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ペルシャの友人  作者: 永岡萌
第2章 1976年 テヘラン②
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第10話 母への電話

 仕事から帰って一息ついた。何とか業務をこなしているが、自宅に戻っての解放感から察すると、いかにストレスがかかっているかが分かる。それでももう幾許かの月日か経ったので、ある程度の慣れは出てき始めてはいた。ふと思いついた俺は電話機を取り、国際番号に発信した。何回かリンリン鳴った後に、


「ハロー。バートンです」


 つい最近まで聞いていた、けれども懐かしさを覚える女性の声を耳にした。


「あ、母さん? ジョンだよ」


 できる限り明るい声を出すように努めた。向こうから息を呑む音がして、


「あら! もう何よ、全然連絡もよこさないで! 心配しちゃったじゃない! 元気?」


 大声でまくし立てられた。ちゃんと聞こえてるから落ち着いて。


「うん、元気だよ。先輩たちが面倒見いいから何とか仕事はやれている。イランも最初は戸惑うことが多かったけれど、この頃ようやく馴染んできたよ」


 ポツリポツリと自分の状況を話した。母さんは嬉しそうに、


「そう。よかったわ! 海外に行ってどうなるかと思ったけど安心だわ!」


 本当にホッとした雰囲気がこっちにも伝わってくる。他に何か話すことあったっけと逡巡してると、


「あ、お父さんに代わる?」


 電話口の向こうから何の気なしの声が聞こえた。反射的に俺は、


「いいよ、時間もらうの悪いし。それじゃまたね!」


 ちょっと! という抗議の声を聞きつつも、すぐに切ってしまった。申し訳ないと思いつつも、どこか心の奥底で仕方がないとも思っていた。まだ父と話すには時間が十分に立っていないのが正直な感想だ。



 幼い頃。俺は外交官を目指してはおらず、軍人になろうと考えていた。理由は単純で身内に対しての憧れだ。父はアメリカ軍の要職についていた。口数こそ少ないものの、堂々たる風格と溢れ出る威圧感があった。子供だった俺に対して、


「いいか、ジョン。プリンシプルはしっかり持てよ。生きていく上で何よりも大事だからな」


 頻繁に語っていた。小さな頃から父の言葉はよく響き、いつか自分も父親みたいに軍人になりたいと感じた。


「大人になったらお父さんと同じ道を進んで、祖国のために働くんだ!」


 家族によく宣言していた。思い返すに割りかし強めに思っていた節がある。もちろん軍というのは汚いこともやるものだが、ガキには見えていない部分でもあった。


 そんな自分が心変わりしたのは「ベトナム戦争」からだった。始まった当初は世間の人々と同じように、戦争に賛成の立場だった。意味を全然理解していないが、ソヴィエト連邦による赤化を食いためるために父親は命を張って、戦いに行くと信じていた。学校の中でも父親が参戦していることに誇りを抱いていた。


 ただし、こう着状態が続いて戦争が長引くと、自分の誇りも揺らいできた。「メディアの戦争」と称されるだけあって、アメリカに取って不都合な情報も次々と入り込んできた。ゲリラに苦戦していることや、現地の人間に残虐なことを実施していること、学校や病院を空爆していること、等々をテレビで見聞きするようになった。次第に本当に父親は正しいことをしているのか、我々は正義の側なのかと疑問を抱き始めた。


 時を同じくして大学から反戦デモが勃発した。学生たちが各地で政府に異を唱え、テレビや新聞においても連日騒がれるようになった。ちょうど自分も大学生になった頃だったため、強く印象に残っている。では俺が参加したかとなると、答えはNOであった。実際その頃になるとアメリカに大義はないと薄々理解しており、早く撤退することがベストであるとも内心思っていた。それでも、親父のことを考えると頭の方に心が追いつかず、ストレートに反戦を訴えることができなかった。


 自分の中で悶々と悩んでいるうちに戦争はアメリカの敗戦という形で決着がついた。世間ではヒーローだった父親はあっという間に、人殺しという悪役に変わっていた。ベトナムに行く前は自信と余裕があった親父も、祖国に戻ってくると痩せて疲れた顔になっていた。仕事熱心だった面影はなく、家の外にはほとんど出ず、もっぱら本を読むのが習慣となっていた。


「俺、外交官を目指すよ。武力を使わないで国々の平和を築いていきたい」


 それまでの自分の主張に背を向けるように、家族に宣言した。親父はただ、


「そうか」


 ぽつりとつぶやいたきりだった。それまでの父親であれば「プリンシプルを曲げるのは感心せんな」の一言ぐらいは口にしていたはずだったのに。後年振り返ってみると、父の中でも軍人というアイデンティティに対して自信を持てなくなってたのかもしれない。だから俺が変わるのを止めなかったのだろう。


 以後、俺は親父に対して一種の後ろめたさを持つようになった。あんだけ軍人に憧れていた様子を見せていたのに、風向きが変わったらあっさりと心変わりをしてしまった。


 二度と筋は曲げないようにという想いも込めて、俺は自分なりに必死に勉強して自分なりに熱意を見せることで、なんとか外交官の第一歩を踏み出すことができた。周囲の人間は讃えてくれたし、母親は複雑な顔を一瞬するも、なんだかんだ祝福してくれた。親父の反応は乏しく、何を思っているか読み取ることはできなかった。

 俺は最後の最後までわだかまりを抱きつつ、異国の地に飛び立つこととなった。



 昔のことを思い出していたら、時計の針がだいぶ進んでいた。身体をベッドに投げ出しぱなしだったから倦怠感が充満していた。せっかく目標を達成したのに、この体たらくは良くないな。

 ふと、ここ最近手に入れた電話番号のことを思い出した。自分の見識を広めるためにも気晴らしが必要、と誰に述べるでもない言い訳をしつつ固定電話でダイヤルを回した。彼女の両親が出ないでいるように祈りつつ。


Salamこんにちわ


 涼やかな女性の声が聞こえた。すぐに彼女だとわかり、俺はアメリカ大使館のジョン・バートンであることを名乗った。電話の奥からはすぐに嬉しそうな声が耳に入った。

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