2.こんな料理は犬にでも食べさせておくがいいわ
2.こんな料理は犬にでも食べさせておくがいいわ
~セリーヌ=スフォルツ公爵令嬢~
学院の卒業パーティー当日を迎えた。
この日のメインはなんといっても、パーティーの最後に発表されるわたくしと王太子殿下の婚約発表ですわ。
もちろん、すでにことは公にされていますが、この学院に集う生徒達は貴族の子弟たち。その場で正式に発表することは王家や公爵家、ひいては国にとって大きな意義があることですの。
つまり、言わずもがな、本日のヒロインはわたくしと、王太子ハインケル様ということになるのですわ。
「それにしても人が多いですわね。取り巻きとはぐれてしまいましたわ」
まるでお城の舞踏会のように華やかな会場には、多くの生徒達がいる。
そして、いつもと違うのは、多くの男子生徒たちがいることだ。
この中にはおそらく、未来の私の夫である、王太子殿下もいらっしゃることだろう。お会いできると良いのですけど。
「これだけの人数だとそれも難しいかしら。ああ、鬱陶しいこと。……それにしても、少しお腹が減りましたわねえ」
わたくしは辺りをキョロキョロと見渡す。
すると、細長いテーブルに様々な料理が並べてあるのが見て取れた。
「あら、ちょうど良いわね」
わたくしはそれに近づく。
すると、並んでいた生徒達がギョッとした目でこちらを見ると、ササっと順番をあけた。
「良く教育が行き届いていらっしゃるわね」
身分の違いをしっかりとわきまえていて素晴らしいわね。
「さて、どれにしようかしら」
わたくしはおいしそうなものを、お皿に盛り付け、近くの椅子に座って一口食す。
「あらあら」
わたくしは口元を扇子で隠しつつも、はっきりとした口調で言った。
「こんな料理は犬にでも食べさせておくのが良いわ。どうせ残るでしょうから持って帰りますわね。おーほっほっほっほ」
わたくしがそう哄笑の声を上げていると、周囲がシンとした様子になった。
「あら、どうしたの?」
わたくしが問いかけると、こちらを見ていた生徒たちが視線を逸らすか、顔をそむけるかする。
中にはあからさまに眉根を寄せ、まるで嫌悪感のようなものを表情に浮かべる方もいらっしゃった。
「一体どうしたというのかしら?」
わたくしは首を傾げる。
「正直な感想を言っただけですのに」
そう言った瞬間、
「いい加減にしないか!」
会場の全員に聞こえるほどの怒声が轟いたのである。
なにごとかと思えば、
「まぁ、殿下」
そこにいたのは、なんとわたくしの婚約者であるハインケル王太子殿下だったのです。
ですが、なぜか殿下は将来の妻であるはずのわたくしを、まるで仇をみるような目でご覧になりながら、
「セリーヌ=スフォルツ公爵令嬢。いかな大公爵の娘である君とて! 僕の友人が今日のために真心を込めて作った料理をあしざまに言うことは許さない」
そして、堂々と、
「この度し難い悪女め!」
そうわたくしをはっきろと衆人環視の中、罵倒されたのでした。
~エルネスカ=スフォルツ公爵令嬢~
うふふ。
あはは。
あーっはっはっはっは!
笑いが止まらないとはこのことだわ!
大声でみんなに言いふらしたい。
見て、あのお義姉様のバカ面を!
王太子殿下のご親友が作ったお料理とも知らず「犬にでも食べさせておけ」と言った上、「どうせ残る=食べる価値がない」とおっしゃったのよ!
今日はお義姉様が婚約破棄されたうえに断罪されて、処刑か海外に流刑される日。
でも、念のためにお義姉様の後をつけていたの。
そうしたら、うまいこと取り巻きとはぐれてくれた上に、他の生徒達を押しのけて料理を取り始めた。
周囲の生徒も先生たちも口には出せないけど、またあの公爵令嬢だという雰囲気だったわけ。
そこで、王太子殿下にそれとなく、ことを告げて、ここまで誘導してきたの!
そうしたら、ちょうどお義姉様が、とんでもない暴言を吐いている場面だったというわけ!
最高!
最高よ、お義姉様!
処刑どころか拷問されて獄中死でもさせられちゃうんじゃないかしら!
まぁ、どちらにしても、今日の婚約破棄はこれで確定ね!
「この度し難い悪女め!」
このセリフも予定通り!
超グッドエンドで、ゲーム終了。お義姉様はどうやら処刑エンドみたいね!
本当のヒロインであるこのわたし、エルネスカ=スフォルツ公爵令嬢が王太子殿下に嫁ぎ、この国の権力も財力も、王妃としての身分も手に入れるんだわ!
わたしはそんな未来をありありと思い描きながら、目の前の光景を、表面上は悲しむよう表情をして見守るのだった。
~王太子ハインケル=セントレア~
僕は目の前で飄々とした表情をした悪女、セリーヌ=スフォルツ公爵令嬢を見下ろす。
その表情は冷徹なものだったろう。
僕は怒れば怒るほど、表情が抜け落ちていくのだ。
(それにしても)
と僕の中には少し残念に思う気持ちもあった。
昨日見た光景。犬を拾った光景などやはりこの女の本質ではなかったのだ。おそらく、あの犬も途中で捨てられたか、そのうち飽きて追い出されるに違いない。しょせん、金持ちの道楽であり、人の気持ちを推し測る優しさなど微塵も持ち合わせていないのだ。
そう断定しつつも、ただ僕は友の名誉のために、この女にはっきりと言っておかねばならないと思った。
少し周囲を見れば、状況を知った生徒や、この悪女の妹とは思えない、心優しい義妹もいる。当然だ、彼女が大変なことがおこっていると僕をここまで案内してくれたのだから。
そして、そのことに僕は心底感謝する。
この料理は僕の友人たちが今日のために心をこめて作ったものだ。
けっして、この女が言うような、犬に食わせておけばいいようなものではないし、食べる価値のない、残飯にして良いものではない!
(まぁ、いくら伝えても、人の心の分からないこの女に理解は出来ないかもしれないがな。だが、今日行うか先ほどまで迷っていた『アレ』の決心もついた。だからこそ、しっかりと友の名誉を傷つけたことを伝え、その上でアレを宣言する)
そう決意し、僕はしっかりとした口調で言った。王太子の威厳にかけて。
「セリーヌ=スフォルツ公爵令嬢。お前は一体どういうつもりだ」
「悪女だなんて。どうされたのですか、王太子殿下。わたくし何か粗相でもしましたでしょうか? 変な誤解を生むような言い方は、さすがに未来の夫とはいえ、お控えくださいませ」
そう言って、いけしゃあしゃあといった具合に言う。こいつの将来の夫になるのかと思うと、今となってはそれだけで背筋が凍る。
扇子を口に当てながら言うので口元は見えないが、おそらくこちらを馬鹿にしたような笑みを浮かべているに違いない。
そして、彼女はゆっくりと口元をハンカチで拭うと、こちらがイラつくほどゆっくりとした態度で立ち上がった。
そして、悪びれた風でもなく、こちらを見る。
「やはり、自分のしでかしたことが何か、まったく分かっていないようだな、お前は」
「まぁ! 何かそのようなことがありましたでしょうか……? ああ! もしかして婚約者であるあなたを探しもせず、一人食事をたしなんでいたことでしょうか。それについては確かに礼を欠いていたかもしれませんね! 殿方を待たせるなど、婚約者と言えども配慮に欠けておりましたわ」
はぁ、と僕はわざと大きなため息をついた。
こいつは、本当に権力者である僕のことしか人間とみなしていないのだ。
だから、他の人間が傷つけることも平気で言えるし、理解することもできない。
「なら、はっきりと言ってやろう。さっきお前は、ここに並んだ料理を犬にでも食わせてしまえと言ったな。どうせ残される料理だとも!」
「え? はぁ、それは申し上げましたね。ただそれは……」
それみたことか!
近くで成り行きを見ていた義妹のエルネスカも、「お義姉様、なんてことを!」と口元を隠しながら、大きく叫ぶ。
僕も思わず怒声を上げた。
「この料理は僕の友人たちが心を込めて作ったものだ! それを犬にでも食わせてしまえばいいとは何たる侮辱。この僕の友人の心を傷つけることは許さん! ましてや、食べる価値がないとはどういうことだ! いかな公爵令嬢とてっ……!」
僕は心を決めて口にしようとする。
「婚約者の資格はない!!!」
「えっ、それって……」
初めて、目の前の悪女の顔に驚愕が浮かぶ。
僕はやっとこの女が、しでかしたことの重大さを認識したと理解する。だが、もう遅い。
「人の心を傷つけ、食い物にする。人を人とも思わない女に国の将来をまかせることなどできない!」
僕は会場にいる全員が固唾をのむ中、はっきりと宣言する。
「セリーヌ=スフォルツ公爵令嬢! 君との婚約を破棄する!」
「そ、そんな!!」
セリーヌ公爵令嬢はショックを受けた顔で茫然とする。
だが、それだけではない。
このことだけでは、公爵家と王家の対立となり、いらぬ内紛を国の中に起こしてしまう。
そのことが分かっているのだろう、脅迫するようにセリーヌは言う。
「そ、そんなことをすれば、公爵家との仲にヒビが……」
だから、僕は続きを口にする。
「確かにセリーヌ公爵令嬢、お前との婚約は破棄する。だが!」
僕は先ほどから事の成り行きを静かに見守っていた、もう一人の令嬢を招き寄せた。彼女は思ったよりも自然な様子で僕の隣に立つ。
さすが貴族令嬢だ。凛としていて、本当の貴族令嬢とはこうした気品や気概に満ちているものなのだ。
(このエルネスカ公爵令嬢との婚約を新たに発表する。そうすれば多少の混乱はあるだろうが、問題は大きくならない)
そう確信し、決意を旨に新たな婚約を宣言しようとした、その時であった!
「このエルネスカ公爵令嬢と新たなっ……」
「きゃん! きゃん!」
「きゃっ! こーら、ポンタ、会場には入ってきたらダメだと言ったでしょう? この公爵令嬢の言葉が聞けないの? それに王太子殿下が大事なことをおっしゃろうとしているというのに」
「くぅーん、くぅーん」
「ああ、お腹が減っているのね。食い意地の張った駄犬ですこと」
「ペロペロ!」
「あらあら! またドレスを汚して! しょうがない子ですわ!」
突然、犬が一匹迷い込んで来たかと思うと、セリーヌ公爵令嬢にじゃれつきはじめたのである。
「もう、おとなしくしていなさい。本当に駄犬なのですから、うふふ。あ……殿下、大変失礼しましたわ。それで、なんの話だったでしょうか?」
僕は口をパクパクとする。
重大なことを言おうとして腰を折られたために、二の句を告げなくなったのだ。
同じく、隣に立つエルネスカ令嬢も口をパクパクとしている。
ああ、新たな婚約者を発表するのは、こうなってしまっては、機会を改めた方がいいだろう。
犬の乱入によって会場が混乱しているし、この場で発表しても聞き逃す者が多いに違いない。
何より、婚約破棄は宣言したとはいえ、あくまでそれは今日のトラブルがあって、パーティーの中で発言したに過ぎない。
正式に王家……。つまり父上と母上に、このことを承認してもらわなくてはならないのだ。そのうえで新たな婚約のことも正式に認めてもらおう。
ただ、一つ気になるのは、
「王太子殿下?」
「ふん。何でもない。後日、城にて正式に婚約破棄の書面を取り交わすことになるだろう。間違いなく、足を運ぶように」
「そんな……。ポンタ、わたくしどうしたらいいのかしら?」
そう、そこの犬のことだ。
ずいぶん身ぎれいになっているが、僕の目に狂いが無ければ、それは昨日、この悪女が拾った犬である。
その犬が、なぜかこの悪女にずいぶんなついている。
それはたまたまのことに違いないが、なぜかとてもそのことが気にかかるのだった。
いずれにしてもこうして、卒業パーティーにおける王太子殿下による婚約破棄宣言は、貴族の間で大きな噂となったのであった。