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2 精霊の日に②



「きっとそうよ。あれだけお可愛らしいのですもの」


 天使のように柔和な美男子のシグベルトには、お妃候補にと、自薦他薦入り乱れての大攻勢が仕掛けられているが、未だに相手は定まっていない。


 密かに選ばれたいと思っている者たちは、もう何年にも渡って水面下で争いを続けていたが、リネットが現れて以来、勢いが弱まっている。争うのが馬鹿馬鹿しいと感じさせるくらい、リネットが優れた少女だったからだ。


「でも、聖女様よ? ご領地だって、決して大きいとは言えないわ」


 王太子妃は、大領地の娘であることが望ましい。しかし、『最果て領』は、古い家柄ではあっても、決して経済的に豊かとは言えなかった。


「でも、『あの方』との結婚は拒否なさったのだし、やはり心に決めた方がいらっしゃるのでは――」


 周囲は血相を変えて、口をつぐむように身振りで促した。


「聞かれては大変よ」


 少女たちは人目を憚るように小さくなりつつ、大広間の一端をちらりと振り返る。ひときわ強い色彩の衣装を身にまとった女性が、大勢の人間にぐるりと取り囲まれていた。見慣れない形に大きく嵩張るドレスは、贅沢なレースとリボンをふんだんに使っている。彼女の財力がこの国の誰よりも優れていることの表れだった。




 煌びやかな衣装の割に、少女はほっそりとしていた。あれほど儚げであれば、服の重みで潰れてしまうのではないかと心配になるほどに。彼女は文字通り、重圧を背負ってこの国の宮殿に滞在している。


 少女の名はイルメンガルトといい、『影の国』と呼ばれる隣国の王女だった。王太子シグベルトの妃にするようにと、隣国王から押しつけられた姫だ。『影の国』は苛烈な軍拡主義を取る国であるため、断れば兵を差し向けてくることは目に見えていた。


 イルメンガルトの周囲にいる取り巻きの少女たちも、王太子との結婚を円滑に進めるために送り込まれてきている。王女自身は心根が優しくおっとりとした人柄であるのに、身の回りの世話をする令嬢たちは王女を愛するあまりに過保護で、少しでも悪く言っている者を見つけたらただちに厳しい処分を求めてくるのだった。


 隣国の令嬢たちは少女たちのたわいないお喋りなどには目もくれず、仲良く寄り添い合うシグベルトとリネットに、殺気立った視線を送っている。


 本来であれば、イルメンガルトがシグベルトの隣にいるはずだった。少なくとも、隣国の王はそのつもりで娘を派遣していた。


 しかしシグベルトは、王女のおっとりとしたお人好しな性格を逆手に取って、和平結婚の役目を従兄弟に譲ったのである。王女が少々病弱であることに気遣いつつ、巧みに王女のためだと言い聞かせて、了承させてしまった。


 イルメンガルトのやや後ろに、むっつりと暗い顔で立っているのがその婚約者だ。


 公爵子息・カルムは、ドラ猫のように目の釣り上がった少年で、内面のまずさを誤魔化そうとするように、重厚で立派な衣服を身につけていた。金モールの目立つ肩章は、金額にしてみればたいそうな代物だろうが、痩せっぽちで貧相な少年にはまったく似合っていない。


 彼は美しい王女の背に、じっと不満そうな視線を送っている。内気すぎて自分からは声がかけられないが、振り向いてほしいと強く願っている心境が手に取るように伝わってきた。


 みっともない振る舞いは軽蔑を買い、取り巻きの令嬢たちも意図的に彼を無視している。チラリとも見ない彼女たちには、グルになって締め出そうとする悪意がありありと感じられた。


 カルムが王女と婚約したとき、宮殿に集まっていた行儀見習の貴族令嬢たちは、誰もが一様にホッとした。陰気で癇癪持ちのカルムは貴族令嬢たちからも嫌われていたのである。物覚えが悪くて不器用で、気の利いた会話などひとつもできない少年――と、評判はさんざんだった。従兄弟で年の近いシグベルトと比べるとその差は一目瞭然だ。シグベルトは易々と聖典を諳んじ、外国の大神官にも見事な典礼言語で社交をこなしてみせる一方、カルムはせいぜいひと言二言を話すのが精一杯。しかも発音が悪いので、せっかく何かを喋っても、ほとんど通じない有様だった。馬術・剣術・算術・芸術、すべての分野に置いて後れを取っているカルムはすっかり僻んでしまい、皮肉っぽく嫌な物の言い方をする少年に成長した。


 カルムは人の好き嫌いも激しく、王太子贔屓の令嬢たちには特にきつく当たる。癇癪を起こす子どもじみた振る舞いのせいで、シグベルトに憧れている令嬢のみならず、公平な令嬢たちからも呆れられていた。


 カルムの被害にあった少女たちは、いつしか彼のことを『泥人形』と呼んで嫌うようになっていった。シグベルトが神様に気に入られて知恵の蜜酒を飲んだ『賢王』なら、カルムは同じ神様が気まぐれで泥をこねて作った出来の悪い人形そのものだったからだ。


 『泥人形』であっても、身分は高いので、いずれは誰かがカルムの妻に選ばれる。そのため、貴族令嬢たちは損な役回りを押しつけられるのではないかと怯えていたのである。


 カルムの脅威がなくなった今、少女たちの関心は、王太子がリネットと婚約するのかどうかに移っていた。


「いくらリネット様がお可愛らしくても、後ろ盾がなければ、他の皆様方を納得させられるかどうか」


 現にイルメンガルト王女の取り巻きたちは少しも納得できないようで、折に触れてはリネットに嫌がらせを仕掛けている。主君がたびたび諫めているが、手綱は握り切れていない。今もイルメンガルトは取り巻きの心無い行動に胸を痛めているようで、悲しそうに成り行きを見守っていた。


 話を変えようとしたのだろうか。イルメンガルトは急に後ろを振り返った。


 この式典の最中でも、誰からも話しかけてもらえずずっと棒立ちだったカルムは、急に自分の方を向いた王女にぎくりとした。小心者の嫌いがある彼は、やましいことがなくても、驚くとヘビに睨まれたカエル同然に動揺するのである。


「お水を取ってこようと思いますが、カルム様にもお持ちしましょうか?」


 取り巻きたちがぱたりと口をつぐんで見守る中、カルムが緊張した様子で、うわずった声を出す。


「いや。僕が持ってくるよ」


 取り巻き達は、通り過ぎるカルムを、不快そうに目で追った。せっかく皆で相談して話の輪から締め出しているのに、主人のイルメンガルトはこうして情けをかけてしまうのだ。鼻つまみ者の男と婚約させられて苦労しているにもかかわらず、慈悲深いイルメンガルトはまったく嫌なそぶりを見せない。


 カルムは食卓の水差しを覗き込んだあと、すぐそばにいたリネットに声をかける。


「なあ、これ何だ?」


 なっていない口の利き方に、すぐ隣のシグベルトは苦々しい思いをした。他の人間ならばともかく、リネットはシグベルトが特別に気にかけている相手なのだから、馴れ馴れしくしないでほしいものだが、この従兄弟にはそうした含みがまったく読み取れない。追い出せるものならとっくにそうしているが、王族の末席という高い身分がそれを阻むのである。


 リネットはまったく意に介した様子もなく、にこりとした。


「甘草のお茶ですよ」

「水がどこにあるか、知らないか?」


 リネットはわざわざ数歩移動し、奥の方のテーブルにある陶製の水差しをみずからの手で運んできた。


「ありがとう」


 カルムは横柄に礼を言って受け取り、手近なコップに水を注いだ。コップを二つ手にしたカルムは、その足でイルメンガルトに手渡しにいった。


 イルメンガルトは陶製の素朴なコップを受け取ると、それをごくごくとおいしそうに飲んだ。


 ――事件はコップが甲高く割れる音から始まった。


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