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4 精霊の日に④

虫注意


 シグベルトは自室に引き戻されていくのを忌々しく思ったが、頭を切り替えることにした。


(今は仕方がない。騒ぎが落ち着くのを待とう)


 リネットがカルムを慕っているはずなどないのだから、誤解を解くのは難しくないはずだとシグベルトは考えた。


(パニックが落ち着けば、大したことにはならないだろう)


 このぐらいの騒ぎはすぐに収まると、シグベルトは楽観的に考えていたのだった。


◇◇◇


 リネットは王女様の居室で、同行者の女性に頬を叩かれた。


 面食らったリネットは、ぱちぱちと目を瞬いた。軽く全身の毛が逆立つ感覚は、攻撃を受けた動物としての本能だろうか。


 一触即発の空気を発しているのは、リネットたちより少し年長の女性だ。さらさらの長い髪を後ろできつく結んでいる。


「お前がやったのでしょう」

「いいえ」


 もう一度平手を食らった。リネットが身動きひとつ取れなかったのは、痛みのせいではない。


 その女性が涙ぐんでいたからだ。


 リネットを圧倒する強さと速さで、女性はなおもまくしたてる。


「姫様はずっと伏せっておいでです。あのお方がどれほど本国で慈しまれ、大切にされているか、お前ごときには分からないでしょう? わが国の至宝に傷をつけたのです。王太子のお気に入りだからといって、守ってもらえるとは思わないことね!」


(この方……泣いてらっしゃいます)


 心から案じ、我が身のごとく痛みをこらえている。リネットは彼女の愛情に打たれて、ついその手を取った。安心を誘うようにぎゅっと握る。


「ご心配には及びませんわ。だってあの蜘蛛、毒など持っておりませんでしたから」


 今度は相手が驚く番だった。


「なぜお前にそんなことが分かるの?」

「どこにでもよくいる蜘蛛ですが、わたくしがすぐに分かったのは、見慣れていたからですわ。薬の材料として」

「薬……?」

「口にしても大丈夫、いいえ、むしろとっても身体にいい虫なのですわ!」


 リネットは調合のときの手順を思い出す。


「滋養があるので、風邪などのときに重宝します。生きたものを、細長い葉っぱに包んで、丸めて、飲み薬にするんです」


 息を呑む女性。きっと知らなかったのだろう。リネットはよかれと思い説明を続ける。


「だから、万が一口にしたとしても大丈夫。イルメンガルト殿下はきっと心労でお倒れになったのでしょう。さもなくば、冷え込みで気管のお風邪を召したか……どちらにせよ、今夜はわたくしがおそばにおりますから、どうぞご安心を――」


 言葉の途中で、女性はリネットを乱暴に振り払った。前にも増して軽蔑的な表情で、憎々しげに吐き捨てる。


「そう。何のまじないだか知りませんが、薬の材料だとお前が考えているのなら、お前が持ち歩いていたとしても不自然ではありませんね」

「え……? いえ、そういうわけでは」

「お黙り。白状するまでそこにいるがいいわ」


 半ば突き飛ばすようにして押し込まれたのはクローゼットだった。衣装ケースがぎゅうぎゅうに押し込まれていて、ようやくリネットが入れるだけの狭いスペースしかない。


 リネットは扉を押してみた。前に荷物を置かれているようで、びくともしない。


(動けません。王女殿下のご体調はあれからお変わりないのでしょうか。少し心配ですが……)


 容態が急変したときはさすがにリネットを呼びに来るだろう。それまではここにいるしかないかと考え、リネットは限界まで小さく丸まって、どうにか狭いスペースに腰を落ち着けた。


(それにしても、変なことになってしまいました)


 リネットはこの件を、誰かのいたずらだろうと思っている。でも、誰が、何の目的でなのかは分からない。最初の蜘蛛も逃がしてしまったから、リネットが『無毒な蜘蛛だった』と言ったところで、証明は不可能だろう。


 手がかりがないのに考えても仕方がない。


 リネットは難しいことを考えるのはやめて、ぼんやりすることにした。


(ああ……おなかがすきました)


 今日は宴会だから、おいしいものが食べられると思っていたのに。リネットは朝と昼を我慢するほど楽しみにしていた。こんなことならきちんと食べておけばよかったと思ってしまう。


 リネットはほんのり悲しい気分で、宴会のごはんが明日まで残っていることにわずかな希望を託したのだった。


◇◇◇


 結局、リネットが出してもらえたのは、深夜になってからだった。


 扉が開くなり、長い黒髪の少女が今にも泣きそうに顔を歪める。


(イルメンガルト様)


「リネット様、申し訳ございません! ベルタが暴走をしたようで、このような無礼を……!」


 隣には元凶の女性がいる。ベルタと呼ばれた彼女は、何やら納得のいかなそうな顔で、丁寧に謝罪をしてきた。


「失礼いたしました」

「いえ、気にしておりませんわ」


 にこりとしたリネットに、ベルタは何かを言いたそうにして、結局黙ってしまった。


「ごめんなさい、こんなことに巻き込んでしまって」


 すっかりしょげた口調で、乱れた髪を手ぐしにかけるイルメンガルト。色白の者が多い宮廷の中でもひときわ白い彼女は、夜の藍色を浴びて、死人のように青白くなっていた。


 隈の浮かんだ顔で、イルメンガルトが目を伏せる。


「実は以前からなの。わたくしの部屋にはいたずらが多くて……きっと、わたくしの存在を邪魔に思う方がいらっしゃるのね。王太子殿下との婚約が不興を買ったのだと思って、別の方との婚約に踏み切っても、いっこうにやまなくて……」


 震える唇も、血色をなくしていた。


 イルメンガルトはこらえきれずにすすり泣く。


「わたくし、もう耐えられないわ。故郷の国に帰りたい……!」


 リネットはイルメンガルトが可哀想になって、そっとその肩に手を置いた。


「いたずらの犯人は見つかりそうにないのですか?」

「いいえ。でも、もういいの。早く国に帰って、お父様とお母様に会いたい……」


 郷愁に泣くイルメンガルトを無下に扱うことはできなかった。


「温かいミルクはいかがでございますか? 蜂蜜を入れると、気持ちが楽になりますわ」


 リネットは厨房に無理を言ってミルクを少し分けてもらうことに成功した。ついでに、宴会料理の残りをちゃっかりともらい受ける。


(このお菓子の家のビスケット、日持ちしそうだと思ってました)


 カチカチに焼いた土台に甘い砂糖の塊をアイシングしてある。これだけあれば一ヶ月くらいは楽しめるだろう、という量を、リネットは手持ちの道具袋いっぱいに詰め込んだ。


「……ずいぶん欲張ったねえ」


 厨房の人が呆れたように言う。


「ちゃんと犬にやるんだろうね? 毒虫がうろちょろしてたって話だから、うっかり食べちゃダメだよ。当たったら大変だからね」

「分かっておりますとも」


 リネットは厨房から出てすぐに、クッキーをひとかけ口にした。


(あまーい……ああ、おいしい)


 空きっ腹をこっそり満たしつつ、リネットはおぼんを持って部屋に戻った。


 ホットミルクのポットから少し別容器に注ぎ、リネットがまず口をつけた。


「毒見はいたしましたから、どうぞ」


 イルメンガルトはほっとしたように、ゴクゴクとそれを飲んだ。


 イルメンガルトがことりとコップを置いて言う。


「わたくし、決めたわ。明日……いえ、今日の朝一番で、国に戻ります」



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