第11話 デート
さて。ではここで改めてイスラーム教のイメージについて振り返ってみよう。本や新聞でよく目にするものとして、
・毎日礼拝がある
・豚肉を食べてはいけない
・定期的に断食をしなければならない
・酒を飲んではいけない
などと思われる。特に最後の「酒を飲んではいけない」はかなり印象に残るのではなかろうか。学生時代の友人が冗談混じりに、
「俺はイスラーム圏への旅行は無理だな。酒飲めねえから。HAHAHA」
と口にしてたのを記憶している。それほどまでに「イスラーム教=禁酒」というイメージが強い。
なぜ長々と述べているのかというと、俺の目の前の光景を紹介しよう。場所はテヘランの市街地のレストラン。料理はキャバブやホレシュといった香ばしい中東系のもの。そしてグラスに注がれた赤ワイン。それを目の前のファーティマは美味しそうに口にしていた。すでに空のボトルが一つ。
「あの……。飲み過ぎなんじゃないの?」
そう。アメリカ人もびっくりの量を飲んでいた。ひょっとしたら厳しい戒律を重んじるムスリムというのは、善良な政治家並みに誤解あるイメージなのかもしれない。
「なーに。仕方ないじゃない。お酒が美味しいんだし」
とうそぶいた。完全にのんべえの言種であった。
「いや、まあ、そうなんだけどね……」
尚も戸惑い続ける俺。対して不満そうにぷくうと膨らませて、
「なによ。わたしたちがお酒飲んじゃいけないの? あんたたちだってたくさん飲んでるくせに。不公平じゃない」
いや……、そうなのか……。非常に釈然としないのだが。
「我々の偉大なる詩人もこう詠っているのだよ」
キメ顔をして一節を口にした。
『身の内に酒がなくては生きておれぬ、
葡萄酒なくては身の重さにも堪えられぬ。
酒姫がもう一杯と差し出す瞬間の
われは奴隷だ、それが忘れられぬ。』
朗々とした声で誦じてみせた。ムカつくけど無駄にカッコいい。
「まあ、いいけどさ……」
勢いで彼女を誘ったところ、向こうからの提案で初デートは居酒屋と相成った。確かにアメリカでは気兼ねなく楽しめるお酒と食事が一般的だが、まさかイランでも同じとは想像していなかった。
先ほどの先入観もあり興味を持って行ってみると、目の前の人間は想像以上の酒豪っぷりを発揮された。
「俺のイメージだとイランは禁酒の文化というのがあったから。意外でびっくりしちゃった」
改めて率直な感想を口にすると、
「そうよー。わたしたちはお酒大好きな民族なのよー。アケメネス朝とかササン朝とかの頃から飲んでたし。コーランも解釈によっては『いいんじゃね?』みたいなところあるしね」
思ったよりも結構アバウトな模様だ。
「オマル・ハイヤームだってひたすら酒のことばっかり謳ってたし。わたしたちはお酒とは切り離せないのよ!」
うーん。まあ。なんか煙に巻かれたような気がすごいするが、そういうもんだと思うようにしよう。
「逆にジョンたちの方もわたしたちからみると変な国よ。規律とか規範とかをうるさく叫ぶ割には自分たち自身が守っていなし。その癖ルールを守らない人たちに『正義の鉄槌だ!』ってやってるし」
お酒でほんのり赤みがかった顔で楽しそうに話していた。だけど……なんだろう。そこはかとなくアメリカを批判されているような気がするぞ。口にしている当の本人に顔を向けると、
「ん? どうかした?」
ぐぴぐぴとワインをたしなんでいた。本当に悪気はないもようだ。
「……。なんでもない」
ああ、そういえば。研修での光景をぼんやりと思い出してきた。あれはそう。入省してから二週間後であった。講師の方が赴任先の国についてレクチャーしてくれる中で、
「イラン人はアメリカ人と似ているところがいくつかある。うち一つが自分の意見や主張をはっきり言うところだな。分かり易いっちゃ分かり易いが、喧嘩売られると思わなくもない。まあ、とりあえずその時はクールになれ。HAHAHA」
……早くもその時が来た模様だ。クールになれクールに。俺たちも自己主張が激しい人種だ。気づかないうちに喧嘩売っているように聞こえることもあるだろう。お互い様だ。うん。お互い様だ。とりあえず初デートで政治ディスカッションは重苦しくもあるので、
「……ちなみにさっき言ってたオマル・ハイヤームって?」
煙たい話から逸らすついでに、名前だけは聞いたことある人物について尋ねた。ファーティマは良くぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張り、
「イランの詩人よ。だいたい1100年頃の人かなー。数学・天文学にも携わった人みたいで。詩の特徴は『人生なんてあっというまだよ、そんなことより酒を飲もうZE☆』っていうものをたくさん書いてたのよ。さっき誦じたのも彼の作品よ」
とりあずこの子が好きそうなのわかる気がするわ。酒好きに悪い人間はいねえ、って考えてそうだ。
「他にはね」
そういって口元に手を当ててちょっと考えるそぶりをした。数秒経った後、
『酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一の効果だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だ!』
うん、酔っ払いの匂いがぷんぷんするな。似合ってる似合ってる。
「あとはね……」
また一瞬目を閉じて思考を巡らせると、
『魂よ、謎を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない』
うーん、なんというか。
「……俺がイメージしているイスラーム教の雰囲気とは違うような。むしろ日本とか東洋っぽい雰囲気があるね」
諸行無常というか一瞬の儚さを楽しむかのような。ファーティマは「確かに!」という表情をして手を叩いた後、
「そうかもしれない。わたしたちは日本とどこか似ているかもしれない。彼らは中国や欧米といった外来の文化を時には取り入れ、時には排外してきたじゃない? うまくコントロールすることで固有文化と混ざり合ったでしょ」
言われてみれば大学の日本文化論で勉強したな。先進国の文化を積極的に受容することで生き延びてきている国であると。
「わたしたちも同様にイスラームを時には受け入れ、時には敵対してといって、折り合いをつけようとしているの」
コリン先輩も同様なことを評していたな。
「オマル・ハイヤームはイラン的な部分を体現しているかも。どっちにも属しているようで、どっちにも属していない。マージナル的なところがあるの」
どこの世界にもいるんだろうな、決まったところに属さないふわふわとした人が。
「まあ、とにかく。我が国を代表する詩人が酒飲みだから、わたしたちもノビノビ酒を飲んで問題ないのよ!」
そこに行き着くわけね。
「それに。信仰というのは形がどうこう大事ではないのよ。酒を飲むとか飲まないとかそういうのは些細な問題なのよ」
衝撃的な発言だな。彼女は自分の心臓を示しつつ胸を張り、
「大事なのは神様を信じるかどうかなのよ。そこが一番!」
わかったようなわからないような。少なくとも信仰というのは俺たちが思っている以上に、奥が深いということだけは理解した。それと、砂漠の国で飲むワインは意外と美味いということも。