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1 精霊の日に

虫の描写が入ります


 夏の一番暑い時節に、『精霊の日』がやってくる。この日は精霊が人間をからかいにくると古くから言い伝えられているのだ。


 精霊を迎える準備が整い、宮廷でも華やかな祝典が開かれていた。


 思い思いに仮装した少女たちが輪を作り、ある少女を熱心に見つめている。


「リネット様のお召し物、素敵ね」

「本当に。ドレスがとてもよくお似合い」


 ひそひそと囁き交わす先に、少女リネットがいた。小さく均整の取れた身体をゆったりと包むドレスは青い夜空に星をちりばめたようなデザインで、ゆるやかで優雅な佇まいは、さながら古代の聖女だ。


「あら、リネット様が素敵だもの、何でもお似合いになるわよ」


 浮世離れした衣装がピタリとはまるくらい、リネットは可愛らしい少女だった。透き通るような白い肌、大きくつぶらな瞳、あどけない表情は、迷いや憂い、汚れといったものとは無縁に見えた。多感な少女たちの琴線に触れるその繊細な愛らしさには、嫉妬の気持ちすら湧いてこない。あの可愛らしい子のそばにちょっといって、触れてみたいと思わせる魅力があった。


「勝負にもならないわね」

「わたくし、家に帰ってもいいかしら。お菓子でも食べて寝たいわ」

「ちょっと、王太子様のお妃様選びはまだ終わっていないのよ」


 王太子に気のある少女がそう発破をかけると、周囲は白い目を向けた。


 お妃様の候補としても、リネットが群を抜いて有力であることは周知の事実だったからだ。それは彼女が示す見事な芸才などからも十分に見て取れた。


「ここにいる全員、リネット様の足元にも及ばないじゃない」

「そうよ。ひょっとして、まだご覧になっていないの? 今年の『星図』」


 現世へと遊びにきた精霊たちが迷わずに帰れるよう、星空の地図を描いて祭壇に奉納するのがこの日の習わしとなっている。『星図』と呼ばれるその絵画は、精霊たちの指針となるよう、もっとも正確に描かれているものが大きく貼り出されることになっていた。


「今年はリネット様だったのよ」

「そうよ。誰よりも正確に月の形を描いたそうよ」

「それに星もね。しかもその筆が美しいことといったら……」

「藍色の天鵞絨に宝石箱をひっくり返したみたいで、文句を言う気もなくしてしまったわよ」

「嘘……」


 王子贔屓の少女はショックを隠せないようだ。


「毎年、王太子殿下が選ばれていたじゃない? 正確性では占星術師の方も舌を巻くほどだって……」


 『星図』の元となる星座の配置は、宮廷の占星術師があらかじめみんなに配ってくれるが、天文学の素養がある者は自分で作図をする。


 王太子の『星図』はとりわけすばらしいと評判で、ここ数年はずっと王太子の描いたものが大きく掲示されていた。


 それがリネットのような小さな少女に覆されてしまうなんて、とても信じられないことだ。


「殿下には計算できなかった小さな暗い星が、二十も多く描き込まれていたそうよ」


 信じられない思いでリネットを見た。


 彼女は自分が話題にされていることなど知らず、ずらりと並ぶ精霊の家のお菓子から、キノコ型の煙突屋根に手を伸ばしていた。幻想的なお菓子をちょんとつまむ小さな指先は、それ自体が繊細な砂糖細工のようで、十四歳という年齢以上に彼女を幼く見せている。


 腕を動かした拍子に、銀を溶かしたような髪が流れてもつれ、むきだしの肩口にわだかまる。乱れた髪を、隣に立っていた男がそっとすくいあげた。


 かいがいしく背中に流してやってから、美味しそうにお菓子を頬張るリネットを、薄青い瞳でじっと見守っている。


 その視線の熱っぽいこと、生真面目で揺るぎないことに、少女たちはため息を漏らす。


「……シグベルト殿下も、リネット様のお可愛らしさには敵わないようね」

「で、でも、王太子様は、誰にでもお優しいじゃない」

「あれを見ても同じことが言えて?」


 リネットが屋根瓦のクッキーを外して半分に割る。片方を口にしながらもう片方を手渡すと、王太子シグベルトは優しい表情でそれを受け取った。


「ほら、いつもああして食べ物を分け合っていらっしゃるのよ」

「まるで恋人同士のよう」


 うっとりしながら感想を述べた少女に、王太子に恋していた少女は完全に沈黙した。周囲の少女たちは、彼女の肩や背中に手を置き、慰めを口にする。


「仕方がないわ。リネット様のあのお可愛らしさでは」

「胸に抱きしめてみたくなるような愛嬌なのよね」

「しかも、とてもお優しいという噂よ。いつだったか、道で悪党に財布を取られそうになったときも、病気の家族がいるという事情を聞いて、家に薬を届けてあげたらしいわ」

「まさに『最果ての聖女』様ね……」


 『最果て領』は、王国の一番端に広がる大森林地帯だ。国が生まれるよりもはるかに昔から、人々に『最果ての森』と呼ばれていた。


 女性の聖者が住んでいて、病んだ者、傷ついた者の悩みを解決してくれるという伝説がある。


 リネットはその、『最果て』領主の娘だった。


 この宮廷に集まる貴族子女が彼女に一目置いているのも、森の妖精さながらの容姿だけが理由ではない。この国の王族よりも古い聖女伝説と、その称号にふさわしい慈悲深さ、王太子をもしのぐほどの学才などに加えて、親しみやすくかわいらしい人柄が人気を集めるのに一役も二役も買っているのである。


 この国の貴族子女は、ある程度の年齢になると、行儀見習いとして宮殿で生活する習わしだ。いずれは領主として独り立ちする彼らに必要な技芸と教養を身に着けさせるため、全国から招集をかけて、数年もの間、ひとつの宿舎に寝泊まりさせるのである。


 親元を離れて寂しい思いをしている少年少女たちにとって、聖女の知識を使って相談に乗ってくれるリネットは、少し特別な存在だった。


「リネット様には人を癒やす特別なお力があるのだと思うわ。どんなに悩んでいても、リネット様にご相談をしていると、すうっと胸のつかえが取れていくの」

「わたくしもよ! 具合がよくないことを打ち明けたら、とても親身になって案じてくださって、それだけでどんな病も治るようでしたわ」


 たおやかな微笑みを独占したいと願う人が引きも切らず押し寄せるうちに、いつしか王太子がそっとそばに侍るようになった。はっきりと宣言したわけではないが、あれは優しすぎるリネットに無茶を言う人間が現れないよう牽制しているのだと、多くの人が察している。


 美しく、愛らしく、純粋で、思いやりにあふれた少女のことを、王太子が特別に思っていることは自明だった。今しも彼は、お菓子の家に目を奪われている少女の肩にそっと手を回し、隣の人とぶつかるのを防いでやっている。親切という以上の甘い感情が、ほころんだ口元や、笑みを刻んだ目尻にはっきりと浮かんでいた。


 その様子を遠巻きに眺めながら、王太子に思いを寄せる少女は、溺愛ぶりを隠しもしない振る舞いに、うっとりしながら自分を重ねていた。ああして大切にされているのがリネットではなく自分だったらと、夢想せずにはいられない。とはいえ、リネットに比べて鈍才でぱっとしないと自覚している彼女は、大それた願望を口にすることはなかった。


 代わりに、まことしやかな推測を口にする。


「やっぱり、王太子殿下は、妃にリネット様をお望みなのかしら」

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