに戻った後に吊し上げられるのは目に見えている。穏やかなホリデーと円滑なお勤め生活を数秒間天秤にかけて、
「……では、よろしくお願いします」
不服ながらも外務省職員さんの提案に乗ることとした。内心の思いが顔に出ないように気をつけながら。
「オッケーイ。それじゃ、イスファハーンのいいところをジャンジャン巡っていこう! おー!」
ホスローさんはノリノリで前に進んで行った。対する俺は諦めの境地で粛々と後について行った。休日出勤の申請出せるかなあ。出せないよなあ。はあ。