表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/95

命をいただく

老いて生きるための力が衰えたとはいえ、野生の獣はそんなことでは生きることを諦めない。生きるためにその時点でできるすべてをやろうとする。これは、猪竜(シシ)でもインパラ竜(インパラ)でも変わらない。


オオカミ竜(オオカミ)すら一撃で蹴り殺すこともある後脚の一撃をお見舞いしようとして、老インパラ竜(インパラ)は全力を尽くす。


それは当たり前のことだった。だからオオカミ竜(オオカミ)達も油断はしない。食らい付いたオオカミ竜(オオカミ)インパラ竜(インパラ)の蹴りを食らうまいとして身を躱す。そこに次々とオオカミ竜(オオカミ)が食らい付く。


それでもなお、老インパラ竜(インパラ)は生きるための努力をする。


<潔い引き際>


など、人間がでっち上げた戯言だというのがよく分かる光景だった。野生において<潔い引き際>というのも、あくまで生きるためにすることである。『戦って勝てないと悟ればさっさと逃げる』というような場合にのみ意味を持つ。


しかし、諦めればそのまま死が待っている状況では、『潔く』などしない。文字通り死力を振り絞って死に抗う。生きるために。


だがそれは常に功を奏すとは限らない。ましてやそのための力がそもそも衰えてきているとなれば、さらに確率は下がる。加えて、インパラ竜(インパラ)の群れは、仲間が捉えられたことでもう自分達には危険が及ばないと悟り、悠々と逃げ去ってしまった。


残酷なようだが、これもまた<生きる>ということなのだろう。


生きるためには他の命をいただくが、それは必ずしも直接食うことを意味するものではない。このようにして、


『自分以外の誰かが死ぬことにより自分の命を繋ぐ』


というのも『命をいただく』と言えるのだ。


インパラ竜(インパラ)の群れは、『仲間の命をいただく』ことで生き延びたわけだ。


そして実際、老インパラ竜(インパラ)は、死力を振り絞ってもなお、自身の命を繋ぐことができなかった。


老いて生き延びる力を失ったことにより、仲間の代わりにオオカミ竜(オオカミ)に捕らえられ、結果、仲間の命を繋いだのである。


残酷ではあるものの、これもまた生きるということの現実。


また、この時のインパラ竜(インパラ)については、やや痩せた小柄な個体だったこともあり、ジャックの群れ全体の腹を満たすことはできなかった。成体(おとな)達が食べ終わった時点でほとんど食うところがなくなってしまっていたのだ。


ただしこれについては、幼体(こども)だからこその<次善の策>もある。


特に体が小さい子供は、その辺りを跳ねまわっている<虫>を餌にすれば事足りるし、少し大きな子供達も、それぞれ勝手に、土竜(モグラ)の穴を掘り起こし、それを捕えて餌にしていたのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ