お酒を飲むと人が変わる危険なシスター
「右のフックを貰ったら、左のフックも貰いなさい」
恐らくは神様の趣味がボクシングだったのだろうと自分に言い聞かせるが、それにしてもシスターエレンのお言葉はやや変なものであった。
「祈りましょう。人類皆兄弟。暴力は何も生みません。神はきっと見ております」
家の近くの教会に変なシスターが居ると友人から誘われ、面白半分でついていった俺は、歳も近いこともあってか、そのエレンという名のシスターと打ち解けるのに、さほど時間は掛からなかった。
「夜、飲みに行きませんか? 静かで良いお店知ってるんですよ!」
気を良くした友人がポンと不躾にお誘いをした。内心グッジョブと親指を立てたのは内緒だ。
「少しだけでしたら……」
シスターエレンは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「神様なんかぁ……いませぇぇぇぇーん……だ!!」
とんでもない事になった。
シスターエレンが生ビール一杯で変貌してしまった。
「右の頬を叩かれたらめちゃんこ痛いですし、左の頬まで叩かれたら口内炎出来て次の日から醤油が染みて地獄です!」
俺は言葉を失いかけたが、何とか冷静を努めている。
因みに友人は格好付けて一杯目からテキーラを頼んで死んだ。何しに来たんだコイツは?
「あの……エレンさん大丈夫ですか?」
「にゃん?」
突如猫に取り憑かれるシスターエレン。頭に手を乗せ耳の形を作って「にゃん、にゃん」と遊んでいる。
「にゃん♪」
可愛いから許すことにした。神が許さなくても俺が許す。
「ムカつく大家を角材リンチにゃん♪」
「ダメーッ!」
何やら振りかぶる素振りを見せたシスターエレンを慌てて止める。
「右の頭を殴ったら、左の頭も殴らせろにゃん♪」
どうやら大家さんは双頭のようだ。伝説上の生き物だろうか。
モグラ叩きのように割り箸を交互に振り下ろすシスターエレン。どうやらシスターというのは相当にストレスが多い職業らしい。
「シスターなんか辞めてアパレル関係で仕事がしたいにゃん♪」
「シスターカフェなんかどうでしょう?」
「神に変わって角材リンチにゃん♪」
「発言を撤回します」
酔っているクセに反応が速く鋭いシスターエレンに、おもわず頭を下げて謝罪してしまった。
「でも、子ども達と接するのは楽しいし、続けたい。専業シスターじゃなくて、臨時シスターか副業シスターがいい……にゃん♪」
「そろそろ『にゃん♪』付け疲れてません?」
俺の話を無視して、シスターエレンは焼き鳥を頬張った。初対面でここまで見せるのって中々にアレだなぁ……。
「あの……もし宜しければシスターになった経緯をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「にゃん♪」
焼き鳥を食べ尽くしたシスターエレンが、リスのように頬を膨らませ、ポツリポツリと話し始めた。
私の焼き鳥も食べられた。
「あれは……今から二年前だったかな」
何処か遠い目をするシスターエレン。当時を思い出して懐かしいんでいるのだろうか。
「カシスオレンジで」
違った。壁のメニューを見ていただけだ。このシスター、欲が凄い。
「就職難で、親に『何かしろ』って言われて、それで」
カシスオレンジに口を付け、シスターエレンが微笑んだ。
「終わり」
どうやら特に深い理由は無いようだ。
飲みモードに切り替えたシスターエレンのカシスオレンジは、既に半分が無くなっていた。
それからは、特にとりとめの無い会話が続き、お互いの趣味や学生時代の思い出話に華を咲かせた。
「あ、そろそろお祈りの時間です……」
「うわ、もう12時だ。すみませんこんな遅くまで」
楽しい時間はあっという間に過ぎ、シスターエレンがスマホの画面で何かを確認している。
そして目を瞑り、祈りながら画面をタッチした。
「アーメン」
「何をしてるんですか?」
「祈りながら今日のログインボーナスの無料ガチャを引いてます」
シスターエレンが俗物すぎる。
そして、ゆっくりと目を開けて画面を確認すると、思い切り舌打ちをした。
「チッ! ポンコツアーメンが……」
シスターってなんだろう。
そう思いながら、大皿に残ったワサビの山を口に入れた。
次の日、朝早く教会へ一人で行くと、シスターエレンがこっぴどく神父に怒られていた。昨日の件だろう。
どうやら外食時の飲酒は禁止されているようだ。無理も無い。
「あのー」
「あ……」
気まずそうに神父が顔を背けた。
一礼し、神父が奥にはける。
「昨日はありがとうございました。そしてすみません。お酒、ダメだったんですね」
「いーえ、私が自ら望んで犯した罪ですから、全て私の未熟さ故です」
教会の奥にある、像に向かってシスターエレンが呟いた。
「神はきっとお許し下さる筈です。祈りましょう」
「……はい」
教会にいる時のシスターエレンは、とてもシスターらしい事を言う人だ。俺も何だか神とやらにお祈りをしたくなってきた。
「何をしてるんです?」
シスターエレンがスマホの画面を開き、目を閉じて祈っている。
「ピックアップガチャです。今日のラインナップはとても激アツなんですよ?」
ゆっくりと画面をタップしたシスターエレン。
そして静かに目を開けると、眉をひそめ舌打ちをした。
「このヘッポコアーメン野郎が……」
きっと神は見ているに違いない。
だからこそ、シスターエレンには微笑まないのだろう。